魔術師との戦い 中編 †
千年賢者が思わぬ苦戦を強いられてる一方、そのメイドであるクロエも戸惑っていた。
あるじの命令により、店内の人間の避難を誘導し終えると、思わぬ人物に声を掛けられたからだ。
先ほどからクロエたちを尾行してきた女である。
この瞬間、このタイミングで声を掛けてくるとはなにごとか、そう思ったが、クロエはその女に対処せざるを得なかった。
いや、尾行していた女ではなく、その後ろからやってきた重武装の人間たちを無視することはできなかった。
重武装の騎士たちは、クロエの前にやってくるとクロエに書状を見せた。
その書状にはそのものたちの身分が記載されていた。
「聖教会所属、異端審問官――」
見れば聖教会の刻印が押されている。偽造不可能のもので、彼らが身分を偽っている可能性は限りなく低い。
クロエがその書状を見つめていると、勇壮な騎士たちの後ろから女性が現れた。
白銀の鎧を身にまとった美しい女性だった。ただ、美しいだけでなく、凜とした気高さと気品も兼ね備えている。
その女騎士は、クロエの前にやってくるとこう言った。
「私は聖教会に所属する異端審問騎士団の副団長ミリエル・フォン・マテウスである」
書状とともにそう自己紹介をする。
「異端審問官――」
その言葉を聞かされたクロエの肝は冷える。
もしもクロエが人間ならば、背中に冷たいものが走っただろう。しかし、機械人形のクロエには汗をかく機能はない。
その代わり機械人形であるクロエは表情をコントロールする機能があった。
クロエは焦っていることを悟られないよう能面のような表情で問うた。
「異端審問官様ですか。しかもその中でもエリートである異端審問騎士団の副団長様がなに用ですか?」
愛想笑いを浮かべながら言葉を選んだ。
異端審問官は聖教会所属の聖職者である。
邪教徒でもない限り、恐れる存在ではないのだが、クロエには心配事があった。
(あるじ様は邪教徒ではないですが、聖教会が禁じている生命の創造に深く関わっている。教会が禁じているフラスコの中の小人を生み出した天才賢者)
もしもそのことが露見すれば、たちまち賢者カイトは指名手配され、リーングラードどころか、この大陸にさえ居場所はなくなるだろう。
それだけは避けたかった。
なので精一杯愛嬌を振りまいた。
しかし、目の前の女性、このミリエルとかいう異端審問騎士団の副団長様はなんのためにやってきたのだろうか。
その横にいる女、あるじは彼女がリッテンを押しつけてきた、と言っていたが、彼女も異端審問官なのだろうか。
そんな視線を送っていると、ミリエルという女性は話しかけてきた。
「なにか用がある、とお嬢さんは尋ねられたが、無論、用はある。我々異端審問騎士団は暇ではないからな。用もなくこんなところにやってきたりはしない」
と、彼女は言うとあっさりクロエの疑問を氷解してくれた。
「単刀直入に言おう。我々は貴殿の主であるカイトという魔術師を疑っている」
「疑っている……のですか?」
思わず言葉がよどむ。
「我が主は善良な魔術師ですが、なにを疑うというのですか」
「先日の学院を標的にしたテロ事件をあっさり解決するその手腕、それに帝国でのグラニッツ家継承問題への関与、どれも一介の魔術師の手腕ではない」
(やはりあるじ様は活躍されすぎましたか。たしかに目立ちすぎです)
そう嘆いたが、いまさら嘆いても仕方ない。あるじの行動は正しかったと思っているし、今さら過去の行動は変えられない。今、クロエがすべきなのは弁明であった。
「なるほど、たしかに一介の教師ではありませんが、それでもそれらの行動は正義の行動です。誰からも後ろ指をさされるものではありません。むしろ、褒められる行為だと思いますが」
その弁明にはミリエルも同意してくれる。
「無論である。我々はその行動を咎めにきたのではない。いや、そもそもカイト殿に敵意があるわけではないのだ。彼の力を借りにきたのだ」
「疑っている、と言っていましたが」
「疑っているのはその身元とその実力だ。とても第4階級の魔術師とは思えない」
「……なるほど」
「我々には正義を愛する強力な魔術師の力が必要なのだ」
「それで、あるじ様の力を、ですか?」
「その通り。我々は昨今、このリーングラードで横行している人身売買に頭を悩ませている。闇夜でうごめく悪魔信奉者どもにもな。カイト殿ならばやつらの一掃に力を貸してくれる、と、とある方から助言があり、カイト殿が本当に頼りになるか、確かめにきたのだ」
「そのお方とは?」
「帝国法務長官イシュタット伯爵」
「イシュタット伯爵……」
クロエの回路に即座にその人物名が索引される。
「たしか先日、我があるじがイスマ様の家のお家騒動を解決されたとき、大事にならないよう取りはからってくれた人物ですね」
「そうだ。彼から紹介を受けた。もしもリーングラードに山積する諸問題を一掃したければあの男の力を借りるがよい、と」
ミリエルはそこで言葉を句切ると続ける。
「あの男ならば必ず我らの力になると、太鼓判を押してくれた」
「ならばなぜ、すぐ接触されなかったのです。こんなところで頼まれても困ります」
「それは素直に謝まろう。しかし、我々は聖教会の正義を預かるもの。容易に部外者の協力は頼めない。だからカイト殿が真に頼りうる人物かどうか、我々と同じ価値観を共有するものかどうか、確かめるためにこのような真似をさせてもらった」
「このような真似?」
クロエがそう言うと、先ほどクロエたちを尾行していたものが一歩前に出る。
ミリエルが説明する。
「このものは我々の間者だ。人身売買を組織的に行う邪教徒どものアジトに潜入させ、その証拠である赤子を持ってこさせた」
赤子には烙印がおされていただろう? と続ける。
クロエはうなずく。
「あれは商品である証。我々はリーングラード魔術学院に邪教徒どもの一派が潜んでいることを知っていたが、それが誰であるかまでは知らなかった。だからその学院の教師であるカイト殿に預け、邪教徒どもの反応を探ったのだ」
「つまりあるじ様は当て馬にされたのですね」
ミリエルは悪びれずに言う。
「それと同時にカイト殿の為人も把握させてもらった。見ず知らずの赤子を受け入れ、自分の家に置き、その親まで探そうとする。凡百な人間にはできないことだ」
「それはフィオナ様にも感謝してくださいまし。足を棒にしてリッテンの両親を探しているのはフィオナ様たちなのですから」
「なるほど。父親の正義心は娘さんに遺伝しているというわけか。素晴らしいことだ」
「…………」
その言葉を聞いたクロエはほっと胸をなで下ろした。
ミリエルの口調、先ほどからの話を総合するに、どうやらこの異端審問官はフィオナの正体に気がついていないと分かったからだ。
ただ、純粋にあるじの力を借りるため、あるじの正義心を見極めるためにここまでやってきたようだ。
カイトとしては迷惑千万な話であるだろうが、クロエとしては助かる話でもあった。
先ほど黄金の跳ね馬亭で対峙した魔術師。
あるじは今頃、あの男と戦闘中である。
あるじは世界最強の賢者であるが、まさか、ということもある。
クロエはあるじの実力を信じ切っていたが、逆にその甘い性格も熟知していた。
例えば逃げ遅れた客を人質に取られたり、もしくはその客をかばってダメージを受ける、などという事態も想像できる。
実力的には世界有数でも、そういった甘さがその実力を100パーセント引き出せない事態は容易に想像できた。
実際、黄金の跳ね馬亭の中から聞こえる魔法の炸裂音はやまなかった。
まだ戦闘が続いている証拠である。
クロエはミリエルの手を取ると、彼女と彼女の部下たちの協力を願った。
ミリエルは腰に下げた聖剣を抜き放つと、部下に突入をするよう命じた。