新しいお風呂
数刻後、異端審問騎士団の副団長であるミリエルが呼び出した異端審問騎士団の団員が大量に押し寄せた。
悪魔と化したフェルディナンドの死体を押収すると、事情を聞くため、黄金の跳ね馬亭の店主に話を聞いている。
しどろもどろで冷や汗をかいているのはやましいところがあるのだろう。
スラムでこの手の商売をしていてやましいところがない人間などいない。しかし、店主は今回の事件には関わっていないようだ。あくまでフェルディナンドとその取引相手に場所を貸していただけと言い張る。
その話を横から聞いていると、現場で指揮を執っていたミリエルが話しかけてきた。
彼女は改めて深々と頭を下げると、礼を述べてきた。
「カイト殿、此度の助力、誠にありがとうございます」
「礼には及びませんよ。こちらの好きでやったことなのですから」
「しかし、もしもカイト殿がいなければ我々は全滅していました」
「そういえば部下の騎士殿は大丈夫ですか? 深手を負われたようですが」
「命に別状はない、……とは言い切れません。悪魔のかぎ爪には毒があるものですから。今、治癒専門の聖職者を呼んでいますが、間に合うといいが――」
ミリエルがそう言い終える前に俺は倒れている騎士の前に向かった。
回復魔法を施している騎士に場所を譲ってもらうと、俺が魔法を掛けた。
騎士たちの傷はすでにふさがっていたが、顔色が異常に悪い。皆、紫色に顔を膨らませていた。
呪文を詠唱すると、《解毒》の魔法を掛けた。
俺が魔法をかけると、過呼吸に陥っていた騎士たちの息が穏やかになり、紫色の顔色も徐々に肌色を取り戻していく。
その光景を見たミリエルはつぶやく。
「す、すごい、カイト殿は治癒魔法も得意なのですか!?」
「そうでもありません。しかし、先ほど、フェルディナンドの魔法特性を解析しました。毒物の魔法構成はおおよそ把握できます。それに併せて術式を変えただけですよ」
「さすがは我々が見込んだ魔術師だ。その実力は賢者クラスか」
「まあ、階級は第4ということになっていますがね」
そう言うと、俺は改めて彼女に尋ねた。
「先ほど、クロエから聞きましたが、ミリエル殿は俺に協力を求めるためにやってきたとか」
「ええ、公都でうごめく、邪教徒の一掃に助力していただきたくやってきました」
「なるほど、でも、これでリーングラードに巣くう邪教徒の一団は一掃できるのでしょう」
「ええ」
と、ミリエルは首を縦に振る。
「ならば俺もお役御免かな。不躾ですが、今回の働きに対して、褒美が欲しいのですが」
「褒美ですか?」
「駄目ですか? それなりに働いて公都の治安改善に協力したつもりなのですが」
「いえ、そんなことはありません。無論、用意します。後日、自宅に届けさせるので、言い値を言ってください」
「それでは今後、俺と娘、それに機械人形が静かに暮らせるよう取りはからってください。それが褒美ということで」
「……なるほど、無欲な方だ」
「うちのメイドや師匠が聞けばもっと要求しろ、というでしょうが、俺にとって今大切なのは、娘と静かに暮らすことですからね」
「分かりました。ならばそのように手配しましょう。なにか厄介ごとがあれば、いつでも公都にある聖教会異端審問騎士団の詰め所にやってきてください。助力します」
しかし、と彼女は補足する。
「我々は元々、貴方のような有能な魔術師を探していた。そして貴方がとてつもない有能な魔術師だと確認してしまった。今後も事件があればこちらも協力を願い出るかもしれませんが、それはよろしいか?」
「よろしくない」と言い切れれば楽なのだろうが、目の前の女性、ミリエルという人物はいかにも冗談が通じなそうだった。
それに目の前の女性は異端審問官である。
心証を悪くしたくない。
もしも彼女に疎まれ、これ以上身辺を探られるような事態になれば一大事である。
フィオナがホムンクルスであることが露見してしまうかもしれない。
そうなれば俺もお尋ね者である。
いや、お尋ね者になるのは一向にかまわなかった。ただ、そのことによって娘の将来がめちゃくちゃになってしまうのは耐えられない。
聖教会に捕まればよくて一生幽閉。最悪火あぶり。
帝国に捕まれば実験体にされること必定であった。
娘にそんな未来はふさわしくない。
フィオナの未来は、ごくごく平凡に暮らし、幸せな日々を過ごす、そう決まっているのだ。
それを阻害する因子があるのならば、取り除いておくのが筋であろう。
なので俺はあえて火中に飛び込むことにした。
異端審問官の協力者となれば、それ相応に遇してくれるだろうし、これ以上の詮索を受けない、そう計算したのだ。
「分かりました。役に立つかは分かりませんが、『善良な一市民』として、協力できることがあれば協力します」
と、ミリエルに握手を求めた。快く握手を返してくれるミリエル。
その力は女性にしては力強かったが、やはり女性の手で柔らかく、どこか暖かみがあった。
出会って間もなかったが、この女性は信頼できる。そう確信できた。
握手を終えると、俺は彼女に背中を見せた。
「カイト殿、どちらに?」
振り返ると答える。
「先ほども言いましたが、家に帰ります。年頃の娘がいまして、ひとりにさせるのも心配だ」
「それに一緒にお風呂に入らないといけませんしね」
と横にいたクロエが茶化してくる。
「ああ、そうだった。しかし、右肩を思いっきり負傷してしまったしな。今日は無理かな」
本気で落ち込む。それに悩む。
娘とお風呂には入れないのはいいとしてもこの肩の傷をどう説明するべきか、と。
大の大人、それも千年も生きた賢者が本気で頭を悩ませていると、ミリエルが解決策を提示してくれた。
「肩の傷ですが、今からやってくる治癒の専門家に依頼すれば三日で完全にふさがりましょう」
「まじですか、それは助かる」
「その間、風呂には入れませんが、私には妙案があります」
「妙案? ですか?」
「そうです。失礼ですが、明日、カイト殿の自宅に業者が参りますが、受け入れて貰えますでしょうか?」
「それはかまわないですが」
と言うとミリエルは早速、部下になにか指示をしていた。
「なにを命令したのですか?」
当然、尋ねてみるが、ミリエルは「当日までお楽しみあれ」というだけであった。
翌日、やってくる業者。
やってきたのはドワーフの建築士だった。
ドワーフの建築士は大工にてきぱきと指示を飛ばすと、三日でとあるものを完成させた。
完成したものとは最新の風呂場である。
火聖霊式の湯沸かし器に豪華な浴槽。それに内装も王侯貴族っぽくなっている。
異端審問騎士団からの心ばかりのプレゼントだそうだが、それを見たフィオナは喜び勇む。
「わーい」
と、飛び跳ねると、さっそく一緒に入ろうと、俺の手を掴んだ。
無論、断る理由はなかったが、娘と一緒に風呂に入るとこう思った。
ここは借家だけどこんなことをして大丈夫なのだろうか。
それに風呂場だけこんなに立派だと浮くな。
そう思ったが、口にはせず、素直に娘との入浴を楽しんだ。
久しぶりに娘に背中を洗ってもらう。
娘はスポンジでごしごしと背中を洗ってくれたが、途中でこんな台詞を発した。
「お父さん、なんだが背中が小さくなってない?」
父親としては嬉しい台詞である。その理由を察することができるからだ。
「お父さんが小さくなったんじゃなくて、フィオナが大きくなったんだよ」
フィオナに理由を話すと、娘は納得したようだ。
「そうか。わたしが大きくなったんだね」
その言葉を聞くと娘はにこにこと俺の背中を延々と洗っていた。
いつかこの背中がさらに小さくなったとき、娘は一緒に風呂に入ってくれなくなるだろうが、そのときが早くきてくれと思う気持ちと、永遠にくるなと思う気持ち、両方がせめぎ合っていた。