出来ること
僕たちは気付かれないように息をひそめて、馬車の中で耳を澄ましていた。もっとも、僕たちが使用している馬車にはコーストリナの国章が描かれており、その馬車に、アースヘルム王国の第一王子であらせられるルーナのお兄様、アルヴァン・リヴァーニャ様が同乗されているという時点で、僕やルーナが乗っているだろうということは限りなく確証に近い形で予測されているだろうけれど。
しばらくすると、複数の足音が聞こえ、続けて地面に膝をついたような音が聞こえた。
「お初にお目にかかります、アルヴァン殿下」
案の定、僕は聞いたことのある声だった。僕は震えそうになっているサラさんの手を握り、カイが馬車の外、彼らの前に飛び出していかないうちに、遮音と外への出入りを制限する障壁を作り出した。
僕が魔法で障壁を作り出すのとほとんど同時に、予想通りカイが外へと飛び出そうとして、見えない壁にぶつかり跳ね返される。
突然、見えない壁に跳ね返されたカイは、もう一度外へ出ようと体当たりを試みて、再び壁に跳ね返された。
「カイ。今、君が出ていっても出来ることは何もないよ。それどころか、アルヴァン様の邪魔になってしまうよ」
少年の気持ちをへし折ってしまうようで心苦しいけれど、ここははっきりと言って聞かせなければならない。
「何言ってるんだ。さっき聞こえた声は間違いなくあいつのものだった。あいつは俺が絶対やっつけるって決めてるんだ」
大声で叫ぶカイは、僕の話を聞かずに外へ出ようと何度も試みて、その度に障壁にぶつかり跳ね返される。
「いいから聞くんだ」
僕はカイの肩を掴むと、強めの口調で語り掛けた。カイは僕を睨みつけてくる。
「この程度の障壁を破れないようじゃ、どのみち、カイに出来ることは何もないよ」
カイは全然納得していない様子だったけれど、サラさんや、他の子供たちの様子を見て、どうやら僕の話くらいは聞いてくれるらしかった。
僕はカイの肩越しに見える皆に目線で感謝を告げる。
「カイがどう思っていようとも、今はまだ、君たちが無力な子供であることには変わりがないよ」
僕の言葉に反応して、カイの身体がぴくりと動く。手から伝わる感覚を確かめながら、僕はカイの目を見て話を続ける。
「確かに、今までカイはサラさんに頼り切らないように、カイなりに頑張ってきたのかもしれない。でも、やっぱり僕たちはまだ子供で、一人で何でもかんでも決めて生きていける訳じゃないんだ」
僕たち、とすることで、カイの不満が少しでも和らぐことに期待する。本人には気休めにもなっていないのかもしれないけれど。
「だからこそ、君たちはこれから学院へ通うのだし、そこで様々な体験をして、色々な経験を積むんだ。力を付けて理不尽をねじ伏せられるように」
カイは僕を真っ直ぐ見ていた。僕もカイから視線を外したりはしなかった。
「だから、今は僕たちに任せて、ここで見ていてくれるかな。少しでも君たちの手本になるようにするから」
カイを、それから後ろで黙って僕の話を聞いていてくれた子供たちを納得させるように、彼らの気持ちを確かめる。
「わかった」
「ありがとう」
カイが頷くのを確認してから、ルーナの方を見る。ルーナは静かに頷いてくれた。
「サラさん。ルーナと子供たちのことをよろしくお願いします」
「はい。お気を付けください、ルグリオ様」
僕は気付かれないように馬車から降りると、騎士の人にも声をかけようと思ったのだが、皆、既に音も立てずに他の人から見えない位置で礼を取っていた。
僕はただ頷くと、アルヴァン様のところへと向かった。
「困りますな。いくら殿下の馬車とはいえども、先程から申しておりますように規則ですので」
僕が馬車の横へと回り込むと、予想通り、検問を張り、アルヴァン様と話し込んでいた声の主はラティオンと名乗っていた人物の物だった。
あの時聞いたのは声だけだったため、僕はしっかりと彼の顔と姿を焼き付ける。
真っ黒な髪をオールバックにして固めている。僕より頭一つ以上大きい長身で、瞳も髪の毛と同じく真っ黒で、全身真っ黒なスーツ姿。手には白い手袋を嵌めていて、ステッキを今は腕にかけている。
彼の後ろには、取り巻きなのか用心棒なのか取り立て屋なのかは定かではないが、体格の良い大男が4人ほど控えていた。
「どうされたのですか、アルヴァン様」
僕は、さも今初めて状況を把握するために降りてきたかのように声をかける。
「ああ、これはルグリオ君」
アルヴァン様はフランクに僕に話しかけてくる。まるで彼らのことなど歯牙にも欠けていないかのように。
「何やら、こちらのラティオン殿が自分たちの従者を探しているらしくてね」
なるほど、従者か。名乗っているということは、どうやら本名だったらしい。
「お初にお目にかかり光栄です、ルグリオ殿下。私、ラティオン・ドルナリスと申します」
ラティオンが話した内容は僕も知っていることなのだが、初めて聞くような態度でなるほどと頷く。
「実は先日、私の従者が、我が家の財と私の屋敷で養っていた子供たちを連れ去って逃げてしまいまして。まだ数日しか経っていないため、そう遠くまでは行っていないと思い、こうしてこちらへ来られる方々に聞くために待っている次第でございます」
流石は詐欺師。口から出まかせがポンポン出てくる。
僕はそう思ったのだけれど、もちろん口にも態度にも出さなかった。
「それはお気の毒に」
僕は世間話でもするかのように付け加える。
「そう言えば私も先日、この近くにあったクンルン孤児院というところで、先代のシスターが騙されて背負わされたという借金を抱えた人たちとお会いしましてね。私はアースヘルム王国に予定があったため、そこの方たちを引き取りアースヘルムへ向かったのですが、次にその地へ訪れた際にはその孤児院は跡形もなくなっていましたよ」
流石は詐欺師。僕が斬り込んでもまったく表情を変えない。
しかし、後ろの男たちは違う。僕の話に反応して、彼らの主に話しかけようとする態度を取ってしまった。
ラティオンはもう遅いと思ったのか、舌打ちを漏らした。
「いくら殿下といえども、これは私どもの問題でございます。私どもが詐欺を働いたなどと証拠はあるのですか」
しかし、あくまでも態度は崩さない。だからと言って、こちらが引くつもりもないのだけれど。
「もちろんあります」
先日回収した紙を取り出すと、彼らの前に突きつける。言うまでもなく、借用書の写しだ。
「この紙に見覚えは」
「なぜ、殿下がそれを」
「なぜ、は今どうでもいいことです。とある事情で、この借用書の作成日も大よそはわかっているのですが、まあそれもいいでしょう。問題は、寄付金などにより成り立っていたはずの孤児院が、まだお金が余っていたのにも関わらず、このような借金を作るはずがないということです」
「はずがない、とおっしゃられましても現実にあるのですが」
「そう。だからこれはあくまで想像です。あなた達はあの場所に娯楽の施設を作り、稼ぎが欲しかった。立地的には、別荘地などにも最適でしたから。けれども、そのためにはあの場所に建てられている孤児院が邪魔だった。どうにかして出ていってもらいたかったが、孤児院のような施設を強制的に退去させると外聞が悪い。そこであなた達が思いついたのが、彼女たちに自主的に出ていってもらうように仕向けるというものです」
僕は、孤児院があった方角を見つめる。
「先日、とある事情でこの地を通りがかった時には、すでに孤児院は取り壊されていましたよ」
再び、彼らの方へ向き直る。
「どうしても証拠が欲しいというのならば、我が家の秘伝を使って、あの地の記憶を読み解きましょう。あなた方が取り壊したという証拠が出てくるはずです。彼女たちが出ていって安心したのでしょうが、慢心でしたね。確かに、借金のカタにという理由もあるかもしれませんが、彼女たちの同意がなければ違法です」
もちろん、そんな秘伝は僕は知らない。いや、もしかしたらあるかもしれないけれど。
しかし、杞憂だった。
ラティオンはその場で固まっていた。取り巻きの男たちもおろおろするばかりで、こちらに危害を加えようとする気配は皆無だった。
僕たちは、騎士の人たちに後のことを任せて、馬車の中へと戻った。