5年生学内選抜戦決着
現実の勝負では、物語のように、毎度毎度、劇的な幕切れが訪れるわけではありません。ある時は、流れ弾が偶然当たって、またある時には相手のもしくは自分たちのミスで、その他にも天候等の要素によって、あっけなく終了することもままあります。
もちろん、個人の感想であり、当人たちにとっては、もしくは観客の方たちにとっては手に汗握る展開が相次いでいたのかもしれませんけれど。
女子寮の校章の前で、リアたちの帰還を待っていた私たちの前に姿を見せた時、リアも、そしてシキさんも、疲労が少しばかり見え隠れしていました。
「リア、大丈夫ですか?」
額の汗を拭っているリアに私が声をかけようとすると、手のひらを私に向けて、こちらへ来ないでと意思表示されます。
「今いいところだから、ルーナはそこにいて」
こちらを見ずに答えたリアは、重力さえ感じさせるような視線を向けるシキさんを睨みつけて、笑みをこぼしました。
実際にリアの足元はへこみ始めていて、重力がかけられているのかもしれません。
「ふぅ。ようやく戻って来られましたか。随分とかかってしまいました」
戻ってこられたシキさんは、その場で気を失っているであろう、立ち上がっていない生徒を見回されました。
「こちらもそれほど残っているわけではないようですね……。しかし、まだ終わりませんよ」
シキさんの号令の元、今までそれぞれ別々にこちらへの侵攻を試みていた男子生徒の動きが、統率された指揮官のいるものへと変わりました。
「最初からこうすれば良かったのではという意見はごもっともですが、どうも血の気が多いのがたくさんいまして……。最初は好きにやらせた方が、皆楽しめるのではないかと思いまして」
「ここから先は違うとでもおっしゃるのでしょうか?」
シキさんは笑顔を崩されませんでしたけれど、私もここで負けるわけにはいきません。おそらく、前線、男子寮の方で頑張っているアーシャやシュロスたちのがんばりを無駄にするわけにはいきませんから。
「ロッテ、リア、まだいけますよね」
私が問いかけると、ロッテは楽しそうに笑いました。
「当然じゃない。まだまだいけるわよ」
リアも笑みを見せてはくれましたけれど、大分疲れているようにも見えました。
「リア、私と代わって後ろに下がっていてください」
「校章を守るのも大事な役目よ」
リアは若干不満そうでしたけれど、自身が疲れているだろうことは自覚しているのか、大人しく頷いてくれました。
「あーあ、私もまだまだだな……」
それから私はロッテにも顔を向けます。
「ロッテ、彼、シキさんとは私がお相手致しますから、ここで校章を見ていてくれますか?」
「私はまだ大丈夫よ」
「私にも少しは楽しませてください」
私たちはしばらく見つめ合っていましたが、やれやれとロッテが肩を降ろしました。
「仕方ないわね、うちのお姫様は」
「ふふっ、ありがとうございます」
私は一歩前へと進み出ると、スカートの端を持つような格好で、実際には運動着なのでズボンでしたけれど、頭を下げました。
「お疲れのところ申し訳ありませんけれど、次のお相手は私が務めさせていただきます」
「願ってもないことです。やはり、ルーナ様を越えなければ、男子寮の完全勝利とはいかないと思っていたところですから」
随分な自信ですね。男子生徒の中では最高の実力をもつ相手。私としても、気は抜けません。
「同学年なのですから、様など、敬称は不要ですよ」
「それはご容赦ください」
私は微笑むと、その場でシキ男子寮長を待ち構ます。
「いつでもどうぞ。それから、言うまでもないこととは思いますが、容赦など無用です」
「そのような無礼を働くつもりはありませし、そのような余裕もありませんよ。参ります」
正面に展開していた障壁は瞬く間に破壊され、私は軽く目を見開きました。それなりの強度を持たせて構築したはずですけれど、こうもあっさり突破されるとは。
全身を武装するような魔法は私には使えませんから、私に出来ることは、打撃、もしくは魔法で狙われた部分に障壁を展開するか、もしくは受け流すことでしょう。
ただ、私が武術を嗜んでいるということは、前回までの対抗戦で、すでに披露してしまっているので、無論、あの頃よりは研鑽を積んでいますけれど、奇襲性は見込むことが出来ないでしょう。
「良い師をお持ちなのですね。いえ、これは失言でした。お城にお仕えしている方なのですから愚問でしたね」
身体強化等の魔法を併用しない格闘戦技は、使用することがなければそれが一番なのですけれど、万が一に備えるという意味でも、学んでおかなくてはならない技術です。
未だ、セレン様やルグリオ様の域にまでは遠く及びませんけれど、全くの素人という状態よりはかなり上にいるのではないかと思っています。
「自分の身は自分で守れるようにならなくてはなりませんので」
もちろん、ルグリオ様やセレン様は言うに及ばず、ルードヴィック騎士長様、ソラハさん、そしてシエスタ先輩のことは信頼していますし、お城にいらっしゃるどなたも、私のことを大切に思っていてくださっていることは知っています。
万が一、いざという時など来ることはないのかもしれません。
「ご立派ですね」
襲ってくる氷の礫も、一度に全部破壊されてしまわないように、それぞれに作り出した障壁で、受け流し、上手くいけばシキさんの方へも打ち返します。
「心配をかけない、というのは無理なのでしょうけれど、以前、セレン様もおっしゃられていました。王族たる者、日常の生活から、学問、芸術、魔法、そして武術においても、国民の見本となるよう常に努力を惜しんではならないと」
私たちを守ってくださるのが国民の責務だというのならば、私たちの責務は国民を守ることなのだと。
「守られているだけのお姫様ではないのですよ」
3年生、4年生の間で、「実戦」も多く経験しました。
対人技術とは別物だと言われるかもしれませんけれど、もはや、1年生の時のような無様を晒すわけにはいきません。
「ですから、遠慮なさらずにかかってきてください」
「よく分かりました。その余裕はこちらにもなさそうですので」
リアとロッテに一瞬顔を向けると、シキさんはすぐ目の前まで迫ってきていました。
そこで急に視界から消えたかと思うと、低く地面に屈み込んだシキさんから回し蹴りが飛んできて、私は飛び上がると、空気を足場にして、後方へ回転します。
地面に降り立つと同時に繰り出された右の拳は、引き込んで、そのまま腕を取り投げ飛ばします。
「後ろっ!」
次の瞬間に、リアの声は間に合わず、後方からの衝撃を受け、目の前がちかちかし始めました。
治癒の魔法、よりも先に、自身を囲う結界を作り出します。案の定、側面からはシキさんが突っ込んできて、繰り出された拳は、今度はどうにか防ぐことが出来ました。
「リア、ありがとうございます」
言った傍から自身に加速の魔法を使い、後方へと急速で移動した私は、上空から降ってくる無数の石礫と、紛れて降りてこられたシキさんを躱します。
「っつ」
降りた衝撃で動くのが一瞬停滞した間隙に、彼の周りを埋め尽くすほどの空気弾、氷の礫を彼の周りに展開します。
「そのまま大人しくしていていただけるのならば、ありがたいのですけれど」
「まさか」
シキさんは不敵な笑みを漏らします。同じような状況の3年生の時の対抗戦のときにはシエスタ先輩との合同でしたけれど、今回は私だけでも可能でした。
「では—―」
そこまで言ったところで、終了の合図が出され、女子寮の勝利が告げられました。
結局、シキさんには何か手段があったのか知ることは出来ませんでした。尋ねたならば教えてくださったかもしれませんけれど、ありませんよと微笑まれるだけだったかもしれません。
「試合には勝ちましたけれど、私たち自体は勝負なしということですね」
「……そうですね」
私は魔法を消滅させると、シキさんに向かってお辞儀をしました。
「では、いずれ、機会があるかどうかは分かりませんけれど、その時にまた」
「はい。今回は私の、いえ、私たちの負けのようです」
私の後ろからは駆け寄ってくるリアたちの足音が聞こえ、赤く縁取られた校章が風に揺られて、ゆらりと翻っていました。