続・アースヘルムお風呂騒動
僕の目の前には、夢よりも夢のような光景が広がっていた。この場合の夢というのは、夢にも思っていなかったという場合の夢で、決して、僕が待ち望んでいた光景だという意味ではない、はずだ。
決心はしたものの、いざ目の前にすると躊躇ってしまう。
心臓は早鐘を打ち、全身から汗が噴き出る。
何かないか。この状況を打開できる手段は。
そ、そうだ。うん。たしかそうだったはずだ。
「そう言えば、ルーナ。お風呂では、先に湯船に浸かるものじゃないのかな」
恐る恐る提案してみる。もちろん、ルーナの方は極力見ないようにだ。失礼極まりないとは思うけれど、見逃して欲しい。
「そうなのですか。あまり気にしたことはありませんでした」
「いや、たしかそうだよ。うん、そうに違いない」
だから先に湯船に浸かろう、と言って、僕は湯船へと向かった。僕は先ほどまで入っていたので、不思議がられるのではないかとも思ったが、ルーナは特に気にした様子も見せずに、僕の後ろから、僕の横に並ぶと、ゆっくりと湯船に浸かった。
「いいお湯ですね」
「そうだね」
オウム返しで適当な返事をしてしまう。確かに、何度浸かっても気持ちがいいけれど、今の僕はそれどころではなかった。
どれほど浸かっていただろうか。ルーナに声をかけられた。
「ルグリオ様。逆上せられてはいませんか」
「僕は大丈夫だよ。ルーナは大丈夫」
「私は少し熱くなってきました」
「湯中りしてもよくないね。そろそろあがろうか」
「はい」
こうして僕は、自ら進んでしまった。
ルーナの髪を洗うため、そしてルーナの素肌を隠すために、まとめられた髪を解く。水蒸気を吸ってわずかに湿った髪がしゅるりと垂れる。僕は手櫛でやさしくルーナの髪を梳かした。全く引っかかることなく、綺麗に梳ける。
次に、ぬるま湯でしっかりと髪を洗い流す。できるだけルーナの顔に湯が掛からないように、細心の注意を払う。備え付けられているシャンプーを手のひらに出すと、しっかりと泡立てる。指で、マッサージをするように、髪を洗う。髪の中に手を入れると、地肌をマッサージするように丁寧にすすぐ。ルーナは時折、気持ちよさそうに息を漏らしていた。
ここまでは問題ない。いや、あったけれど、そこまで大変でもなかった。
髪の毛を洗い終えたので、次はいよいよ、身体を洗わなくてはならない。冷めるといけないので、素早く取り掛からなくてはならない。
まずは、髪の毛と同じように、身体をしっかりと濡らす。そして、首周りから順に洗っていく。肩から腕、そして手へ。時折、漏れ聞こえる艶っぽい声は聞こえなかったことにして、ひたすら無心を貫く。胸の引っ掛かりはほとんどなく、とはいっても、全くないわけではなく、腰回りまで一気に洗う。もはや止まることは出来ないため、背中へと手を引き戻し、丁寧に洗う。
そこまで終わると、もはや残っているのは下半身だけとなった。さすがにデリケートな部分には触ることは出来ないし、タオルがあるため、太ももの付け根から先を一心不乱に、けれど懇切丁寧に洗う。
何も見てはいないし、何も聞こえはしない。
そう思いながら、手から伝わる感覚だけを頼りにしようと思ったけれど、余計に気になってしまったので、目は開いたままだった。
自分の身体は洗ったばかりだというのに、ルーナの身体を洗い終えると、全身が汗でびっしょりだった。
最後に、ルーナの身体をお湯で洗い流す。お、終わった。天国と地獄を同時に味わったような、そんな気持ちだった。
「終わったよ」
流し終えると、ルーナに声をかけた。
僕とルーナは顔を洗い終えると、僕にとっては永遠にも感じられたお風呂から出た。
色々と大変だったにも関わらず、やはり浄化の魔法よりも格段に気持ちが良かった。
「ルーナは気持ち良かったかい」
僕はルーナの髪を乾かしながら尋ねた。
「はい。気持ち良かったです」
「ルーナが気持ち良かったなら、良かったよ」
「でも、恥ずかしかったです」
僕もだよ、とは声に出さなかった。どういう空気になるのか、予想がついたからだ。
僕があてがわれた部屋に戻ると、こちらも予想通り、アリーシャ様がいらっしゃった。椅子に腰かけられて、優雅に紅茶などを嗜んでおられた。
ルーナの呪いの件など、聞きたいことは山ほどあったが、とりあえずは先ほどの件だろう。
しかし、僕が口を開くのを見計らったかのように、先に話を切り出されてしまった。
「ルーナと一緒にお風呂に入ってどうだった」
「どうだった、ではありませんよ。一体、どういうおつもりですか」
「あら。嬉しくなかったかしら」
「いえ、そういう問題ではなくてですね」
「でも、将来は、ルーナが学院を卒業する6年後か、それに近い未来で一緒に入ることになったのでしょうから、早いか遅いかの違いだけよ」
それはそうかもしれないけれど。アリーシャ様は、それにね、と続けられた。
「私は心配なの。もちろん、先ほどが初対面のあなたが言われても首を傾げるでしょうけれど、あなたはアルメリアと、ヴァスティン殿のご子息ですもの。私は、あなたやあなたのお姉さまのことは信頼しているのよ」
アリーシャ様は紅茶を一口含まれた。
「でも、これからあの子が通う学院の生徒を全員信用できるかと言えば、失礼だけれど、そうは言いきれないの」
「それと、今回のこととどのような関係がおありなんですか」
純粋に好奇心から聞いてみた。
「わからないかしら、本当に」
いや、わかる。僕も男なのだし、アリーシャ様の言わんとしていることは、何となくわかる。それが僕の独占欲だとしても。
「では」
「ええ、そうよ。私が、あの子の反応を見て面白がりたかっただけなの」
「ええっ」
思わず、声が出てしまう。
「ふふっ。冗談よ」
そうおっしゃられると、アリーシャ様は椅子から立ち上がられた。
「もうすぐ、夕食の準備ができたと呼びに来る頃でしょう。じゃあ、その時にね」
そう言い残すと、アリーシャ様は部屋から出ていかれた。僕はそれを見送った。