猫はお好きですか
フェリスさんが退出したため、僕はルーナ姫と部屋の中で二人きりになった。
沈黙による静寂が部屋を満たしていた。こういう時は男である僕がリードしなければ。
「ルーナ姫、まだ早いですが昼食はどうされますか。何かご希望があれば伝えますが」
「いえ、お任せいたします」
再び訪れる沈黙。どうしよう、会話が続かない。ああ、こういう時のために小さな女の子の扱い方についての本を読むとか、姉様に聞いておけばよかった。
僕は後で聞いて勉強することにしようと決め、とりあえずルーナ姫には休んでもらおうと声をかけた。
「それでは、私はこれで失礼致します。料理長には、お任せでと伝えておきます。何かありましたらお声をかけてください。この部屋を出て、すぐ隣の部屋におりますから」
そう言って礼をすると、僕は退出しようとしたのだけれど、ドアの取っ手に手をかけたところで後ろから声をかけられた。
「……あの、……一つ、お伺いしたいことがあるのですが……」
かなり思い詰めたような口調だった。よほど重要な話なのだろうか。
「はい、なんでしょうか?」
僕は振り返ると、話しやすいように明るい口調で聞き返した。
「……ルグリオ様は、……猫はお好きですか?」
ルーナ姫は浮かない顔で、かなり躊躇いがちに質問してきた。
猫が好きかって……そうだなあ、あまり考えたことはないけれど、好きか嫌いかと言われれば好きかな。でも、それほど聞くのを躊躇うような質問でもないと思うのだけれど。
「好きですよ。ルーナ姫様はお好きなんですか?」
僕はそう答えた。
「私は……見たり、撫でたりするのはとても可愛らしくて、好きです」
ルーナ姫は、どこかほっとしたような口調でそう答えたけれど、顔色はあまり優れてはいなかった。
会話がしたいのかとも思ったけれど、それ以上は何も聞かれなかったので、疲れているのだろうと思って、僕は、今度こそ、失礼しますと部屋を後にした。
料理長に昼食の件を伝えると、とても張り切っていた。やはり、作る人にとっては食べてもらえる人が増えると嬉しいものなのだろうか。
昼食が済んだら庭の案内でもしようかなと思いながら、僕は執務室へ向かった。昼食までには今日の仕事は済ませてしまおう。
仕事を全て片付けると、丁度いい頃合だったので、僕はルーナ姫を迎えにいった。
ルーナ姫がいる部屋の扉をノックしたけれど、しばらく待ってみても返事がない。聞こえなかったのかなと思ってもう一度ノックをしたのだけれど、やはり返事はなかった。何かあったのだろうか。
「申し訳ありません。失礼します」
本当に失礼だとは思ったけれど、慣れない部屋で何かが起こっていては大変だと思って扉を開けた。
「……ルーナ姫様、いらっしゃいますか? ルグリオです。入りますよ」
そう断って部屋に入ったけれど、パッっと見た感じではルーナ姫の姿は見当たらなかった。もっとも、部屋の中にはいるだろうと思っていたので、中を歩いてみると、案の定、ルーナ姫の姿はすぐに見つかった。
「……これは、悪いことをしたかな」
長旅の疲れでも出たのだろうか、ルーナ姫はベッドの中でスヤスヤと寝息を立てていた。
それでも、きちんと服がたたんであったり、ネグリジェに着替えたりしているあたり、小さくても女の子だなあと思った。僕ならきっと眠くなったら何も考えずにそのまま寝てしまうだろう。見習わないといけないな。
「可愛らしい寝顔だな」
布団は、規則正しく上下している。もちろん、寝相が悪いなんてことはあるはずもなく、とても癒される。
おっといけない。
僕は、この大層可愛らしい天使のような寝顔をずっと見ていたい気もしたけれど、そんなことをしている場合ではなかった。……そんなことではないな。結構重要なことかもしれない。僕にとっては。
「これはきっと昼食はいらないかな」
料理長たちは張り切っていたから、もう昼食を作ってしまっているかもしれない。僕は、急いで厨房に向かった。
料理長にルーナ姫の分の昼食はいらない旨を伝えると、非常にがっかりしていた。
「……ここは……」
「お目覚めですか?」
結局、ルーナ姫が起きたのは夕暮れ近かった。
部屋に差し込む夕日は、白いレースのカーテンによって多少遮られてはいたけれど、部屋の中を夕焼け色に染めていた。
ベッドの位置は直接日の光が当たることはない場所なので、ルーナ姫が寝ている最中にも顔に日が当たることはなかった。
ルーナ姫は真っ先に窓の外を見やると、あからさまにほっとしていた。それから僕の方に申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。みっともない姿をお見せしてしまって」
「とんでもありません」
とても可愛らしい寝姿でしたよ、こちらの方が癒されました、というセリフは紳士らしくなかったので飲み込んだ。代わりに、デートに誘ってみることにした。
「夕食までにはまだ時間がありますから、よろしければ、庭でも歩きませんか?僕がエスコート致します」
「……よろしくお願いします、ルグリオ様」
「様なんて必要ありませんよ。ルグリオでも何でも、どうぞお好きなようにお呼びください」
「それは……その……は」
「は?」
「恥ずかしいです……まだ……」
ルーナ姫は真っ赤になって俯いて、消え入りそうな声でそう言った。
何これ! すっごく可愛い! 僕には別にそういった趣味はないのだけれど、こんなルーナ姫をもっと見てみたいと思った。
「それでは私から……僕から先に呼ばせてもらうよ。行こう、ルーナ」
そう言って手を差し出すと、ルーナはますます顔を真っ赤にして、それでも、はい、と手をとってくれた。しかし、まだネグリジェ姿だったのを思い出し、僕たちは顔を背けた。
「……先にシャワーでも浴びられますか?」
「……」
「失礼致しました」
これは失敗したな。女性に対して聞くようなことではなかった。僕は、少し失礼しますと部屋を出ると、近くにいたメイドさんにルーナの湯浴みの準備を整えるように頼むと、後のことを任せた。
「今からメイドさんが来るから、必要なら彼女たちに湯浴みを手伝ってもらって。必要でないなら、場所と使い方だけ聞いて、あとは戻ってもらって構わないから。他にも聞きたいことがあれば聞いてあげて欲しい。男の僕には言いにくいこともあるだろうから」
ルーナは、ありがとうございますと頷いた。
ルーナが部屋に戻ったくらいのタイミングを見計らって、再び部屋を訪れた。
声をかけると、どうぞ、と返事があったので、失礼しますと中に入った。
ルーナは部屋着らしいピンク色のワンピースに着替えていた。
「そろそろ夕食だけれど、食べられそうかな」
「はい、大丈夫です」
「それはよかった。ではエスコートさせていただけますか?」
僕が膝をつくと、よろしくお願いしますと手を差し出してくれた。その手をとると、ルーナの頬は少し赤くなっていた。
ルーナはまだおちているわけじゃないです。
単にはずかしかっただけです。……多分。
そんなにチョロインじゃない……はず……?です。