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等価交換

 昔々、遠い昔、雪絶えぬ国エルドラに、ひとりの少女がいた。

 彼女の名はアナスタシア。


 それはそれは美しい少女で、彼女の美しさとその愛くるしい仕草は村中の評判になっていた。


 いつか、彼女のような美しい少女を妻とし、平穏に暮らしたい。


 村の若者は誰しもがそう願い、そうなるように行動したが、その夢を叶えられるものはいなかった。


 少女の理想が高かったわけではない。

 その美しさに釣り合う異性を求めたわけではなかった。

 むしろ少女は恋に恋い焦がれる普通の女の子で、村に意中の男の子がいた。

 その少年といつか結婚しようと夫婦約束(めおとやくそく)を交わしたくらいだ。

 問題なのは少女ではなく、その父親であった。

 少女の父親は村の外れに住む魔術師で変わり者として知られていた。


 否――、変わり者などという生やさしいものではなく、狂気に満ちた魔術師として名をはせていた。


 山奥に引きこもっては村人たちと交わることない生活を送り、動物を狩ってはその臓腑をえぐり出し、怪しげな実験を繰り返していた。


 アナスタシアの家の煙突から漏れ出る黒煙、それに異臭は村人たちを遠ざけるのに十分であった。

 そんな父親のもとに生まれてしまったアナスタシアだが、彼女はすくすくと育ち、15歳の誕生日を迎える。


 そして15の誕生日を迎えたその夜、彼女に転機が訪れる。


 ヴェロニカの昔語りを聞いた俺は眉をひそめる。


 彼女の口から聞いた魔女アナスタシアの境遇は俺とフィオナとかぶるところがある。


 父親が厭世的な気分に染まり世俗を捨て山で研究に明け暮れていたところ。

 娘が自分の父親を尊敬し、誰よりも愛していたところ。

 父娘ふたりは村の人間から変わり者として扱われながらも、協力して生きていた。


「しかし、それも前述したとおり、アナスタシアが15歳になるまでだ」


「15歳の誕生日に何があったのですか?」


 俺は尋ねる。

 ヴェロニカはそれを口にしてもいいか目配せをする。フィオナの方を軽く見た。


「今さら娘に隠し事もね。ここまで来たのです。すべて話してください」


 すでに俺たち一行は公都を旅立ち、雪の魔女の館へと向かっていた。今さら娘だけを仲間はずれにするのは道義的にも教育的にもよくないだろう。


 俺がそう言うとヴェロニカは分かった、と首を縦に振った。


「説明した通り、アナスタシアの父親は変わり者ではあったが、娘をそれなりに愛していた。研究にばかりかまけていたが、愛情を注ぎ育てていたようだ。しかし、アナスタシアが15の誕生日を迎えたとき、それが一変する」


「いったい、なにがあったんですか?」


 娘はおそるおそる尋ねる。


「アナスタシアの父親はホムンクルスの研究をしていた」


「お父さんと一緒だ……、成功したんですか?」


「まさか、成功していれば我はここにいないし、君と君の父親も平穏に暮らしていただろう」


「たしかに」


 俺は思わず苦笑いを漏らす。


「話を戻そうか。しかし、アナスタシアの父親はホムンクルス製造に近づきつつあった。ある日、フラスコの中に有機生命体を作り出すことに成功したのだ」


「有機生命体?」


 フィオナは首をかしげる。

 俺が補足する。


「バクテリアや単細胞生物、原始生命体のことだよ。広義では人間も含まれるが」


 ヴェロニカはうなずく。


「これはアナスタシアの生まれた村まで行って部下が確認してきたのだが、アナスタシアの父親は有機生命体を創造するのに成功していた。まずは原始的な単細胞生物、次にボウフラや羽虫などの下級生物、さらに両生類やほ乳類も製造に成功したらしい」


「それは本当ですか?」


 思わず訪ね返したのはにわかに信じられなかったからだ。


 ホムンクルスの創造は別格であるが、単細胞生物や昆虫を生み出すことさえ難しいのが錬金術の実情であった。


 生命の創造は神の領域であり、容易に再現できない。


 だからこそ多くの魔術師が生命の創造に執着し、血眼になってホムンクルス創造を夢見ているのだ。


 古代の大魔術師をはじめ、多くの著名な魔術師や賢者が挑み挫折してきた道、生命の創造。俺の師匠などはとっくの昔に諦めており、無から有を造り出すことはできないとさじを投げている分野でもある。


 俺が千年のときをかけてもできなかったことをアナスタシアの父親は再現していたのだろうか。


 そう考察しているとヴェロニカは説明してくれる。


「我もカイト殿と意見を等しくする。失礼な物言いになるが、カイト殿のような賢者でも偶発的にしか生み出せない生命体を、地方の一介の魔術師が生み出せるわけがない。そう思い我は調査を重ねた」


 彼女はそこで一呼吸置くとこう続けた。


「ビンゴだ! 我の勘は当たった」


「というと?」


「アナスタシアの父親は生命の想像に成功していなかったということだよ。たしかに彼の研究所から日々、新たな生命体が生まれていた。本人も驚喜し、地元の魔術協会も目を輝かせたが、不思議なことに中央魔術師協会から見聞役が派遣されると生命の創造は再現できなかったそうだ」


「彼がほらを吹いていた、ということでしょうか?」


 俺が訪ねるとヴェロニカは首を横に振る。


「たしかにほらは吹いていたが、それは本人の意思ではない。いや、むしろ彼は被害者だな。彼自身は自分が生命の創造に成功したと疑っていなかったし、それに他人をだますつもりなど毛頭なかった」


「回りくどいですね。もっと端的に言ってもらえるとうれしいのですが」


「そうか、ならばはっきり言うか。つまり、生命の創造はすべてフェイクだったのだよ。しかもそのフェイクは本人が仕組んだものではない。弟子が仕組んだものだったのさ」


「弟子……、ですか?」


「ああ、アナスタシアの父親には弟子が一人いてね。そのものが師匠の気を引くため、彼の実験道具に細工をしたのさ」


 ヴェロニカはそこで言葉を句切ると、喉を潤すため水筒を取り出し、それをあおった。


「名も知れぬ魔術師で地方の零細魔術師の助手をするようなやからだから才能はない。しかし、才能はなかったが、小賢しい知恵はあった」


「小賢しい知恵ですか」


「ああ、その弟子は師匠の娘であるアナスタシアに思いを寄せていてね、なんとか自分の方を振り向かせようとしていたらしい。アナスタシアには夫婦約束までした幼なじみがいたのだが」


「横恋慕というやつか」


「馬に蹴られて死ね、というやつだ。まあ、叶わぬ恋に身を焦がす気持ちは分からなくもないが」


 と、ヴェロニカは少し遠い目をする。

 俺はそれを無視すると訪ねる。


「そこでその弟子は一計を打った、と?」


「察しがいいな、カイト殿は」


 ヴェロニカはそう言うと軽く口元をゆがめる。


「その弟子は師匠の気を引き娘との結婚を許してもらうため実験器具に細工をし、生命が生まれたように見せかけたのだよ」


 要領はこうだ、と彼女は続ける。



 生命を生み出す実験にアナスタシアの父親は生命を使っていた。

 ボウフラを造り出すにはミジンコの死体を、

 モンシロチョウを造り出すには羽虫の死体を、

 羊を造り出すにはネズミの死体をもちいた。



「下位交換というやつだな」


 魔術は万能ではない。何かを造り出すのには必ずなにか代償がいる。


 アナスタシアの父親は下位の生物を生け贄に捧げることによって生命体を造ろうとしていたようだ。


「無論、先ほど説明した通り、結局は下位交換では生物は生み出せなかった。だが、彼の弟子は師匠の機嫌を取り持つため、実験が終わった深夜、こっそり実験室に入り込み、実験器具の中に生命体を入れた。羽虫の死体を入れた翌日にはモンシロチョウを、ネズミの死体を入れた翌日には羊を、とこんな要領で自分の師に取り入った」


「なるほど、小賢しい男ですね、たしかに」


 そう結論づけたが、俺はとある疑問をヴェロニカに尋ねた。


「しかし、そのような嘘はいつかばれるでしょう。実際、中央からきた魔術師協会の連中の前では通用しなかったようだし」


「するどいな。たしかにその弟子は愚か者だが、魔術師教会の前ではそんな詐術(さじゅつ)通用しないと分かっていた。だから中央から派遣された魔術師の前ではその手はもちいなかった」


 ヴェロニカはそこで言葉を句切ると、表情をひときわ険しくさせた。


「その弟子はくずだ。しかし、アナスタシアの父親はそのくず以上に狂っていた。それが最高の悲劇を生んだ」


「……最高の悲劇、ですか?」


「ああ、聞くもおぞましいが、聞くかね?」


 その言葉は俺に対してではなく、娘であるフィオナに配慮したもののようだ。


 俺は軽くフィオナを見たが、フィオナは真剣な面持ちで俺とヴェロニカを見つめていた。


 その姿を見ると今さら聞くな、とは言えなかった。

 俺は娘とともにヴェロニカの話を聞く覚悟を固める。


 その覚悟に感じ入ったのだろうか、ヴェロニカは「さすがは我が見込んだ男だけはある」とアナスタシアの身に起こった悲劇を話してくれた。



 アナスタシアに横恋慕をした弟子。

 その弟子はアナスタシアの父親の機嫌を取り持つため、実験に細工をしていた。


 事実、実験が上手くいった日はアナスタシアの父親は上機嫌となり、弟子の助力を褒め称えた。


 弟子もその機会を逃さず、娘であるアナスタシアの結婚相手には自分がふさわしい、とそのつど請願していた。


 しかし、肝心なとき、中央から見聞役の魔術師がやってくる日に限って生命創造の実験は失敗した。


 当然だ。弟子が細工をしなかったからである。

 アナスタシアの父親もそこで弟子の不審な行動に気がつき、


 弟子も己の罪を告白すれば事件は起きなかったのだが、そのような機会は訪れなかった。


 それがひとりの少女の悲劇につながる。

 肝心なときに役立たない弟子はアナスタシアの父の勘気(かんき)にふれ、破門された。

 破門された弟子は呪詛の言葉を吐いた。


「おまえの実験が成功しないのは下位交換にこだわるからだ」


 そんな言葉を残し、村を立ち去った。


 元から魔術の真理という名の狂気に取り憑かれていた父親は弟子の言葉を真に受けた。


「そうか、下位交換にこだわるから成功しないのか。愚かな弟子だが、その言葉には一理ある」


 そう悟った父親は、下位交換を諦め、



「等価交換」



 によって生命創造に挑むことにした。

 それがアナスタシアの誕生日、一五歳の夜のことであった。



 ヴェロニカは沈痛な面持ちでそう説明をした。


 彼女は直接、その夜起こった悲劇を口にはしなかったが、俺とフィオナは、その夜、なにが行われたか察することができた。


 あまりのことに言葉を失っていたフィオナだが、やがてその思い唇を動かす。


「……もしかして、アナスタシアさんのお父さんは、アナスタシアさんを実験台に使ってホムンクルスを造ろうとしたの?」


 その声には悲痛さが込められている。実の父親がそんなことをするわけがない。

 娘の常識がそう否定していたが、ヴェロニカの表情には肯定の成分しかなかった。


「我がつかんだ情報はみっつ。アナスタシアという少女が15になった夜、 『人間』でなくなったこと。その父親が死体となり彼女たちが住んでいた屋敷が焼け落ちたこと。 ホムンクルスと等価となる素材は人間以外考えられないこと。それだけだ」


 ヴェロニカはそう結ぶと再び水筒をあおった。


 よく見れば呼気が荒いし、顔がほのかに朱色だった。水筒の中身は酒なのかもしれない。


 酒の力がなければ話せないような内容だったのだろう。

 彼女も実の父親、――つまり皇帝とひとかたならぬ確執がある。

 あるいはヴェロニカはアナスタシアという魔女に同情しているのかもしれない。

 そう感じ取ったが、口に出して指摘はしなかった。


 口に出してしまうと俺もヴェロニカやフィオナのようにアナスタシアに哀れみと同情心を抱いていしまうかもしれない。


 しかし、今の俺は安っぽい人間愛(ヒューマニズム)に染まることはできない。

 なぜならば俺はひとりの人間である前にひとりの少女の父親だからだ。

 フィオナという世界で一番大切な娘の親だからだ。


 父親であるとということは人間であるということよりも優先すべきことであった。


 たとえ冷血で冷徹な男とののしられようとも、そのことで娘に嫌われようとも、俺はフィオナの父親であることを優先したかった。


 娘を守ることに心血を注ぎたかった。

 俺は娘の頭をなでると、揺れる馬車の中、雪の魔女の昔話を忘却しようと努めた。

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