とある一日
僕が公務をこなしていると、扉をノックする音が聞こえた。
誰だろう? 昼食にはまだ少し早い時間だし、何か問題でも起こったのだろうか?
「どうぞ」
「失礼します」
僕が声をかけると、入ってきたのは白と紺のエプロンドレスを身に纏ったルーナだった。頭には白いブリムを被っている。手で押しているキッチンワゴンには、ポットとカップ、それにクッキーが入れられたお皿が乗っかっていた。
「紅茶とクッキーをお持ちしました。お疲れの時には甘いものがいいと聞いたので」
「う、うん。ありがとう」
僕が動揺している間に、ルーナは紅茶を温めて持ってきてくれる。
「アルメリア様に、お嫁さんとはどのようなことをしたらよいのでしょう? とお聞きしたところ、一緒にいてあげればいいのよ、とおっしゃられていたのですが、私が納得していないようだと思われたのか、紅茶の入れ方と、お菓子の作り方を教えてくださって。それで、作ったものをお持ちしました」
「ありがとう、いただくよ」
ルーナの作ってきてくれたクッキーは、焼き立てで、サクサクしていて、程よい甘さが紅茶とよく合っておいしかった。
「お口に合いましたか?」
「うん、おいしいよ。ありがとう、ルーナ。これは今日初めて作ったの?」
僕が褒めると、ルーナは照れた様子で告白してくれた。
「いえ。……ここ数日、アルメリア様と厨房の方に教えていただいていたのです。迷惑かとも思ったのですが、とても親切に教えてくださって。初めはあまりおいしくなかったのですけれど、今日はお出ししてもよさそうなものが出来たので、お持ちしました」
そうだったのか。ルーナが僕のために頑張ってくれたのだと思うと、何だか嬉しくて頬が緩んだ。
「ありがとう、ルーナ」
僕はもう一度、お礼を言った。
昼食を一緒に食べた後、僕が武術の稽古をつけてもらっている場所にもルーナはやってきて、稽古の様子をじっとみつめていた。
「ルーナ。見ていてもあまりおもしろいものではないだろう。姉様や母様のところへ一緒にいていいんだよ」
「いえ、ルグリオ様がなさっていることを知りたいと思ったものですから。……それとも、ご迷惑でしたか?」
「いや、そんなことはないよ」
「ありがとうございます」
ルーナは見学しながら、休憩のときには、僕や、一緒に鍛錬している城の騎士たちにもよく冷えたタオルなどを配っていた。
「王子、良いお嫁さんですなあ」
「……ルードヴィック騎士長。奥さんに言いつけますよ」
「ハハハ、これは手厳しい」
ルードヴィック騎士長は、ライオンの鬣のような髪と髭をお持ちのせいで老けて見られることが悩みの、それでも僕とはゆうに倍以上は歳が離れている男性だ。
魔法の力量は、僕や、それにきっとルーナの方が上だろうけれど、武術や剣術では全く敵わない。そのため、こうして武術や剣などの稽古をつけてもらっている。
「僕も頑張らないといけないな」
格好悪いところは見せられないからね。
しばらく武術の稽古をした後は、汗を流してから、魔法や魔力を扱う訓練をする。魔法は便利だけれど、扱い方を知らなければ役には立たない。
教育機関の先生も務められているリリス・ウェブリア女史は、年齢不詳の緋色の髪の美人だ。外見年齢は20台前半くらいだけれど、父様も、その先代も、その前も……とずっといらっしゃるらしい。怖くてとても聞けない。
こちらの方には姉様もよく顔をみせて、一緒に訓練をしてもらっている。もちろん、姉様が武術の訓練をしていないというわけではないのだけれど。
「はい、そうです。お二方とも、お上手になられましたね。セレン様はもう少し、使い方を工夫されれば、もっと楽になるでしょう。例えば……」
そんな風に実際にみせてくれたり、実技だけではなく、魔法陣の組み方や歴史なんかも指導してくれる。
「……とこのようなことがありますが、実際の場面で重要なのは冷静でいることです。何度も申し上げておりますが、冷静に強くイメージすることが重要なのです」
「……ルーナもやってみるかい?」
「えっ?」
「リリス先生はね、怖そうに見えるけれど優しい人だよ。ルーナのお嫁さんの修業とは関係ないかもしれないけれど、やっておいて損はないはずだよ」
リリス女史に提案すると、むしろ歓迎されているみたいな雰囲気だったので、明日からは一緒にできることになった。
「今日はどうだったかな?」
リリス女史の訓練が終わってから、姉様とルーナと一緒に部屋に戻りながら尋ねてみた。
「はい。面白くないということはありませんでした。リリス様には明日から稽古もつけていただけるみたいですし、一緒にいられて楽しかったです」
「そうか。ルーナが楽しかったならよかったよ」
「お夕飯の前にお風呂に入りにいきましょう。そっちの方がさっぱりするはずよ」
姉様がルーナを連れて行ったので、僕も部屋に着替えを取りに戻ってから汗を流した。
夕飯の後、夜の帳もすっかりおりて辺りも暗くなってきたころ、僕はルーナの部屋を訪ねた。
「ルーナ、今日は大丈夫そうかな。姉様と一緒に星をみようと思って誘いに来たのだけれど」
ルーナは、今日は青と白のストライプのパジャマだった。少し長い裾から覗く小さな手が可愛らしい。
「それとも、もう眠かったかな。それなら悪いことをしたね」
「いえ、大丈夫です。ルグリオ様」
僕たちは連れ立って、姉様の待っているテラスへ歩いて行った。