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公都のスラム街

 狂錬金術師フェルディナンドとの待ち合わせ場所は、うらぶれたスラム街の一角であった。


 リーングラードの公都イシュリーンは大陸でも屈指の豊かさを誇るが、それでも貧しいものは存在する。


 農村や国内外の僻地から流民が押し寄せ、集団を形成し、スラム街を構築していた。


 公都の中心地から離れた場所、丁度、魔術学院がある場所の反対にスラム街は存在する。


 そこは公都の闇社会を凝縮したような場所で、暴力、窃盗、薬物、売春、およそ人間の負の部分をかき集めたような犯罪が日頃から行われる場所であった。


 それらを象徴するかのように、スラム街は、昼間でも日差しが届かない。


 元々日差しも水はけも良くない谷間にある上に、建物が密集しているため、物理的に陽光が届かないのだ。


 それゆえに昼間でもまるで夜のように薄暗く、陰気であった。

 俺とクロエはそんなスラム街に足を踏み入れる。

 スラム街に入るとまず視線を感じる。

 スラムの住人はよそ者と住人を瞬時に見分ける。

 よそ者であればまず品定めをし、金になるか否かを判断する。

 たとえばカモになりそうであればぼったくるだろうし、

 あるいは弱そうであれば暗がりに引きずり込んで身ぐるみをはぐ。


 それがスラムの住人の基本姿勢というか生存本能なのだが、幸いなことにスラムの中に入って一時間が経過しても襲ってくる住人はいなかった。


 クロエはほっと胸をなで下ろしながらこう漏らす。


「あるじ様、安心しました。スラムというからには入って30秒で身ぐるみはがされると思っていましたが」


「彼らはああ見えて賢いんだよ。俺たちの身なりを見て逆に怪しんでいるのだろう」


「クロエたちの身なりですか?」


「クロエだけを見れば世間知らずの貴族の令嬢が迷い込んできたようにも見えなくはないが、その横にローブを着た男がいる。彼らを警戒させるには十分なんだろう」

「実際、あるじ様は大陸有数の賢者ですしね」


「有数かはしらんが、まあ、そこらのごろつきには負けないわな」


 そう言うと俺は警戒のレベルを一段上げた。

 ごろつきが近づいてきたからではない。逆に離れていったからである。


「どうやらスラムの最深部に到着したようだぞ。ここからはごろつきさえ立ち入らない区画とは本当らしい」


「ですね。住人さえ見かけません」


「ここから先は、スラムの犯罪組織の根城だ。カタギはもちろん、闇の世界の住人も用がなければ近づかない」


「フェルディナンドという男はそんな場所を待ち合わせ場所に指定してきたのですか?」


「そうだ」


「ますますその男が怪しくなってきましたね。組織的に非合法な素材を売買するにはぴったりです」


「だな。フェルディナンドをとっ捕まえれば、学院にいる悪徳魔術師に繋がる物証や証言を得られるかもしれない」


 俺はそう言うと、表情をそのままに小声になった。

 ごくごく微細の声でクロエに語りかける。


 機械人形のクロエはその言葉を拾ってくれる。


「誰かに付けられているのは分かっているか」


「はい、もちろん。クロエの探知センサーをなめないでくださいね」


「なめていないよ。しかし、面倒だな」


「確かめましょうか?」


「どうやってだ?」


「シーモア流魔術の極意によって」


「捕まえて拷問に掛ける、という意味か」


「ええ、この前、シーモア様にならいました」


「一生実践しないことを祈るよ」


「それは残念です」


 ですが、放置はできません、とクロエは主張する。


「――と、俺も最初は思ったんだが、ここは放置でいいと思う」


「どうしてですか?」


「まず尾行者に敵意が感じられない」


「ですが、尾行する、という行為自体、敵対行動に思えますが」


「赤の他人ならばな。しかし、見知った顔だ」


「見知った顔? クロエのデータベースにはない顔ですが」


「そりゃそうだ。会ったことはないはずだからな」

「あるじ様はクロエがいない間に新しい女を作ったのですか」


 と、クロエは眉を逆立てるので、弁明しておく。


「尾行している女はこの前、俺とフィオナに赤子を渡して逃げ去った女だ」


「リッテンをあるじ様に押しつけた女ですか!?」


 クロエが珍しく驚いたような顔をする。


「間違いない。あの図々しい顔はそうそう忘れないよ」


「ならば余計、あの女を捕まえるべきではないですが? 我々の目的のひとつにリッテンの母親を探すというものがあります。母親が目の前にいるのですから、確保して事情を聞かないと」


「あの女が母親ならばそれでいいのだけど」


「違うのですか?」


「最初は俺もあの女が母親かと思ったが違うようだ。いや、確実に違うだろうな」


「根拠はあるのですか?」


「俺たちを尾行していること自体が根拠だよ」


「なるほど、実の母親ならばそんな真似する必要がありませんものね」


「ああ、しかし、それで逆に謎が深まったな。あの女が母親でないとすると、どうして俺にリッテンを預けたのだろうか」


「気になりますね」


「そうだな」


「やはりここはシーモア流魔術の奥義で」


「いや、それはやめておこう。俺たちの目標はリッテンの父母を探すことだ。それはフィオナたちが今、一生懸命やってくれている。それに人身売買組織の全容が明らかになれば、そっちの方面から分かるかもしれない」


「つまり、人身売買組織を見つけ出し、そちらを壊滅に追い込む方がてっとり早い。ということですね」


「その通り。あの女の正体は分からないが、まあ、悪漢どもから赤子を守って俺に押しつけるような女だ。悪いやつではあるまい」


「そうですね」


「ならばここは無視の一手だよ。それにこちらから仕掛けなくてもそのうち向こうから接触してくるだろう。そのとき、改めて尋ねればいい」


「もしもそのとき、正体を明かさなかったら?」


「そのときはシーモア流魔術の奥義の片鱗を見せればいい」


「拷問ですね」


「もっとエレガントに言え。尋問だよ。魔法を使って深層意識に語りかけて聞き出すだけだ」


「なるほど、たしかにエレガントですね」


 クロエはそう言って微笑むと、道の奥にある建物を指さした。


「どうやら目的地に到着したようですよ」


 クロエが指さしたのはうらびれた酒場であった。


 いかにもスラム街にありそうな小汚い石造りの建物で、酒場の名前だけがやたらと立派で不釣り合いだった。


「黄金の跳ね馬亭か……」


 建物の名前をつぶやく。


 ここに件の魔術師、フェルディナンドはいるはずである。

 俺はそのフェルディナンドを捕まえ、やつから情報を聞き出すつもりであった。 


「さて」


 と、ローブの裾を巻くし上げると、心の準備を固めた。


 フェルディナンドという男が潔い男であればいいが、得てして闇の魔術に手を染めた人間は往生際が悪い。


 捕縛しようとすれば必ず戦闘が発生するであろう。


 フェルディナンドという男が魔術協会に所属していたころは第4階級の魔術師だったそうだ。


 ならば余裕で倒せるはずであるが、おそらくそうそう上手くはいくまい。


 魔術師教会に所属していた頃にその階級ならば、今はもっと上の実力を身につけているはずである。


 魔術協会を脱会し、闇落ちした魔術師は往々にして手強い。

 真っ当な魔術師が手を染めない暗黒の秘術を極めていることが多いからである。

 魔術協会が禁止している秘術を手にせんがために魔術師ギルドを捨て去るのだ。その代償は魅惑的で美味しくなければ意味はない。

 ゆえにこれから対峙する男を凡百の魔術師と侮らない方がいいだろう。


 第7階級、あるいは第8階級くらいの魔術師と対峙するような気持ちでいなければ返り討ちにあうかもしれない。


 そう思った俺は持ってきた杖に力を込めながら、黄金の跳ね馬亭の扉を開いた。

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