5年 vsサイリア 2
レングス様を退け、走りにくい河原を、気付かれることを気にせずに飛ぶように走り抜けます。
日の光を反射してきらきらと輝く水面、外から飛んできた小鳥たちが羽を休めている枝葉からは綺麗な鳴き声が聞こえて来ています。
時折聞こえる水の跳ねる音は、餌を捕るために魚が跳ねた音でしょうか。
魔法で作られたものであるにもかかわらず、そのように細かいところまで作り込まれていることに先生方の本気度と実力の高さが窺えます。
先生方がお作りになったこの光景は、こんな状況でもなければ、対戦中ではありますけれど、ゆっくりと腰をおろして見ていたいほど素晴らしいのですけれど、今はそんなことも言ってはいられません。
秋などではなく、初夏と季節を間違えてしまいそうになる情景ですけれど、私は滑ってしまわないように足元に注意しながら、シェリルたちの姿を探して走り続けます。
「あちらですね」
敵の本陣かどうか定かではありませんけれど、どうやら接触したらしい音が聞こえてきました。
私の目の前の真っ白な小鳥に導かれるまま、足を向けます。
途中には数人、気を失って倒れていらっしゃる様子のサイリアの方をお見受けできました。
「さすがです。もう始めていましたか」
まずは戦況を把握するために近くの岩陰に隠れて様子を窺います。
他のエクストリアの生徒の姿は見受けられません。さすがにまだ辿り着けてはいないようです。
だからと言って待つつもりはありませんけれど。
「落ち着きましょう。焦りは禁物です」
急ぐことと焦ることは違います。まずは深呼吸をしようと空を見上げると、岩の上にしゃがみこまれた、様子を見にいらしていたらしいサイリアの代表者と目が会いました。
「……」
「……」
相手方が無言でいらっしゃるうちに数歩距離をとると、運動着ではありましたけれど、裾を摘むように丁寧にお辞儀をします。
「お初にお目にかかります。エクストリア学院5年、ルーナ・リヴァーニャです」
「……これはご丁寧に。僕はサイリア特殊能力研究院4年、キル・フリッパーと申します、ルーナ様」
地面についているのではないでしょうかと思えるほどに長い黒髪、緋色に澄んだ意志の強そうな大きな瞳、年下とはいえ男性であり、少なくとも私よりは確実に身長も高いと思われます。
全体的に丸みを帯びた顔立ち、あまり筋肉がついてはいそうにない身体つき、細い首筋。上着に隠れて上半身は分かりませんけれど、それほど肉体的に鍛えていらっしゃるわけではなさそうです。
私がそうしていたように、キル様も同じように私を観察していらしたようで、視線がぶつかると、少し顔を赤らめられて、微妙に視線を外されます。
はっとしたように頭を振られると、今度は岩の周りを回るように歩く私から目を離さずにいらっしゃいます。
離脱できるのならば即座に駆けて行くつもりでいたけれど、そうもいかないようです。
「私たちも急いでいるのでそこを通してくださるとありがたいのですけれど」
「すみません。そういうわけにもいかないのです」
私はちらりと後方を振り返ります。
シェリルとシュロスならきっと大丈夫です。
「そうですよね。では参ります」
キル様を無視してここを通ることはできません。名乗り合ってそれでは、いくら理由があろうとも失礼極まりない行為ですから。少なくとも、学生同士の対抗戦においては。
手の内が分からないまま、先に動くことは危険かもしれませんけれど、このままいたずらに時が過ぎるのを待つわけにも参りません。
覚悟を決めて最初の一手を繰り出します。
私が発した氷の礫は、勿論、一つなどということはありません。
様子見のつもりもなく、仮に障壁があったとしても撃ち抜けるだけの強さは込めたつもりでした。
しかし、それはキル様に痛痒を感じさせることなく、払い落とされました。その艶めく長い黒髪によって。
「こちらからも参りますよ」
そのまま意志を持っているかのごとくに伸びてきた黒髪が、私を捕まえんと、うねる様に襲い掛かってきます。
捕まるわけにもいかないので、自分を守るための半球型の障壁を展開します。
障壁にまとわりついた黒髪は、締め付けて潰そうとしているかのようにぎちぎちと締めあげてきています。
「……お一つ窺ってもよろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
勘ぐってきたりはしていない、純粋に私の問いに対する許可だけが返されます。
「キル様は男性でいらっしゃいますよね?」
「……はい」
少し躊躇うかのような間があった後、疲れたような返答が聞こえました。おそらく、初対面の方にはお同じような質問をされていらっしゃるのでしょう。私にはすぐに分かりましたけれど、失礼かもしれませんが、そう間違われてもおかしくない容姿をされています。
「では、失礼します」
女性でしたならば遠慮して別の方法を探していたところですけれど、こういった言い方は差別に当たるのかもしれませんが、男性ならば多少は大丈夫でしょう。
「あっ、えっ?」
戸惑うような声が聞こえてきました。
少し遅れて、私のことを覆っていた漆黒の髪がはらりと地面に落ちます。
「すみません。綺麗な髪だったのですけれど、本当に申し訳ありません。勝負ですので」
河原には炭のように真っ黒な髪がとぐろを巻いています。
呆然としていらっしゃるキル様には悪いと思いましたけれど、手段を選んでいる場合ではなかったので。
「僕の髪が切られるなんて……。燃やされたりするならばともかく」
「燃やされたことがあるのですか!」
そのまま先を急ごうと思っていたのですけれど、思わず振り返ってしまいました。
「はい。幸い、途中までで済みましたし、少し経てば元通りになるので問題はなかったですけれど」
問題なかったなどと、そんなはずはないことでしょう。髪の毛と言えば、命、ほどではないにしろ、とても大事な、大切な部分ではないですか。それを燃やすような方がいらっしゃるなんて信じられません。
こんなに綺麗な、艶のある黒髪を燃やしてしまわれるなんて、相手の方は何を考えていらしたのでしょうか。
男女で髪の毛にかける思いは違うのかもしれませんけれど、この私が切断してしまった髪を見れば、キル様がどれほど大切にされていたのかはよく分かります。
「……もしかして」
「はい。前回の対抗戦の折、エクストリアさんの選手にではなかったのですけれど。もちろん、勝負ですから、自分が使っている以上、どうなることも覚悟はしていましたけれど、やはりショックはありましたね」
そう言いながら、キル様はようやく立ち上がられました。
「僕のことなど放っておいてくださってよろしかったですのに。……すみません。話を聞いてもらっておいて悪いのですけれど、僕も代表として、立ち上がった以上はむざむざ通らせるわけにはいかないのです」
「当然です。立ち止まったのは私の意思ですから、あなたには落ち度はありませんよ」
キル様が落ちたご自分の髪を一房拾われると、その髪の毛は形を変え、長い槍のような形状を取りました。
「行きます!」
あくまで髪にこだわる姿勢を見せるキル様の槍を、真正面から障壁を持って受け止めます。
ぶつかっている所から光の粒がこぼれています。
やがて真っ黒な槍は元のしなやかな黒髪に戻り、キル様の手の中で下を向きました。
「ここまでのようですね」
「私は先を急ぎますので、失礼致します」
追い打ちのようで悪かったのですけれど、それが礼儀とも思ったので、きっちり一発打ち込むと、気を失われたキル様を近くの大岩に寄りかけました。