5年 vsサイリア
誘拐事件が起こった時にヴァスティン様もおっしゃられていたことですけれど、犯罪者がいると分かってはいても、そのことによって催事、今回に関していえば対抗戦を中止もしくは延期にするなどということはなく、昨日と同じように執り行われます。
予備日もあるのですから一日くらい様子見をしては、との意見も教職員の方の間では出されていたそうですけれど、結局、通常時よりも早くにずらされるという対応をとるだけになったようです。
「だからさっきサイリアの方達とすれ違ったのね」
ロマーナの言う通り、私たちが準備運動を終えて引き返そうとしたところで、フィールドへの入り口でサイリア特殊能力研究院の代表の方達と軽くご挨拶をさせていただきました。
「でもそれって、向こうの方達は大丈夫なんですか?」
「その件につきましても確認は取れていますから問題ありませんよ、リアさん」
いつもより早くなったということは、私たちには比較的影響は少ないですけれど、他校、特に移動が多いイエザリアやサイリアの方達には大変なことだと思うのですけれど。
今回の日程では二日目に一番楽なのは私たち、次いで、二日目の初戦を自校で行うルーラルですけれど、サイリアやイエザリアの方達は長距離を移動する上、自校での戦いがないという大分ハンデが着くことになります。
「ですが、分かっているとは思いますが、皆さん」
「はい、リリス先生。私たちは全力を尽くします」
私たちが声を揃えて返事をすると、リリス先生は満足されたように微笑まれました。
「私は審判を務めるので大っぴらに応援することは出来ませんが、皆さんの健闘を祈っています」
リリス先生が更衣室から出て行かれてからそれほど経たないうちに、再び更衣室の扉が叩かれました。
「準備できてる?」
呼びに来てくれたメルに先導されて、私たちはフィールドへと足を踏み入れました。
挨拶を済ませ、自陣へと引き返してきた私たちの前に今回のフィールドに選ばれた渓谷が姿を見せます。
出現した滝の近くに校章を設置すると、私は皆の方を振り返りました。
「皆さん、昨日のことはとりあえず置いておいて、目の前の対戦相手に集中してくださいね。当然ですけれど、油断などないように。今日は二試合もあるのですから」
勿論、気にしないなどということは不可能に近いでしょう。昨日の出来事は起こってしまっているのですし、ルグリオ様やセレン様が動いてくださっているとはいえ、解決していない以上、どうしても、わずかでも引っ掛かりは覚えてしまうのかもしれません。
「それでも、私がここで何と言おうとも、やはりどうしても気になってしまうでしょう。ですから、解決策も用意してあります」
「要するに、出来るだけ時間をかけず、迅速に試合を終わらせるってことでしょう、勿論勝利で」
前回までの成績を鑑みても、私たちが勝つだろうという予想の方が多いことでしょう。そのことで慢心したりしているわけではありませんけれど、自信を持つことは悪いことではありません。自信は踏ん張りどころでの重要な要素になり得るからです。
「ええ。一国民として、未熟とは分かっていても、知ってしまった以上、任せっきりにしてしまうことは出来ませんもの」
私たちに何が出来るわけではないのかもしれません。
無用な正義感で余計に事態をややこしくするだけなのかもしれません。
先生方に聞けば、生徒は余計なことを気にするなと言われることでしょう。
トゥルエル様にも、あんたたちは全く人の話を覚えていないんだね、と拳骨を落とされることでしょう。
それでも、シュロスの言う通り、放っておくことなど出来ようはずもありません。
「相手校からは傲慢と、そして舐められていると思われてしまい、いらぬ揉め事を起こすことになるかもしれません。それでも、私たちはこの道を進みます」
速やかに第一試合を終わらせて、第二試合が始まるまでに相手を一網打尽にします。そして、何事もなかったかのように、第二試合に臨むのです。
「覚悟はいいですね、皆さん」
「おおー!」
開始の合図が出され、打ち合わせ通り、私たちは相手の陣地、校章目がけて、飛び出しました。
「おい、エクストリアがもう来たぞ!」
「何っ!」
渓谷は選択されるフィールドのうち、廃屋の次に相手の校章の位置の特定が難しいとされているフィールドです。
しかも相手はサイリア特殊能力研究院。私たちが普段習っている内容では即座の対応が難しい、未知の現象が引き起こされる可能性もあります。
なればこそ、余計慎重に事を進めなくてはならないところですけれど、今回はそうも言ってはいられない事情があります。
「勝手にやらせるかよっ!」
私が岩場に着地した瞬間を狙い、サイリアの選手に影を捕まえられます。身体の自由が利かなくなったように、指先一つまで動かすことができません。
「そんなに急がず、少しは俺達に付き合っても―—」
最後まで言わせずに、私は足元の岩を破壊します。
肉体は動かずとも、魔法の使用に問題はないようです。
足場としていた岩が崩れ、当然、そこに映っていた影も形を変えます。
「おっとと」
バランスを崩した隙に、動くようになった足に魔力を込めて、その場を一気に離脱します。
「動けずとも魔法は使えるようですから、油断はなさらない方がよろしいかと」
相手を気絶させる間も惜しんで、一直線に、小鳥に導かれるままに川辺を走り、草木の間を駆け抜けます。
突如、地面に影が落ち、反射的に身を屈めます。
「ルーナっ!」
シェリルの叫びが聞こえた時には、すでに私は相手に向き合っていました。
「先に行ってください、シェリル、それにシュロスも。ここで、私が足止めできれば、本陣の方は手薄になっているはずです」
振り返らずに静かに告げます。
「でも」
「それとも私が信じられませんか?」
真紅の鎧を着こんだ目の前の相手から視線を離さず、右方向から迫ってきている方にも気を配りつつ、それでいながらシェリルたちには先を促します。
「……いきましょう、シェリル」
「でもシュロス!」
「大丈夫よ。それに、ルーナに複数引き付けられているこの状況はチャンスなのよ。ルーナを信じて」
二人が遠ざかって行くのを感じながら、私は大きく息を吐き出します。
「ルーナ様。お会いできて光栄です。今日は攻撃に出ていらしたのですね」
前回、前々回、サイリアと戦った時には私は後方でシエスタ先輩たちと校章を守っていましたから。
サイリアの選手の方達が、前回までとそれほど布陣を変えていないのであれば、守りにつかれている方とは挨拶以外では初めて相対することになります。
「ええ。たまには前線に出てみては、と勧められたものですから」
もっとも、相手方としましても、同じ配置とは限らないのですけれど。
「私といたしましても、ルーナ様と再びこのような形で相対出来て光栄です」
目の前の方、レングス様が深々と頭を下げられます。
「ありがとうございます。ですが、今回は私も色々と事情がありますので、あまり長くお付き合いできないこと、申し訳なく思います」
「そうですか、それは残念です」
軽く会釈をすると、水に濡れていて不安定な足元の岩を蹴ってレングス様へと接近します。
「おっと」
放った攻撃は例の黒いものに防がれました。生き物ではないと思うのですけれど、その数は前回よりも増えていて、5つになっています。
魔法ではない、物理的な事象ならばどうかと、流れる川の水を飛ばしてみると、今度は普通の障壁によって防がれます。
「僕も力をつけましたから、決して退屈はさせないと思いますよ」
レングス様は自信があるように、少し得意げに胸を張られました。魔法、或いは能力、と言った方が良いのかもしれませんけれど、使用せずとも素手でも大分おやりになりそうです。
やはり生半可な攻撃では通用しないようですね。
分かってはいたことですけれど、さすがに代表に選ばれるだけの実力のある方に対して出し惜しみする余裕はありません。
「こちらも覚悟を決める必要がありそうです」
私は障壁を重ねて展開すると、足元の岩を蹴ってレングス様へ接近します。
途中、数度方向を変えてみても、しっかりと対応されていて、視線をきることはできません。
当然のごとく、障壁を消そうとレングス様も使い魔を全面に押し出されて、双方がぶつかり合い、激しい消耗戦を繰り広げます。使い魔だけではなく、普通の魔力障壁も使われるのですから、不利は否めません。
「えっ」
レングス様から間の抜けたような声が聞こえます。
まさか私が障壁を消すとは思っていらっしゃらなかったのか、使い魔に指令を下すまでに一瞬の間隙が出来ました。
「くっ」
「その使い魔は魔法に対しては有効ですけれど、他に対してはそうではない。予想通りで安心しました」
案の定、魔法を向けられていない状況での接近には無力で、純粋に体術のみでは容易に接近することが出来ました。それは、私の体術はそこまでではないと思っていただけていたおかげでもあります。
前回までも多少は使用していましたけれど、練度としては普通に通用すると言えるものではありませんでした。
しかし、今回はどうやら意表をつくことくらいには使えるようになっていたようです。普段、訓練をつけてくださるお城の先生方や、ルグリオ様、セレン様が相手では、知られてしまっていることもあり、奇襲性は低いのですけれど。
「どうされますか? 今から使い魔を戻されますか?」
「……僕も男ですから、ここで引きさがるわけにはいきません」
この距離ならば大抵は魔法よりも体術、格闘術の方が早く繰り出すことが出来ます。
「やあっ!」
そう、大抵は、です。
「素直な方で助かりました。そしてすみません」
私の運動着の裾を掴もうと伸ばされたレングス様の腕を障壁で受けきると、即座に結界に閉じ込めます。
目を見開かれたレングス様には心の中で、すみません、と謝ります。
体術の構えを囮にした私は、レングス様が行動を起こされる暇を与えずに、中を高速で振動させます。
「結界を使わずにやると効果範囲が広くなりすぎてしまうので」
物理現象ならば、たとえ魔法で起こったことであろうともあの使い魔もどきには消されることはないでしょう。しかし、範囲が広くなりすぎてしまいますし、それよりも結界で覆った範囲に絞って魔力を使った方が消費が抑えられます。
「申し訳ありません。ですが、先程も言ったように、こちらにも事情があるのです」
高速で揺さぶられ、前後不覚の後に倒れられたレングス様と、心配するように横に並んだ黒い使い魔に軽くお辞儀をすると、シェリルとシュロスを追いかけて、青い小鳥に導かれるまま、私はその場を後にしました。