婚前旅行 4
疲れているということもなかったし、温泉に浸かって疲れを癒したばかりだったけれど、観光は明日以降に回すことにして、僕たちは部屋でのんびりとくつろいでいた。
9人全員で泊まることのできる部屋ということで、お城の部屋と比べても十分広いと思える。
行儀が悪いと思ったけれど、部屋着に着替えてふかふかのベッドの上に寝転がるのは、とても気持ちが良かった。
当然ですが、と言わんばかりの二人用の大きいベッドに、ルーナと一緒に横になる。端に寄れば二人の間に距離は出来るけれど、僕たちは身を寄せ合って、広いベッドを大分狭く使っていた。
ルーナの身体は暖かくて、抱きしめていると外の季節を忘れそうになる。
絹糸のようなルーナの髪を撫でていると、ルーナはくすぐったそうに身をよじった。
「私はちょっと出かけてくるから、私のことは気にしないで仲良くね」
姉様はそう言い残すと、コートとマフラーを着込んで部屋から出て行ってしまった。
「気を遣われたのでしょうか?」
別に気にすることなんてないのに。もしかしたら、部屋の空気に耐えられなくなったのかもしれないけれど。
アルヴァン様のご家族はベランダに出て雪景色を眺めていらしたし、ローゼス様のご家族は外へ行かれるとはおっしゃっていなかったけれど、部屋にはいらっしゃらず、宿の中を歩いていらっしゃるのかもしれない。
「ルーナはここでこうしてぬくぬくとしている以外に何かやりたいこととか、見てみたいところとかはあるかな?」
皆で観光しようと決めたのは明日だけれど、二人で周辺の散歩に出かけるのもいいかもしれない。もちろん、夕食までには戻ってこないといけないから、それほど遠くへはいけないけれど。
もしかしたら、ルーナも同じように思っていたのかもしれない。
「でしたら、少し散歩に出かけませんか? ベランダから見る景色も素敵ですけれど、ルグリオと二人で歩いてみたいです」
ベランダに出ていらしたアルヴァン様とミリエス様に断りを入れると、笑顔で、いってらっしゃいと声を掛けられた。
ふわふわの真っ白なマントを羽織ったルーナと手を繋いで宿を出る。
つないだ手のぬくもりに思わず頬を緩めると、丁度同時に僕の方を向いていたルーナと目が合った。
冷たい風に靡く銀糸はきらきらと芸術品のような美しさで、整った顔立ちとも相まって、幻想的で、神秘的な光景だった。
海岸へとついた僕たちは浜へと腰を下ろして黙って沈みゆく夕日を見つめていた。
シートでも敷いたほうがいいかなと尋ねてみると、ルーナは瞳を閉じたまま、いいえ、と小さく首を振った。
波の音を聞きながら、ふと横を見ると、ルーナの手のひらが僕の手に重ねられていた。
「少し、歩こうか」
僕が立ち上がって手を差し伸べると、ルーナはふんわりと笑顔でその手を握り返してくれた。
ルーナと海岸を二人で歩くのは、ルーナが二年生の時以来だから3年半ぶりくらいだろうか。
あの頃よりもルーナの背は高くなっているのだけれど、結局僕の方が頭一つ分以上は背が高くて、ルーナは近づこうとしてか、僕に気付かれないように少し背伸びして歩いていた。
疲れるんじゃないかと思ったけれど、そうして僕に近付こうとしてくれているルーナはとても微笑ましかったし、ついついからかいたくなる衝動に駆られたけれど、ルーナが拗ねてしまっては、それはそれで見て見たかったけれど、宿に戻った時に姉様達にからかわれるのは確実なので、ぐっと我慢した。
「なにかございましたか?」
けれど、そんな僕のことはすっかりお見通しだったらしいルーナは、僕の顔を覗き込むようにして、可愛らしく首を傾げた。
「いいや、何でもないよ」
なんだか子供っぽいところを見ることが出来て安心したよ、と言おうものなら、どうやら小さいことを気にしているらしいルーナはぷくっと饅頭のように膨らんでしまうかもしれない。それはそれで可愛らしいとは思うけれど。
「そうですか」
ちょっと前なら、子供っぽいと思っていらっしゃいますね、と反論してきたのだろうけれど、ルーナはもう子供だとは言えない、大人びた、辺りの雪を溶かしてしまいそうなほど暖かな、陽だまりのようにとろけそうになる笑みを浮かべた。
「月が綺麗ですね」
夜空に浮かぶ月は満月ではなかったけれど、優しく僕らを照らしていてくれた。
「ルグリオ様」
手を離したルーナは、2歩、3歩と歩いて僕の前に出ると、静かにこちらを振り向いた。呼び方が元に戻っているのは、きっと意識しての事だろう。
大事な話があるのだろうと思った僕は、黙って紡がれる言葉を待った。
「本当はその日まで言うのは待っていようと思っていたのですけれど」
ルーナは胸の前で手を組むと、静かに目を瞑った。それから神妙な面持ちをして目を開くと、澄んだ紫の瞳で僕のことを真正面から見つめてきた。
「ルグリオ様。私が今こうして普通に月明かりの下を歩けるのはあなたのおかげです。もしアースヘルムのお城で暮らしているだけだったら、もし私が婚約者として参るのではなく、婚約者を迎える側だったなら、もしあなたが相手でなかったなら、こんな風に月の光に照らされる中を好きな人と一緒に歩くことは出来なかったのかもしれません」
無意味な仮定に過ぎませんが、とルーナは軽く微笑んだ。
「そんなことはない、きっと誰でも同じようにしたはずだよ、とあなたは仰るのでしょうね」
まさに僕が考えていたことを、ルーナはピタリと言い当てた。
「けれど、私にとっての王子様はあなたで、他の誰でもないのです」
ルーナが、一歩二歩と、僕の元へ戻ってくる。
「ずっと、ちゃんとお礼を伝えたいと思っていました。大分遅くなってしまいましたけれど」
ルーナはつま先立ちになると、僕の唇に触れるだけの優しい口づけを落とした。
「大好きです。ずっとずっと、いえ、出会った頃よりもっとたくさん大好きです」
「僕も大好きだよ。ルーナがお姫様でも、婚約者でも、お嫁さんになっても、王妃様になっても、恋する気持ちは変わらないよ」
僕たちは風邪をひかないうちに手を繋いで宿へと戻った。