魔術師との戦い 後編 †
千年賢者であるカイトの肩には大きな氷の槍が刺さっていた。
先ほどフェルディナンドが放った《氷槍》が直撃したのだ。
普段のカイトならば難なく避けられる魔法であったが、その日のカイトはついていなかった。
自分の後ろに逃げ遅れた店員が居たのである。
見も知らない店員を守るため、肩に風穴を開けてしまった、というわけだ。
その後の魔法合戦は一方的な展開になった。
魔力、戦闘経験、そのどちらもカイトがフェルディナンドを上回っていたが、肩に大きな氷塊が突き刺さったままではどうにもならなかった。
激痛に耐えながら放った魔法はすべて相手に打ち消されるか避けられる。
一方、敵の魔法はことごとく命中する。
致命傷を避けるため、魔力を防御用にさくしかない。
じり貧である。
このままでやられるな。
そう思ったカイトであったが、後悔はしていない。
女をかばったのは自己責任であった。それをもって敗因にしたくない。そんな格好の悪い父親にはなりたくない。
それにカイトにはまだ秘策がある。
それさえ実行できれば、目の前の男など瞬時に打ち倒せる。
そう思っていたが、その機会はなかなか訪れない。
カイトの策はときと場所を選ぶのである。
そのときが訪れるまで堪え忍ぶしかなかったが、そのときは想定したよりも早くやってきた。
カイトがフェルディナンドの13発目の《火球》を打ち消した瞬間、店の扉が開かれる。
そこから現れたのはメイドのクロエだった。
そこまでは想定内であったが、想定外の人物が多数いた。
白銀の鎧をきた連中である。
一目でそいつらが異端審問騎士団と分かった。千年も生きていれば紋章を見ただけで所属する国や組織が分かる。それに異端審問騎士団はカイトが一番恐れている組織でもある。
フィオナの秘密が露見すれば、敵となる団体だからだ。
まったく、計算外だな、そう悪態をつきたくなったが、クロエは説明してくれる。
「あるじ様、安心ください。このものたちは味方です」
「味方ね。それは助かる」
そう皮肉を言ったが、異端審問騎士団の連中はそれを証明するかのように剣を抜き放ち、カイトの前に立ちはだかり、壁となってくれた。
「カイト殿、助力する!」
我はミリエルなり! そう叫んだ女は魔力を帯びた剣を振り回しながら、フェルディナンドに詰め寄った。
フェルディナンドは魔法を連射し、その進行をとめようとするが、聖剣と聖なる盾、それに魔法の鎧で武装した聖騎士たちには無力であった。
これは『秘策』を使うまでもないかな。
そう思ったカイトであったが、それは甘かったようだ。
追い詰められたフェルディナンドは思わぬ行動に出た。懐からナイフを取り出すと、それを天高くかざし、こう叫んだ。
「もはやこれまで。こやつらに捕まれば俺は絞首刑だ。だが、ただでは死なぬぞ」
フェルディナンドはそう言うと、血迷ったのか、ナイフを自分の心臓に突き立てる。
そしてナイフを抜き放つと、そこに秘薬のようなものを挿入した。
十数秒後、フェルディナンドの身体に変化が訪れる。
先ほどまで人間の形をしていた身体が泡立ち、変化を始めた。
自身の心臓から大量に流れた血液が凝固し、それが牙となり、角となり、異形のものへと変化していく。
次第に形作られるそれは、聖教会の経典に記載されているとある種類の生き物にそっくりであった。
異端審問騎士団の副団長であるミリエルはその生物の名前を口ずさむ。
「あ、悪魔め」
そう言語化した瞬間、悪魔の右手は伸び、そのかぎ爪がミリエルの部下を襲う。
悪魔の一撃、
横払いは聖なる鎧で守られた部下の身体に致命的な裂傷を与える。
紙でも切り裂くように鎧を切り裂き、部下を数メートル吹き飛ばした。
皆、剣の訓練を欠かさない猛者どもである。
その屈強な部下が一撃で半減した。
そして二撃目で全滅した。
少なくとも二回目の攻撃で、戦闘を行える部下はいなくなった。
まさに悪魔の所行であった。
その姿を呆然と見守ることしかできないミリエル。
あまりのことに三撃目が自分に振り下ろされていることにさえ気がつかなかった。
(このままでは死ぬ)
と思ったのは、カイトの腕に抱かれ、酒場の床を転げ回る直前であった。
悪魔が振り下ろした一撃は先ほどミリエルが居た場所に大穴を開けていた。あのままあの場所似ればミリエルは挽肉になっていたことだろう。
ミリエルは自分を救ってくれた勇者に感謝した。
「カイト殿、助かります。あなたは私の命の恩人だ」
「それは助かってから言うんだな」
カイトがそう言うと、呼応するように悪魔は笑った。
「ソノトオリダ、コレカラオマエラはオレにナブリゴロシにサレルんだ。さあ、カミにイノレ、セメテラクにシネマスヨウにと」
「……というわけだ。正直、形勢不利だな」
「っく、我々はこんなところで敗北するというのか。悪魔に屈しないといけないのか」
「順当に行くとそうなるな」
しかし、とカイトは続ける。
「俺には秘策がある。それがあれば倒せる、はず」
「秘策があるのですか? カイト殿には」
「一応な」
「なぜ、もっと早くその秘策を使わないのです。右肩にそんな負傷までされて」
「まあ、これは人助けだよ。その後、やつを倒すチャンスをうかがっていたんだ。それにやつがぼそっと口を滑らすのを待っていた」
「口を滑らす?」
「ああ、悪党ってのはたいてい、自分が絶対的有利になるとぼろぼろと自分の悪行を話したがるんだ。俺はそれを狙っていたんだが、その前にお前らが突入してきて計算が狂った。まさか追い詰められたあいつが悪魔化するとは思っていなかった」
「申し訳ない。我々が突入さえしなければ」
「筋違いの話だよ。まあ、元々、そんな小賢しい手段であいつの口を割らせようなんて考えが甘かった。あいつの口から学院に潜んでいる悪党の名前を聞けないのは残念だが、このままやつを倒す」
「それならば安心してください。学院に潜んでいる邪教徒のリストは押さえてあります。あと、必要だったのは証拠だけ。その証拠も今押さえました」
「悪魔化したあいつの存在自体が証拠か」
「ええ、フェルディナンドの自宅を探ればさらに証拠も出てきましょう」
「なるほど、ならばあいつを倒してしまってかまわない、というわけだな」
カイトはそう言うと、にやりと笑った。
「カイト殿はあの化け物を倒せるのですか?」
「倒せるよ。こんなところで死ぬものか。早く家に帰ってフィオナと一緒にお風呂に入るんだ。娘は年頃でね。あと何年、一緒にお風呂に入ってくれるか分からない。それに来週、クッキーを焼いてくれる約束をしてある。それに備えてこの一週間、甘いものを一切口に入れていないんだ。娘のクッキーを口に入れるまでは死ねない」
「…………」
ミリエルはカイトの親馬鹿ぶりに呆れているようだ。
しかし、それでもかまわなかった。
カイトが親馬鹿である事実は変わらないし、今夜、娘と風呂に入る予定にも変更はない。
来週、娘のクッキーを食べる予定も変える気はさらさらなかった。
カイトはその予定を滞りなく実践するため、右手に魔力を込めた。
『秘策』を使うのである。
自分の右肩に刺さった氷の槍を抜きとる。
氷の槍が抜けると、それまで出ることのなかった血が滝のように噴き出したが気にはしない。
これから使う魔法にはこの氷塊が必要だったからだ。
呪文を詠唱する。
カイトが唱える魔法は《解析》の魔法だった。
フェルディナンドが放った魔法、《氷槍》を分析することにより、フェルディナンドの魔力を徹底的に分解するのだ。
フェルディナンドの得意とする魔法、詠唱時の癖、身体に宿る魔力、風魔法が得意なのか、水魔法が得意なのか、氷の破片からはあらゆる情報が読み取れる。
それを分析し、この男にもっとも効果のある魔法を選択する。
ただ、分析を行うには時間が掛かる。それだけがネックであったが、その時間もクロエとミリエルが作ってくれた。
茫然自失から解放されたミリエルは、副団長らしい剣技で悪魔に挑む。
華麗にして剛直な剣舞が悪魔の身体を襲う。
フェルディナンドの身体には無数の傷ができあがる。
しかし、できあがった傷も瞬時に回復する。
悪魔と化した、人でなくなったフェルディナンドは人間にはない圧倒的な回復力を備えていた。
やつを殺すには特大の一撃が必要なようだ。
一方、クロエもその特大の一撃を選定する隙を作ってくれる。
ミリエルが華麗な剣技ならば、クロエは剛の拳で援護してくれた。
ずどん、という音が出そうなほど強力な一撃を見舞っている。
ミリエルに攻撃が向かうとクロエは悪魔の裏に回り込み、一撃を加える。
悪魔がクロエに攻撃を加えようとすると、今度はミリエルが剣舞を打ち込む。
その繰り返しであった。
「クソ、コザカシイオンナドモめ!」
悪魔はそう叫んでいた。
実際、クロエとミリエルの即興のコンビネーションは見事で端から見ていてもこぎみがいい。もしも緊急事態でなければこのまま鑑賞していたいところだったが、その時間的余裕はなさそうだ。
ふたりはまだまだ戦えそうであったが、こちらがそうではない。
先ほどから肩口から流れるおびただしい量の血液が着実にカイトの体力を奪っていた。
このまま時間が経てば気を失うか、出血多量で死ぬだろう。
それだけは避けたい。
そう思った瞬間、《解析》の魔法は終わった。
フェルディナンドの弱点はこれで丸裸だ。
分析結果を冷静に口にする。
「……なるほど、やつは土の魔力がほとんどないのか」
魔力測定は、火B 氷A 風 B+……と細かく出てくるが、土の項目だけデータが出てこなかった。
基本どのような魔術師でもFランクの数字は出すものであるが、なかにはこのようなものもいる。
特定の分野だけまったく魔力がないのだ。
あるいはそれが災いし、この男は第4階級の魔術師までしか出世できなかったのかもしれない。それが劣等感となり、悪事に手を染めるようになったのかもしれない。
それは本人に尋ねてみなければ分からなかったが、尋ねる機会は永遠にないだろう。
一度、悪魔化した人間は二度ともとには戻らない。
悪魔になった瞬間、もはやその体も心も人間ではないのだ。
もう人は殺めないと誓ったが、悪魔は別である。
この先、この悪魔を活かしておいても人の災いにしかならないだろう。やがてこの男は自我さえ失い人を殺すだけの存在となるだろう。
カイトはフェルディナンドを殺す決意を固めた。
クロエとミリエルに下がるように命じると、呪文を詠唱する。
「بيرس ضد الأرض.」
カイトが唱えた呪文は、禁呪魔法のひとつであった。
《土竜の背びれ》と呼ばれる魔法で、大地の地脈を利用し、大地から無数の土の槍を召喚する魔法である。
カイトから解き放たれた魔力は大地を伝わり、地脈を刺激し、次々と地中から固い岩盤を地表に呼び出す。
鋭利な刃物のように尖った岩盤が次々と悪魔の身体に突き刺さる。
悪魔はそのつど、悲鳴を上げる。そのつど、欠損した部位を復元させ、回復させるが、それは永遠に続くことはなかった。
悪魔の身体を手に入れたフェルディナンドであるが、無尽蔵に魔力があるわけではないのだ。
ましてや今、フェルディナンドが受けているのは土魔法の禁呪魔法、魔力が持つわけがない。
悪魔は36本目の岩盤の槍で突き刺されたと同時に絶命した。
最後にうめき声を上げると、そのまま動かなくなり、生命活動を終えた。
その姿を見ていたミリエルはぼつりと漏らす。
「すごい、これがカイト殿の力……」
ミリエルは悪魔を初めて見たときよりも呆然とした表情でカイトの力に魅入っていたが、やがてその力の持ち主が負傷していることに気がつくと、こちらのもとまでやってきて、回復魔法を掛けてくれた。
さすがは聖教会のエリート騎士だ。回復魔法はカイトよりも上手かった。