婚前旅行
あまりいいサブタイトルが思いつかなかったので。
さすがに自ら恋とロマンスの街を名乗るだけのことはあり、到着した僕たちを待ち受けていたのは、カップルと思われる諸氏の、積もる雪すら融けだしてしまいそうな、そんな光景だった。
普通は寒い中でわざわざ外に出かけたりはしないだろうに、おそらく先日まで降っていたのであろう、真っ白に積もる雪を転がして大玉を作っている就学前に見える子どもたちや、浜辺の縁で寄り添って、お互いの手を握りしめたりしながら温め合っている若者たち、海岸近くの休憩所もそういう雰囲気の店ばかりがずらっと並んでいる。
「私が来たときは夏だったけど、そのときは海岸でも大層仲良くしていたり、ひっきりなしに誰彼構わず引っ掛けようとしているナンパがそれこそ横行していたわね」
「姉様も声を掛けられたりしたの?」
姉様はうんざりといった顔を浮かべてため息をついた。どうやら、大分大変だったらしい。
「とりあえず、一度泊まるところを確保致しませんか?」
ミリエス様の提案で、馬車を下りた僕たちは、一度、この街の組合へ行くことにした。
国家群の一都市とはいえ、当然と言えば当然だけれど、物流や人の行き来がある以上、それを管理する人、場所は必要だ。
観光が主産業とはいっても、それにも組合は置かれているはずだ。
恭しく頭を下げられた御者さんに送られて、僕たちはリヴェリアで最も活発な組合へと顔をのぞかせた。
リヴェリアの人達だって、皆が皆、吟遊詩人や職業娼婦、貴金属職人になるわけではない。
主婦や職人、当然冒険者を志す人達だってそれなりの数はいる。
いくら魔法も体術も得意だからといって、まさか姉様に、ましてやルーナやミリエス様、カレン様に、組合への先陣を切らせるわけにはいかず、僕は皆の一番後ろから、アルヴァン様とローゼス様が先頭に立って組合へと足を踏み入れた。
冬だからといって冒険者稼業に休みはなく、少なくない数のパーティーが話し込んでいるような声や、諍いの声なんかが外まで聞こえてきてはいたのだけれど、アルヴァン様とローゼス様、それに続いて姉様達が組合の中へと姿を見せると、魔法を使ってはいないにも関わらず、水を打ったように静まり返った。
ミリエス様とカレン様の腕の中にはご子息がいらっしゃるのだから、まかり間違っても勘違いを起こす輩はいないだろうけれど。
「すみません、少しよろしいですか?」
アルヴァン様が受付の女性の方に話しかけられると、しばらくぼうっとしていらっしゃる様子だったその女性の方は、失礼しましたと慌てた様子で受け付け台の下から台帳らしきものを取り出された。その様子をご覧になっていらしたミリエス様は、誇らしげな表情をなさっていた。
「この街へは観光で訪れたのですが、おすすめの宿屋は何処でしょうか?」
「皆様ご一緒に宿泊されるということでよろしいのでしょうか?」
すぐに態度を取り繕われたのは流石と言うべきだろうか。
明確な統治者が存在しない、商人や冒険者などの個々人それぞれが国民や土地、つまりは国家を定義しているこの都市群では、僕たちのような身分の者が訪れた際、挨拶をしに行かなくてはならない場所は基本的に存在しない。だからといって、僕たちの顔が知られていないということでは決してない。
つまり、まず顔を見せるべきはこの都市を支える商人や冒険者が一堂に集まることが出来るこの場所であるべきなのだ。
「それでしたら、『女神の憩い亭』などいかがでしょうか?」
受付の女性から説明を受け、地図を受け取り、お礼を告げた僕たちは、組合を後にして、『女神の憩い亭』へと向かった。
「随分と立派な建物ですね」
ミリエス様は驚いていらしたけれど、僕たちの正体を知ったうえで勧めてくれた宿なのだから、こういっては鼻につく感じがして好きではないのだけれど、高級なのは当然だった。
僕たちとしては特にこだわりはないのだけれど、他人から見ればそういうわけにはいかないのだろう。
1組だけでも神経を使う相手だというのに、それが3組以上いるのだから。
勧めてくれた『女神の憩い亭』は、お城のような建物だった。
どうやら歓楽街の中心地でもあるらしく、似たような建物はそこら中に建築されているのだけれど、一際大きいこの建物は、とにかく外観からして派手なものだった。
昼間だというのに、自己主張するように看板や建物全体がきらきらと輝いていて、それは魔法の光なのだろうけれど、それだけの魔力を補うことのできるものがあるのだろう。
色調も、宿屋だというのに、落ち着かせようというよりはむしろ興奮させて盛り上げようという雰囲気がすでに漂って来ている。ちらりとルーナの様子を窺うと、気にしないようにしていても、大分意識してしまっているのだなということが窺えた。
とにかく、躊躇していても仕方がないので、気にする様子もなくすたすたと歩いていった姉様に遅れないように、僕はルーナの手を取って建物の中へと進んでいった。
「よ、ようこそお出で下さいました。ご滞在に私共の宿を選んでいだいたこと、深く感謝いたします」
「とりあえず、数日分お願いするわね」
姉様が空中から金貨を取り出すと、宿屋の主人と思しき男性は非常に驚いた顔をしていた。
僕たちは普通に使っているから忘れがちだけれど、収納の魔法は、一応、我が家の秘伝の魔法だ。一般には流通していない。
「たしかに。それで、お部屋はどのようにいたしましょう?」
ここに張られている表を見れば分かる通り、基本的にこの宿では二人組、恋人同士での利用を念頭に置いて設計されている。
そのため、シルヴィオ殿下とエウレル殿下をそれぞれのご夫婦と合わせて考えて、僕たちも2人、もしくは3人組に分かれて宿泊するのが常套なのだとは思うけれど。
「まあ、二人ずつでもいいのだけれど……」
「それではセレンお義姉様が一人になってしまわれるのでは?」
ルーナが心配そうに口を開く。その別れ方になることに、おそらく疑問を挟む余地はなく、姉様もきっとそういう選択をするつもりだったのだろう。
「せっかくこうして皆で旅行に来ているのですから、同じお部屋でわいわいと過ごしてみたいです」
カレン様の意見に、ルーナもミリエス様も賛成の意を示すように首を振っている。
「僕たちは構わないけれど……」
アルヴァン様が僕とローゼス様の確認をするように振り向かれる。
「カレンがそれで構わないのなら、僕は勿論構わないよ」
「ルーナがそうしたいというのなら、僕に反対する理由はありません」
反対意見が出なかったため、姉様がそう頼み、僕たちは9人全員で大部屋に宿泊することになった。