昔語りの巫女
「雪の魔女に弱点はない」
それが帝国の皇女の第一声だった。
横に座っているフィオナは少し拍子抜けしているが、俺は意外だとは思わなかった。
「まあ、この世界の6大賢者に数えられる魔女だからな。そうそう簡単に弱点など見つかるわけがない」
俺がそうまとめるとヴェロニカは軽く苦笑いしながら首肯する。
フィオナが俺を見上げながら質問をしてくる。
「6大賢者ということは、伯母様とおなじくらい強いってこと?」
「そうだな、師匠は普段はちゃらんぽらんだから強そうには見えないが、あれでも大賢者の称号を持つ。本気を出せば騎士団なら三つ、小さな国ならば一晩で滅ぼせるんじゃないだろうか」
「……伯母様ってそんなに強かったんだね」
フィオナは唖然としている。
「人は見た目によらない、……いや、見た目通りの強さだよ。俺がこの世で敵に回したくない人物の一人だ」
冗談めかして言ったが、それにヴェロニカも呼応する。
「それは我も同意見だな。――鮮血の魔女、彼女は形の上では帝国の宮廷魔術師の一人だが、その実、帝国の政治に参与していない。いや、させてもらっていない。父上はもちろん、帝国の重臣たちもシーモア殿の力を恐れているのだ。あの魔女にこれ以上力を与えてはいけない、と」
「……伯母様ってそんなに強い人だったんだね」
自分は17歳と言い張る姪煩悩な姿しか見ていないフィオナは少しショックを受けているようだが、事実、我が師匠であるイリス・シーモアの実力はとてつもない。
その魔力や知謀によって一国の国体を揺るがしたり、大国同士の戦争の戦局も左右しかねない存在なのだ。
しかし、そんな最強の師匠の助力は今回、期待できない。
なにせ件の雪の魔女様が名指しで師匠の介入を拒んでいるからだ。
クロエの生殺与奪権を握られている以上、下手な真似はできなかった。
「師匠の助力を頼めれば勝ったも同然だったのだけどな。そんな楽は許してくれないらしい」
ヴェロニカもそれに同意する。
「敵もなかなか狡猾だな。カイト殿の弱点、性格を調べ上げた上で入念に計画を練ってくる」
「確かに。そこが我が師匠と雪の魔女の大きな違いかもな」
無論、師匠も敵対者には慈悲のかけらもない策略を練るが、ここまで陰湿で卑劣な真似はしない。
師匠ならばもっと直情的というか、正々堂々と娘をさらい、その上で交渉に持ち込むだろう。
やはり雪の魔女だけにアナスタシアという女性はその心まで冷たく凍り付いているようだ。
さて、その魔女とどうやって戦うか、それが目下の問題であった。
俺はそのことをヴェロニカに相談する。
「戦うのか? 鮮血の魔女と伍する存在の大賢者と正面からやりあうつもりなのか?」
「正面からやりあうつもりですよ」
「無謀だ。いくら貴殿がシーモア殿の弟子とはいえ、まともにやり合ったら勝ち目はあるまい」
「まあね」
大賢者と戦って勝てる、など口にするほど俺はおごっていなかったし、頭もおかしくはない。
冷静に考えれば俺は雪の魔女に敗北するだろう。
「だが、クロエが人質に取られている以上、下手な真似はできない。ならば向こうの条件通り、俺たちだけで雪の魔女様の館におもむいて頭を下げて説得するか、正々堂々戦ってぎゃふんと言わせてクロエにかけた呪いを解くしかない」
俺がそう言うと娘もうなずく。決意に満ちた目で。
「わたし、アナスタシアさんと少しだけ話したけど、そんなに悪い人じゃないと思うの。話し合ってお互いに理解できれば平和的に解決できるよ、きっと」
それはどうだか分からないが、ともかく、娘はやる気満々のようだ。
それを見てヴェロニカは吐息を漏らすが、結局は俺たちの意志に従ってくれた。
「未来の婿殿と娘がそういうのならば我も腹をくくるしかないな」
ヴェロニカはその美しい眉根をつり上げるとこう宣言した。
「神よ、この戦いをご照覧あれ、この心優しき父と娘に祝福あれ」
その言葉を聞いた俺たちは、紅茶を飲み干すと、雪の魔女の館に向かう準備を始めた。
雪の魔女、ヴェロニカの館はリーングラード公国内にあった。
少なくとも魔女の指輪が指し示した地図の館は公国の山奥を指さしていた。
皇女いわく、大賢者ともなると本国だけでなく、各国に私邸や研究所、それに隠れ家のようなものを構えているものらしい。
「その中のひとつにわたしたちは行くんだね」
娘は言う。
「その通り」
ヴェロニカは肯定するが、こうも付け加える。
「今、私邸や研究所と言ったが、これからおもむく場所は私邸というよりもちょっとした小城だな。なんでも数百年前に途絶えた伯爵家の古城を買い取ったそうで、金城湯池の名城として知られていたらしい」
「金城湯池?」
娘は聞き慣れぬ単語に「ほえ?」という顔をしている。
国語の成績はいいはずだが、金城湯池なんて言葉は試験にはなかなかでてこないだろう。古典的な軍事用語だ。娘に説明をする。
「金城湯池とは難攻不落と同義語だな。要は雪の魔女の館はがちがちに固められていて容易に落とすことはできない、ということさ」
もっとも、と俺は続ける。
「今回は別に城を落としに行くわけじゃないから気にしないでいい。こっちには招待状があるんだ。内部には通してくれるだろう」
「問題はどうやってアナスタシアさんを説得するかだね」
「まあな、平和的に解決できればそれが一番だ」
そう言うと俺はヴェロニカを見つめる。
ヴェロニカは頬を染めるが、勘違いされたら困るので手短に用件を伝えた。
「皇女殿下、雪の女王の詳細についてすべて話して貰えませんか?」
その言葉を聞いたヴェロニカは一瞬だけ残念そうな顔を浮かべるが、表情を取り繕うと説明してくれた。
「雪の魔女、本名はアナスタシア。性別は女、年齢は不詳。300年ほど前に大賢者に列せられるがそれ以前の経歴は不明な点が多く、大賢者の中でももっともミステリアスな存在として知られる」
「経歴不詳なんですか?」
フィオナが尋ねるとヴェロニカはこくりとうなずく。
「我が配下の間諜を駆使しても有益な情報は得られなかった」
「なんの情報も得られなかったのですか?」
「出身はどうやらエルドラ王国ということ。その年齢は300年弱。確実な情報はこれくらいだ」
「女性というのは?」
「さてね、アナスタシアの股ぐらをまさぐって確認したわけではない」
ヴェロニカは冗談めかして言うが、俺たちは笑えない。娘の友人にスカートをめくらなければ雌雄の判別ができない男の子がいるからだ。
「しかし、皇女殿下もあまり頼りになりませんね。これではなんの情報もないのも同じではないですか」
吐息と同時に本音を漏らす。
それを聞いたヴェロニカは眉をつり上げる。
「これでも全力は尽くしたんだ。あの魔女の情報規制の方がわれらの上をいっている。それだけだ」
それに、と彼女は続ける。
「我は出所不明の情報、不確定の情報はあまり口にしたくないたちでな」
「逆に言うと、出所不明で不確定な噂のたぐいならある、と?」
ヴェロニカの宝石のような瞳をのぞき込むと彼女はうなずいた。
お聞かせ願いましょうか、俺がそう言うと、ヴェロニカは雪の魔女の昔語りを始めた。
その口調は遠い昔のおとぎ話を話す巫女のようであった。