たとえどんな姿になろうとも
私たちがスタート地点に姿を見せると、コースに沿うようにして周りに設けられている観客席と思われる場所から身を乗り出している女子寮生、及び男子寮生から一際大きな歓声が上がりました。
「さあ、皆さんお待ちかね、ここでようやく登場したのは我らが女子寮寮長ルーナと、ご存知我が国第一王子のルグリオ様です!」
聞こえてきた声の方へと顔を向ければ、実況と書かれた腕章を巻いたリアが興奮した様子でこちらに向かって手を振っています。
「おおっと、隣にはもう一組、シュロスと、そのお相手と思われる男性の姿も見えます! これはからかうネタが一つ増えましたねえ!」
「リア……!」
肩を小さく震わせていたシュロスは、一度小さく深呼吸をすると、ヴィネル様の方へと振り向かれました。
「行きましょう。こんなところ早く終わらせて、あの口を閉じさせないと」
シュロスは笑顔でしたけれど、ほんのりと頬が赤く染まっています。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
アトラクションのスタート地点で計測しているオーリアへと引き渡すように、案内役らしいメルから引き継がれます。
奥の方からは、おそらくゴール地点、女子寮から戻ってきたと思われる後輩が、メルとシズク、オーリアへの差し入れであろう飲み物とマドレーヌの入った籠を持っています。
「前の組と間隔を空けなくてはいけませんから」
そう言いながら、オーリアは籠の中から飲み物を受け取ると、マドレーヌの入った袋をポケットに仕舞い込んで、容器のふたを開け、一口喉を潤していました。
その生徒、ミラさんは、私たちに、お疲れ様です、と頭を下げると、受付の方へと向かって再び駆けて行かれました。
受付へと飲み物と差し入れの入った籠を置いてきたらしく、すでに空になっていた飲み物の容器を回収してから駆け戻って来られました。
まだ何か用事があったらしく、再び女子寮へと駆けて行かれる際にも私たちに頭を下げて、飛ぶようにして、アトラクションのない場所を通って、元来た方へと戻って行かれました。
準備は良いかと問われて、シュロスとヴィネル様が頷いています。
「頑張ってください、シュロス」
私は微笑んでシュロスと手を合わせます。
「ええ。あなた達もね、ルーナ。じゃあ行きましょう。……せっかく用意してくれたのだから楽しまないと」
「それでは、私たちはお先を失礼させていただきます」
シュロスとヴィネル様は、私たちに頭を下げられると、手を取り合って進んでゆきました。横道に入っていくというのが順路だったらしく、すぐにシュロス達の姿は見えなくなりました。
それからしばらく、オーリアが持った綺麗な容器に入ったきらきらの砂が、上の入れ物から下の入れ物へと全て落ちきると、いよいよ私たちの番になりました。
「それじゃあ、僕たちも行こうか」
「はい、ルグリオ様」
差し出されたルグリオ様の左の手のひらに、自分の右手を重ねます。
一際大きな歓声が聞こえてきて、行ってらっしゃいませと、とても良い笑顔で手を振るオーリアに見送られ、私たちは手を繋ぎながら、歩調を合わせて進み始めました。
「まずはこっちへ向かうみたいだね」
双六ではありませんでしたけれど、順路と書かれた看板に従いながら進んで行きます。
「こちらが第一関門になります」
第一の試練と書かれた看板の後ろには、シャワールームのような仕切りが用意されていました。
「っつ! ようこそお出で下さいました、ルグリオ様、ルーナ寮長」
このアトラクションの担当者と思われる後輩たちが、勢いよく立ち上がり、揃って綺麗なお辞儀をします。
ルグリオ様は、彼女たちを宥められると、後ろに用意されている簡素な天幕へとお顔を向けられました。
「それで、ここでは何をすればいいのかな?」
「はい。それでは、彼女さん、ルーナ先輩はこちらへいらしていただけますか?」
私は手を引かれるままに、ルグリオ様への対応か、もしくは説明のために残られた一人を残して、二人で天幕の内側へと移動しました。
「では、失礼致します」
黒髪にヘアバンドをした彼女は、頷きながら私の周りを観察するようにして歩き始められました。
「えーっと、一体これは何でしょうか?」
「すぐにお分かりになりますよ」
一周回って、元の位置に戻られた彼女は、分かりました、と頷いていました。
「まあ、ルーナ先輩のお姿は毎日と言っていいほど拝見しているので、今更ではあるのですが、今日はいつもと服装が違っていらっしゃるので」
次の瞬間には、鏡を見ているのではないかというほどそっくりな私が、私の目の前に立っていました。
鏡で自分の姿を見ることはあっても、所詮は平面という頸木に囚われていますし、変身の魔法は履修もしましたけれど、自分の姿になられたのは見たことがありませんでしたから、私は素直に驚きました。
靴の先から、腰につけている尻尾、そして頭に被っているカチューシャまで、何から何までそっくりです。
「ではいきましょう、先輩」
自分で、私の姿になった方から自分の声を聞くというのは初めての経験でしたし、鏡とは違う、実物のような―—ような、ではなく実物の―—自分の姿を見て、触るのも初めてでしたから、驚きと共にある種の新鮮さもありました。
そして同等の恥ずかしさも。
私が驚いていると、彼女も驚いた表情を浮かべました。
「なるほど、分かりました」
つまり、ルグリオ様が本物の、この言い方もおかしな気がするのですけれど、私を見分けてくださるというのが第一の試練というわけですか。
「あの、先輩、そろそろよろしいですか?」
ふと顔を上げると、彼女はくすぐったそうに身をよじっていました。
どうやら、無意識だったのですけれど、ずっと彼女の身体を触っていたようです。
「すみません」
「いえ。ありがとうございました。えへへ」
役得ですと何故か照れたお顔でお礼を言われてしまい、差し出された手に手を重ねると、私たちは横に並んで同時に天幕の外側へと踏み出しました。
「戻って来られました」
ルグリオ様は一瞬だけ目を見開かれていらっしゃいましたけれど、真っ直ぐに私の下まで歩いていらっしゃいました。
じっと私だけを見つめて微笑まれています。
視線を逸らされずに、ずっと見つめられているものですから、私はつい恥ずかしくなって、顔を逸らしました。
「ねえ、これはルーナが自白したことにはならないのかな?」
ルグリオ様が尋ねられると、残っていた彼女は首を横に振りました。
「いえ、残念ながら。まだルーナ先輩は言葉を発せられてはいらっしゃいませんでしたから」
「それは残念」
ルグリオ様は私の手を取られると、それじゃあ、と挨拶をされて、いってらっしゃいませとお辞儀をされた後輩たちに背を向けられました。
「もちろんリタイアなんてする気はなかったし、たとえどんな姿になろうともルーナを見分けられないなんてことはあり得ないけど、ルーナが自白していたら……」
「私が自白していたらどうなっていたのでしょう?」
「ルーナの可愛恥ずかしいポーズと台詞を聞くことが出来たのに。少し残念」
罰ゲームにならずに残念とおっしゃりながらも、ルグリオ様は笑っていらっしゃいました。
私はぷいっと顔を逸らしました。
「どうしたの、ルーナ?」
「知りません。ご自身の胸にお聞きになってください」
ルグリオ様はこれ以上楽しいことはないという様に微笑まれました。