クンルン孤児院
道の先には、大きく綺麗な湖があり、そこからそれほど離れていないところにその孤児院はぽつんと建っていた。
白い外壁に黒い屋根。窓の位置から察するに、二階建てのようだが、敷地自体の広さはそれほどでもなさそうだった。
周囲は、外からの侵入者を防ぐかのように、木々に囲まれている。この辺りまで来ると、王都からは大分離れており、日が沈んでしまえば真っ暗になってしまうだろうということは簡単に想像がついた。既に周囲は暗くなり始めている。僕は魔法で明かりを出すと、僕たちの周囲と行く先を照らした。
「サラを呼んでくるから、ちょっと待っててくれ」
そう言い残すと、カイは孤児院の扉を開けて、中へと入っていった。
そこでしばらく待っていると、カイに手を引かれて、紺を基調とした修道服を着た女性が出てきた。
頭には何も被っていなかったため、オレンジ色の髪が頭頂部付近で左右にはねており、こちらへ向かって足を踏み出すたびにフサフサと揺れている。どことなく、獣の耳を思わせる跳ね方だ。エメラルドのような瞳は、突然の事態に混乱しているようで、おろおろと彷徨っている。歳のころは姉様と同じか、少し上くらいに見えたけれど、深くは考えなかった。姉様と同じくらいの大きさにみえる胸は、細い腰と相まって、見事なプロポーションを形成していた。近くまでくると、僕より頭一つ分ほど身長が低いことがわかった。
「この度は、カイとメルがご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ございません」
僕たちの前に来るなり、おそらくはサラさんと思われる女性は頭を下げた。
「頭をお上げください。迷惑などということはありません。私が勝手に首を突っ込ませていただいただけです」
僕は腰をかがめて彼女の目線に合わせると、安心させるように手を取った。
「私はルグリオ・レジュールと申します。よろしければ、あなたのお名前もお聞かせ願えますか?」
彼女は、言葉を詰まらせながらも、恐る恐るといった様子で名乗ってくれた。
「わ、私はサラ・ミルランと申します。僭越ながら、このクンルン孤児院の院長などを務めさせていただいております。あの、もしかして、ルグリオ様は」
「はい。おそらくは、ご想像の通りかと思います」
サラさんは、目を見開いて、さらに跪こうとしたので、僕は慌ててそれを押しとどめた。どうやら、カイは僕たちのことを正確には伝えられなかったらしい。よほど急いでいたのだろう。
「そのように畏まる必要はありません。それよりも、お話を伺いたいのですがよろしいですか?」
「はい。何なりとお聞きください。それでは、申し訳ありませんが、院内までご足労いただけますでしょうか。このような場所ではその」
「失礼などと言うことはありませんよ。ですが、このまま外にいると、あなたの身体が冷えてしまいますから」
僕は羽織っていたコートを脱ぐと、彼女の肩にかけた。
「あ、ありがとうございます」
サラさんはカイの手を引きながら、僕を孤児院まで案内してくれた。僕は大人しくサラさんの後ろに着いて行った。
「なー、サラはこの人のことを知っているのか?」
カイは、初めて会ったはずなのに、サラさんが僕のことを知っていたのが気になるようだった。
「カイ、そのような口をきいてはなりませんよ」
慌てて、サラさんが窘める。
「構いませんよ」
僕は気にしていなかったので、別に何とも思わなかったが、サラさんは違うようだった。
「申し訳ありません。ルグリオ様」
再度、頭を下げられた。このままでは進まないと思った僕は、やんわりと謝罪を受け入れると、先へ促した。
「それよりも、中へ入ってしまいましょう。このような場所では冷えてしまいますから」
僕たちは開きっぱなしになっていた扉から孤児院の中へと入っていった。
中に入ると、サラさんは、少し失礼いたします、と言って屈み込むとカイの両肩に手を置いた。
「カイ。私はこれからこの方とお話しすることがあるから、皆のところへ行っていてくれる?」
「サ、サラはこいつに何の用があるんだ。どうして、俺がいちゃだめなんだ」
「お願い。どうか、言う通りにして」
「う、わ、わかった」
カイは納得はしていないようだったけれど、渋々、奥の扉から部屋を出ていった。
「すみません、ルグリオ様。それで、あの」
サラさんが、心配するような口調で躊躇いがちに尋ねてくる。
「安心してください。メルさんも私たちの馬車で預かっております」
「そうですか。重ね重ね、ありがとうございます」
サラさんはほっとした様子で胸を撫で下ろしていた。
「先ほどの口調からすると、他の子供たちは、まだ、どこへも連れていかれてはいないんですね?」
おそらく大丈夫だろうとは思ったけれど、一応、確認はしておく。
「はい、今はまだここにいます。……事情はカイとメルからお聞きになられたのですか?」
「ええ」
僕はカイとメルに会った経緯と、彼らから聞いた話をサラさんに伝える。
「それで、あいつら、というのはどんな人達なのでしょうか?」
「確証はありませんが、おそらく、どこかの貴族の方だと思います」
サラさんは、目を伏せて、先を続ける。
「ご覧の通り、ここは普通の孤児院で、お金も子供たちを養うのが精一杯程度しかありませんでした。あの方々に反対するだけの力は、ここにはありませんから」
「でも、それも持っていかれてしまったということでしょうか?」
「はい。私達をはやくここから追い出したいのだと思います。物資がなくては生きていけませんから」
なるほど。直接暴力に訴えないだけ、陰湿さが垣間見える。要するに、正当っぽい理屈をつけて金品を没収し、ここから出ていかなくてはならない状況に追い込むことで、自主的にこの場所を明け渡させたいのか。自主的に出ていったのだと主張されれば、それ以上の追及は難しくなる。そして、物品の押収も借金のかただとか、それっぽい理屈をならべて……。
「もしかして、借金でもあるのですか?」
「……はい。お恥ずかしい話ではありますが」
「ちなみに、いくらほどでしょうか?」
提示された金額は、膨大な額だった。一体、どうすればそれだけの借金ができるのか、そちらの方が不思議になる額だった。
「一体なぜ……?」
「それが、先代の」
そこまで話を聞いたところで、勢いよく扉が開かれて、カイが入ってきた。
「サラ、あいつらが」
どうやら、その相手の顔を拝めるようだった。とはい、僕がいるとバレれば、その貴族も下手なことは言わないだろう。
「カイ。あなたは皆のところへ行っていなさい」
大分、焦った声でカイをこの場から遠ざける。カイをこの場に立ち会わせるつもりはないらしい。カイが出ていくのを待つのと同時に、僕はどうしたものかと悩んでいると、手を引かれた。
「ルグリオ様。この下にお隠れになられてください」
サラさんは僕の手を引くと、机の下に隠れさせられる。確かに、話は聞かなくてはならないのだが、机の下は広くはないので、変な体勢になってしまう。そして、そのまま僕を隠すように正面に座った。
どうやら、サラさんは大分焦っていたらしい。彼女の柔らかい太ももが、僕の顔に押し当てられる格好になってしまっている。僕が何かを言う前に、相手が入ってきてしまったので、僕は体勢を変えることもできずに、そのままの姿勢でいた。このままでは、肝心のその貴族の顔を見ることができないと思ったが、既に遅かった。
「夜分にすみません。シスター・サラ」
彼らがこの場所に入ってきてしまっていた。