娘を魔法学校に入学させることにした
「さて、我が姪の進路について話そうか」
師匠であるイリス・シーモア。妙齢の女性は、俺の目の前で足を組み替えると、そう切り出した。
ミラディンの魔女は妖艶な笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「まず最初に聞いておくが、お前はあの娘を自分の娘のように思っている。それで間違いないな」
「自分の娘だと思っていますよ。血は繋がっていませんが」
「血は水よりも濃いが、絆は海の底よりも深い、か」
「そんな感じです。もはや今の俺には、娘の幸せしか目に入りませんよ」
「将来を嘱望され、大賢者の地位も約束されていたのに、それらを捨て俗事から逃げ出したお前が、そんな俗にまみれた台詞をくちにするとはな」
師匠は自嘲気味に笑う。
「まったくです。2年前の自分に知らせたら、さぞ驚くことでしょう」
「容易に信じまい。それほどまでにお前は研究馬鹿だった。いや、正確には俗世を嫌っていたかな」
「自分では研究馬鹿キャラのつもりなのですが」
「いや、お前は俗世を嫌って研究に没頭する振りをしていただけだよ。ただ、不老の身体を手に入れてしまったため、その暇を持てあますため、研究をしていたに過ぎない男だ」
「断言されますね」
「断言するさ。私がどれほどお前の才能を惜しんだことか。もしも真面目に賢者の道を歩んでいれば、今頃、お前は7番目の大賢者として。いや、筆頭大賢者としてこの世界を導く存在となっていたものを」
「それは買いかぶりすぎでは」
「それは謙遜しすぎだな」
師匠はため息を漏らす。
「お前の魔力、その才は私をも凌駕する。もしも、今からでも魔術師としての高見を目指せば、瞬く間に私さえ抜き去る強さをえられるだろう」
「それでは世界最強になってしまうではないですか」
「だな。私を越えるということはそういうことだ」
「なら、やっぱり無理ですよ。俺が師匠を超えられるわけがない」
「師とは常に弟子に越えられるものさ。物語の定番だな」
彼女はそう漏らすと、まあ、その一件はいい、と捨て置いた。
「今さら私の後継者にしようとも思わないし、主義主張を替えろとは言わない。私の後継者になるということは、多くの人間の血を浴びるということだからな」
たしかに山に籠もって研究せずに、彼女の後継者になるという選択肢もあった。
彼女のように俗にまみれ、学んだ魔術を人間社会で使うという選択肢だ。
彼女のようにどこかの宮廷に仕え、その魔力を実戦に役立てるという道だ。
ただ、その道は俺にはあまり向いていないような気がした。
いや、確実に向いていないだろう。
人には向き不向きがあるのだ。
魔法を戦争の武器に使いたくない。政争の道具に使いたくない。
そんな感情があるのもたしかだった。
ただ、それは今さら言われても困ることである。
数百年もの間、俺はそうやって生きてきたのだ。今さら生き方は変えられなかった。
俺は申し訳なさそうに頭を下げる。
「そうか、ならば宮廷魔術師に仕官し、従軍魔術師になる方向はなし、と――」
「そっち方面は向いていないです」
大昔に一度試して駄目だった。数百年のときが経過してもそれは変わらないだろう。
それどころか悪化している可能性もある。
フィオナという存在ができてしまったことにより、魔術で人を殺めることにより嫌悪感を覚えるようになってしまった。
申し訳ないが、俺は彼女と同じ道は歩めそうにない。
そう申し出たが、彼女は表情を曇らせなかった。
「なあに、人には天分がある。私のように鮮血の魔女と後ろ指さされても眉ひとつ動かさない女もいれば、我が弟子のように自分の血を吸う蛭にも慈悲をかける優しい男もいる。世の中、それで上手く回っていたのだ。今さら無理矢理替えても良い結果にはなるまい」
彼女はそう断言すると、掲示板に掲げられていたメモ帳を剥ぎ取る。
立ち上がることもなく、呪文も唱えることもない。
彼女は簡易魔法ならば詠唱すらいらず、動作さえ必要ない。
メモ帳は意思を持つかのように自分から剥がれ、ゴミ箱に向かった。
「どこかの国に亡命させ、そこの宮廷魔術師として庇護をうけさせようと思ったが、その線はなし、か――」
彼女はぼつりと漏らす。
剥がれたメモ帳は半分近くにも及んだ。あるいはその方法が一番、俺とフィオナの安全を保証してくれる道だったのかもしれない。
帝国の敵国に亡命すれば、少なくとも帝国と聖教会の魔の手からは守られるだろう。
また従軍魔術師として自分の力を磨けば、敵から自分やフィオナを守ることもできる。フィオナを魔手から守る力を得ることができるかもしれない。
あるいは俺は師の用意してくれた最善手を放棄してしまったのかもしれないが、それでも彼女は俺を見捨てない。
彼女はその灼眼で俺の瞳を覗き込んでくる。
魔女に見透かされる気分になるが、それでも彼女から目をそらさなかった。
彼女はその魔眼で俺の適性を見抜いてくれたのだろうか。
掲示板に貼られていた一通のメモを剥ぎ取り、それを俺に渡す。
「これは?」
「おそらく、お前が取るべき最善の道だな」
俺は恐る恐るそのメモ帳を覗き込む。
彼女が最善だというのならば、それ以外に選択肢はない、ということなのだろう。俺は師匠の人を見る目、それにその能力を信頼しきっていた。
そこに書かれていたのはとある魔術学校の名前だった。
「リーングラード魔術学校」
懐かしい名前だった。俺の母校である。
幼き頃、俺は目の前の魔女に拾われ、養育された。
その後、俺は当時、彼女が教鞭を振るっていたリーングラード魔術学校の生徒となった。そこで魔術を学び、魔術師になったのだ。
彼女がそれの再来を狙っていることは一目瞭然だった。
「この際、娘を魔術師にしたくない。などという贅沢な台詞は吐くなよ」
機先を制するように師匠は口を開いた。
「魔術師になったものすべてが私のようになるわけではない。お前のように人殺しを忌避する人間になることもあるし、魔術師の資格を取るだけで結婚する娘もいる。それに魔術図書館の司書になる娘もいるし、医療魔術師になる人間もいる」
要は心の持ちよう次第だよ、魔術師なんてものは、と彼女は締めくくった。
「つまり、俺がリーングラード校で教師をしつつ、娘をそこで学ばせる、ということですね。たしかにリーングラード校ならば、帝国も聖教会も手を出せない」
考えましたね、とは言わない。
その手法は俺も考えないではなかったからだ。
リーングラード魔術学院は、帝国と領土を接するとある共和国との間にある。
共和国とは帝国に唯一対抗できる武力を持った国で、さきほど張られていた俺の亡命先リストの筆頭にあった国だ。
長年、帝国と覇権を争ってきた国であるが、そんな帝国と共和国の間には小さな国があった。それがリーングラード公国である。
リーングラード公国は、その名の通り大公爵の治める国だ。
ただし、その爵位は帝国から受取ったものではなく、もっと由来は古い。
また魔術の大国としても名をはせており、強大な魔術師の軍団を持っており、その武力は帝国と共和国双方に一目置かれている。
そもそもその二カ国の間に存在し、独立を保っている、ということがリーングラード公国の非凡さを証明していた。
リーングラードは両国や列強に侮られない存在感を醸し出しつつ、決して目立つような真似はせず、その独立を千年単位で守ってきた。
永世中立を宣言し、両国の干渉を遠ざけてきた。
ゆえにリーングラード魔術学校は、魔術師の最高学府として発展してきたのだ。
その出身地、生まれなどを問わず、多くの人材を受け入れ、魔術の名門校として名をはせてきた。
「リーングラード魔術学校か……」
ぼつり、と再びその名をくちにする。
「気が進まないか?」
「そういう問題ではないんですけどね。いや、むしろ有り難い条件ですよ」
そこで言葉を句切ると補足する。
「俺に教師が向いているか、それは別にして、娘には最高の条件だ。一流校で学べる機会も得られるし、同年代の友達もできる」
「ならば諸手を挙げて賛成か?」
「娘を最終的に魔術師にするか、は別にして、教育環境としては悪くない」
ただ、と付け加える。
「リーングラード魔術学校は名門です。筆記試験も難しいし、魔術師としての才能もいる。それにコネもいる」
「コネの方は安心しろ。これでも元教師だぞ。それに今でも理事に名前を貸している」
「年齢も問題ですね。たしかリーングラード校は10歳からしか入学できなかったはず」
「そちらの方は時間が解決してくれるだろう。我が家に1年くらい滞在すればいい。その間、あの子は10歳くらいに成長するだろう。その1年間で筆記試験対策もできる」
「簡単にいいますね。難しいんですよ、あそこの試験は」
思わず苦笑いを浮かべてしまうが、それよりも気になるのは、魔術師としての才能だった。こればかりはどうしようもならない。
筆記ならば世界最高峰の賢者二人から学ばせることもできるが、魔術の才能だけはどうしようもならない。
魔術とは技術であると同時に才能でもあるからだ。
才能のない人間に呪文を教え込んでも、体内にマナがなければ魔法は発動しないのである。俺の見立てでは娘に、フィオナに魔法の才能はない。
そのうちの中に煌めくような魔力を見いだせないのだ。
一方、その意見には我が師は反対らしい。
「あの娘はホムンクルスだぞ。フラスコの中の小人だ。そんな娘が凡百な才能の持ち主なわけがないだろう。近いうちにきっと才能を開花させる」
「確証があるのですか?」
「あるさ。あの娘はお前の娘にして我が姪。きっと非凡な才能を持っている」
魔女はそう確信を持って微笑んだが、彼女の確信は的中する。
一ヶ月後、この屋敷に滞在を始め、リーングラード魔術学院入学試験に備え始めた頃、娘の力は開眼する。
それは丁度俺が街に買い出しに出かけたときだった。
そろそろ試験対策のテキストでも買い込むか、と本屋巡りをした後、師匠の屋敷に戻ってきたとき、その事件は起きた。
クロエが目を離した隙に、彼女は師匠の屋敷の庭にある木の上に登ってしまったのだ。
木登りすること自体、元気があってよろしいとなるのだが、問題なのはその高さであった。
彼女は後先考えずに楡の木の巨木に登ってしまったのだ。
その高さはゆうに10メートル。そして登った理由も彼女らしかった。
彼女は木から落ちた小鳥の雛を元の場所に戻そうとして木の上に登ってしまったのだ。
これでは叱れないではないか。
そう思った。
実際、木の上から落ちたという報告を聞いても、俺は叱ることができなかった。
師匠などはむしろ娘を褒める。
「フィオナよ、よくやった。褒めて使わす」
なんと我が娘フィオナは、木の上から落ちても無傷だった。
魔術を発動させてその身を守ったのである。
彼女は教えてもいない《飛翔》の魔法を発動させるとその身を守った。
そしてその翌日からは、俺に許可を取ってから空を飛ぶようになった。
彼女は早速、難題を持ち込んでくる。
「子猫が高いとことから降りられなくなってるの」
笑顔で飛行許可を求めてくる。
無論、断ることはできなかった。
一応、万が一に備えて彼女の下でサポート魔法を唱える準備をしていたが、それも無駄に終わった。
二度目の発動で彼女は完璧に《飛翔》の魔法を使いこなしていた。
複雑な気持ちで娘が子猫を撫でる姿を見つめる俺。
その俺をにやにやと見つめる師匠。
どうやら彼女の予言どおり、娘には魔法の才能があるらしい。
それは認めるしかなかった。
ともかく、こうして俺と娘の進路は決まった。
彼女が10歳くらいの身長と体重を備えたとき、書類を偽造し、『人間』としてリーングラード魔術学校に通わせる。
そして俺はそこの『教師』となる。
それが最適というか、それしか道は残されていないようだ。
俺はふわりと風に溶け込むかのように高所の上から降りてきた娘から猫を受取ると、そう決意した。
ちなみに猫は黒猫だった。
魔女の館に住む黒猫は幸運の象徴だという。
リーングラード魔術学校が俺と娘にとって幸せな場所になるといいが。
そんなふうに思いながら、猫をなで続けた。
黒猫はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、「にゃあ」とだけ鳴いた。