詰問
エストラーゼ帝国では、ニルヴィアナが報告を待ってイラついていた。忙しなく、部屋の中を行ったり来たりしている。
「あーっもうっ! まったく、まだあのルーナとかいう小娘を捕まえられないのかしら?」
そう言いながら、手当たり次第に部屋の中のものを掴んでは投げ捨てる。枕元にある花瓶も、中の花ごと床に叩きつけられて、大きな音を立てて床に衝突し、砕け散った花瓶からこぼれた水と花が床を濡らす。大きな音に反応して、部屋の外から侍女たちが何事かと尋ねてくる。
「姫様。いかがなさいましたか」
人前では取り繕っている、普段のニルヴィアナからは想像できないため、何か異常事態が起こっているのだろうかと心配しているのだ。
「……何でもないわ。そう、何でもないことなのよ」
ぶっきらぼうに返答して、侍女を遠ざける。このことを知られたら、もしかしたら、自分のことがバレるかもしれない。ニルヴィアナも一応それぐらいのことは考えていた。もっとも、それしか考えていないとも言えるのだが。
「それにしても、役に立たない男ですわね」
あのペルジュとかいう醜悪な男に、ルーナの情報を渡してから、既にかなりの時間が経過していた。もちろん、自分のところには疑いがかからないように、細心の注意を払い、間にはどうでもいいような人間を仲介させたりもした。そのため、報告がまだ上がって来ていないのだとも考えられるが、それにしても遅い。
「それほど待っている時間はないのだけれど」
既に、エストラーゼ帝国でも、ルグリオとルーナとかいう小娘の婚約のお披露目が済んでいるとかいう悍ましい知らせも、ちらほらと耳にする。
「そんなことになっていては一大事ですわ」
いくらなんでも、国民全員に広く知れ渡ってしまっていたら、それを覆すことは大変だ。ニルヴィアナ自身も、同じように既成事実をまき散らそうとしていたのだから、その危険性は良く分かっている。なんとしても、阻止しなければならない。実際には既に手遅れなのだが、大分時間が経っているというのに、幸か不幸かその事実をまだニルヴィアナは知らなかった。
「やはり、次の手を打つべきかしら……?」
盲目的なニルヴィアナには、自分の目的しか見えていない。自分がルグリオと結ばれるためならば、他人にどれほどの犠牲が出ようとも、その屍を踏みつぶすつもりだった。他人への迷惑は微塵も気にはしていなかった。
「姫様。コーストリナ王国より、セレン・レジュール様がお見えです」
そんな風に考えていると、侍女の一人が来客を告げるべく、部屋をノックしていた。
「わかりました。すぐに準備して参ります」
ニルヴィアナは、今までの荒れっぷりを感じさせない落ち着いた声で返答した。
他の客ならいざ知らず、ルグリオの姉、いずれは自分の義姉になるだろうと疑っていない人物に、悪い印象を与えるわけにはいかない。
数度深呼吸をして落ち着くと、暴れて乱れた髪を梳かし、ドレスを調える。それから、外で待っている侍女に声をかける。
「では参りましょう」
歩きながら、ニルヴィアナは思考を巡らせる。一体、セレン様は何のために自分をお訪ねになったのだろう。先程までの考えに思考を引きずられて、悪い方向に考えてしまう。もしや、自分がしたことに気付いたのだろうか。
「いえ、そんなはずはありませんわ。いくら、セレン様と言えど」
しかし、後ろめたいことをしているという気持ちはあるのか、わずかに表情が曇ってしまう。
「いけませんわ。このようなことでは。万が一にも、気づかれるわけには参りません」
そう思い直して、表情を作ると、セレンが待っているという部屋に入っていった。
部屋の中では、セレンが一人で、侍女に出されたと思われる紅茶を飲んでいた。ニルヴィアナが入ってきたのに気づくと、カップを皿に戻して、優雅な仕草で立ち上がる。
「急な訪問になってしまって、申し訳なかったわね」
セレンの口調は、大分砕けたものだった。これは、少なからず自分に気を許しているのだろうとニルヴィアナは好意的に解釈していた。
「いえ、こちらこそ、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。どうぞ、お座りください」
「そう。では失礼するわね」
セレンが静かに椅子に腰を下ろしたので、ニルヴィアナも机を挟んで対面の椅子に腰かける。
「あなたが犯人ね」
紅茶を口に含んだタイミングで、唐突にそんなことを言われ、思わず、むせ返ってしまった。吹かなかったのはせめてもの矜持だろうか。
「な、なんのことでしょう?」
既に意味はないのだが、一応、取り繕う。
「今の反応だけで確証は得られたのだけれどね。まあいいわ。もう一度お聞きしましょう。ここ最近、周辺国家で起こっている誘拐事件の首謀者はあなたね。エストラーゼ帝国第一皇女、ニルヴィアナ・エストランテ姫」
セレンは落ち着いた口調でさらに続ける。お聞きしましょうなどといいながらも、その口調は断定的だった。
「あなたが以前から弟を、ルグリオを気にしていたことはわかっているわ。そして、あなたはいずれは自分が伴侶に、と考えていた。それは、ルーナがルグリオのお嫁さんだと世間に公表されるずっと以前からよ。しかし、噂を留めておくことは出来ないわ。あなたは、侍女の話か、あるいは、偶々外出した時にそれを知ってしまった。まあ、この経緯はどうでもいいのだけれど」
セレンはカップに口を付けて、唇を湿らせた。
「あなたも飲まれたらいかがかしら」
実際、ニルヴィアナの口はカラカラだったのだが、先ほどのこともあり、慎重に紅茶を口に含む。今度は、ニルヴィアナが飲んでいる最中にセレンが言葉を発するようなことはなかった。
「その噂の真相を確かめるべく、あなたはコーストリナまで来て、自分の眼で真実を確かめてしまった」
そうだ。あのときは、思わず、ルーナの方を睨みつけてしまった。溢れる感情を制御できなかったのだ。
「それから、あなたは考えたはずよ。どうにかして、今からでもルーナに取って代わる方法はないものかと。そして、おそらく、そのために手段を選ぶつもりはなかった」
一々的確なセレンの言葉に、ニルヴィアナは言葉を挟むことはおろか、視線を逸らすことすらできずにいる。
「しかし、自分の手を直接汚すこともまたできない。もちろん、国を亡ぼすような度胸もなかった」
国を亡ぼすことを、度胸と言ってのけるセレンに反応することも、今のニルヴィアナには出来なかった。震え出しそうになるのを抑え込むので精一杯だった。
「そこであなたが考えたのが、誘拐、拉致等、ルーナ一人だけに焦点を当てることよ。ただし、ルーナ一人だけだと、小さい可能性ではあるけれど、その狙いから自分が特定されてしまう恐れがある。だから、あのペルジュという男に声をかけた」
「し、証拠はあるのですか」
その言葉が、すでに自分の罪を認めているようなものだったが、ニルヴィアナは気付く様子もなかった。
セレンはくすりと笑うと、手を叩いた。
ニルヴィアナが気づいたときには、セレンの横に、ルグリオと、ルグリオの腕に抱かれたあの小娘、ルーナが立っていた。
セレン姉様は自由人だから動かしやすいのです。
決して、ルグリオとルーナを蔑ろにしているわけではないのです。
セレン「お姉ちゃんにまかせなさい」
ルグリオ「姉様、それ以上はいけない」