皇女襲来
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その日、僕と父様は一人の貴族の対応に追われていた。
ハウムクーゼン卿。それなりの家柄の貴族なのだけれど、家柄のみが取り柄と言っても差し支えないほど、人間としての評価は低い人物だ。
曰く、地位と名誉ばかりにこだわっている。曰く、女好きで、重税を課し、払えないところからは娘を連れ去ったあげくに、その家を潰す。
しかし、あくまで噂に過ぎず、どうにかして隠蔽しているのか、調査をしても証拠を押さえられたことがない。裏では悪質な取引もしているらしい。
「陛下。本日はお目通りを適いました事、恐悦至極にございます。陛下におかれましても—―—」
「そのような前置きは不要だ、ハウムクーゼン卿。本日の用向きは何であろうか」
恭しく頭を下げたハウムクーゼン卿に、父様は少しばかり不機嫌さを滲ませる声で答えた。
「はっ。では失礼いたしまして。陛下、私が耳に挟んだところによりますと、ルグリオ様がご婚約なされたとか」
ハウムクーゼン卿の視線が、一瞬、僕の方へと向けられた。
「その通りだ。今はまだ二人とも若く、式を上げてはいないが、時期が来次第、執り行う予定だ」
父様はそれを咎めることはせず、話の先を促した。
「しかし、陛下。何でもお相手はアースヘルム王国の者だと聞いております。あのような国の」
「何か問題でもあるかな? 私とルディック国王は旧知の中であるし、アリーシャ王妃とアルメリアも親密良好な関係を築いている。この婚約により、我が国とアースヘルムの関係はより深まるだろう。アースヘルム王国は学問、芸術にも多大な力を注いでおり、二国間の交流も良い影響を与えてくれるだろう。何の不満が出ようものか」
父様はハウムクーゼン卿の言葉を遮ると軽く睨みつけた。
ハウムクーゼン卿は野心も強く、エストラーゼ帝国派の人間なので、この婚約が気に入らないのだろう。どうにかしてやめさせたかったようだが、この場では父様の言葉を打ち消すだけの理由を述べることができず、全く納得していない様子ながらも引き下がっていった。
「……ふう。しかし、何というタイミングだ。やはりあの手の人間の嗅覚だけは恐ろしいものを感じるな」
僕も父様と同意見だった。なぜなら、そのエストラーゼ帝国の使者からの手紙によると、数日のうちにニルヴィアナ・エストランテエストラーゼ帝国第一皇女がこちらへ訪問するというのだから。
当日、僕たちはルーナも交えて帝国からの訪問を待った。
ハウムクーゼン卿が何を考えているのかはわからないけれど、最初からこちらの手を見せておくのは、どうせすぐにわかってしまうことだし、不測の事態に備える意味でも、ルーナにはずっと近くにいて欲しかったからだ。
「陛下。ニルヴィアナ・エストランテ様とお付きの方々がお見えになりました」
文官の一人が謁見の間の入り口から入ってきて、父様の前で膝をついた。
「うむ。こちらまで通してくれ」
「はっ。かしこまりました」
しばらくすると、玉座の間の扉が開かれ、燃えるような赤い髪で、緋色のドレスを纏った、つり目の美しい女性が姿を見せた。後ろには数人の従者と思われる人たちや、騎士の人たちの姿もみられる。
「長らく、ご挨拶もせず申し訳ありませんでした、ヴァスティン様」
「いや、そのようなことはない。よくぞ参られた、ニルヴィアナ姫」
その後、近況の報告やお世辞のやり取りがあり、ようやく、父様は本題を切り出した。
「して、本日は何用で参られたのかな?」
「はい」
そこでニルヴィアナ姫は僕の方を、正確には僕の隣のルーナの方を睨んだような気がした。
「以前より申し上げておりました通り、私とルグリオ様の婚礼をお願いに参りました」
以前より、と何度も申し込んでいるかのような話し方だったが、僕は直接話したことなどほとんどない。せいぜい、何度かパーティーで顔を合わせた程度だ。しかし、この口ぶりではおそらく手紙等は何度も送られてきているのだろう。僕が知らないだけで。
「その件については、以前から変わってはいない。この通り、今ではアースヘルムからルーナ姫もお預かりしている」
「で、ですが」
「これ以上何もないのであれば、これでお引き取り願おう」
父様に睨まれ、唇を噛みしめそうな様子だったニルヴィアナ姫は、もう一度ルーナの方を睨みつけると、大変失礼いたしましたと別れの挨拶をして退出していった。
「ルーナ、大丈夫だったかい」
「はい、私のことは心配なさらなくとも大丈夫です」
ルーナの表情からは、一見して怯えなど負の感情は読み取れなかった。
「そうはいってもやっぱり心配なんだよ、僕は。あの視線は何か起こそうとしても不思議じゃなかったからね」
「ありがとうございます」
その懸念は現実のものとなる。
「……あのルーナとかいう小娘は気に入りませんわね。私のルグリオ様を横から掻っ攫うなんて」
ニルヴィアナは自分こそがルグリオの妻としてふさわしいと信じて疑っていなかった。
自分の幸せこそが優先事項であり、他のことなどどうでもよかった。
以前、パーティーで最初に顔を合わせた時から、あの人と一緒ならば私が幸せになれる、そしてそれこそがあの人の幸せでもあると、そういった独善的な思いに囚われていた。
そんなニルヴィアナにとっては、突然出てきたあんな乳臭いガキが、扁平で生理すらきていないようなお子様が、ルグリオの伴侶だなどとは断じて認められなかった。もっとも当のルーナからは、睨みつけてきて怖い人だな程度にしか思われてはいなかったが。
「私の幸せな未来のためにも、あの小娘には消えてもらわなくてはなりませんわね……」
幸い、まだこの国に滞在する期間は残っている。
不審に思われないうちに行動を開始しなければ。
ニルヴィアナはそう思って、まずはコーストリナ王国に協力者を作るべく行動を開始した。