竜退治
私たちが黒竜と戦うに際しては幸運に見舞われました。
最たるものは、黒竜と戦っている最中に他の竜種に襲われることがなかったということです。
一体だけでもギリギリの戦いなのですから、竜峰に生息していると思われる他の竜種にも襲い掛かられていれば、間違いなく、命を落としていたことでしょう。私たちが、竜たちから見れば、弱小種である人間であったことが有効に働いた形です。
もう一つは晴れていたことです。
なんだそんなことと聞く人によっては思われるかもしれませんけれど、結構重要なことで、彼ら竜が水を嫌がらないことは分かりましたし、実際に攻撃して確かめたりもしました。
しかし、彼らがどうあれ、私たちは雨が降れば視界が塞がれ、足場が滑ることによる機動力の低下を招きます。翼が雨水を吸収するのかどうかは分かりませんけれど、彼らにも地上に降りるという選択肢がある以上、どちらかと言えば不利になるのは私たちの方です。
そして地形。
足場の悪さに目を瞑れば、それも結構な問題ではありますけれど、背後が岩壁というのは、後ろから襲われる心配がないということでもあり、警戒する方向を限定させることが出来ます。
「そう思っていたところから、落ちそうにならないでください」
考えていた側から足場を踏み抜いて崩してしまったアーシャの腕を掴むと、身体強化と、下方向から崩れ落ちていきそうになっている破片を空中に固定させることで、足場を形成します。
岩の破片に足を乗せることに成功したアーシャは、私の身体ごと押し戻しつつ、足場に復帰します。
「ありがとう、ルーナ」
アーシャのお礼の言葉を聞きつつ、私は別のことを考えていました。
まさに眼前の脅威に晒されながら、我ながら豪胆だとは思いますけれど、咄嗟にできた今の魔法から一つの可能性を思いつきました。
それ自体は、もしかすると、出来るけれども今まで行ってこなかっただけなのかもしれません。
飛行する魔法。
大空を自由に飛翔する魔法というのは、今まで見たことはありません。
もしかすると、お城の書庫などには蔵書があるかもしれませんけれど、馬車などに浮遊の魔法として使用されているようなことはあっても、個人の技能として手軽に使っているのは見たことがありません。
誰かが思いつきそうなことですけれど、なぜ、今まで使われては来なかったのでしょうか。
原因としてはいくつか考えられますけれど、まず―—
「ルーナっ!」
メルの鋭い声が飛んできて、慌てて顔を上げると、目の前に黒竜が迫ってきていて、その大きな口を開いていました。
「避けてっ!」
アーシャの悲鳴に近い声が飛んできて、私は咄嗟に、黒竜の口の中へ向かってあらん限りの魔法を叩き込みました。
すると、黒竜はこちらへ吐き出そうとしていた炎を中断、もしくは消滅させて、苦しそうなうめき声をあげながら、空中でのたうち回るという、奇妙な光景を見せてくれました。
私たちは一時的に攻撃が止んだため、一瞬だけ集まって顔を見合わせます。
これはもしかすると、ひょっとするのかもしれません。
非常に、そう、非常に危険な賭けではありますけれど。
「ねえ、ルーナ」
メルが確認するような視線を向けてきます。
「ええ。おそらくその通りかと」
シズクが頷き、アーシャが確かめるように口に出します。
「じゃあ、狙うのは一瞬、あいつが攻撃を放とうとして、口を開いた瞬間ってことね」
脚や爪、尻尾などに払われているだけではこの作戦は通じませんけれど。
「狙う価値はありますね」
問題はどうやって口を開かせるかということですけれど、それについてはおそらく問題ないでしょう。私たちが怖気づいたりさえしなければ。
「では、作戦通りにいきましょう」
私たちは顔を見合わせ、頷きあいました。
怒り狂ったようにこちらへ向かって咆哮する黒竜。もはや逃がすことなど微塵も考えてはいないようです。
「では頼みましたよ、アーシャ、シズク」
「「任せて」」
二人の声が重なります。私もメルと顔を見合わせて頷きあいました。
「じゃあ、いくよ」
アーシャの掛け声とともに、私たちの後方から黒竜へ目がけて雷撃、大岩など、無数の攻撃が飛び出します。
黒竜はそれを歯牙にもかけぬように、こちらへ向かって突撃してきます。
自身が傷つくことを厭わずに、私たちの目の前まで迫りくると、予想通り、横薙ぎに爪を振るった後、その大きな口を広げます。
「メル」
私はその瞬間を狙って、メルに声をかけると、竜の口の中に出来る限りの障壁を重ねます。
その開いたままの口を押えるように、今度はメルが上下に、口を閉じさせないように結界を作り出します。上下というよりは、つっかえ棒のようにと言った方が正しいかもしれません。
「アーシャ、シズク」
メルの声が飛ぶのと、アーシャとシズクの魔法が飛ぶのはほぼ同時でした。
完璧なタイミングで、広げられた竜の口の中に、まさに竜を象った雷が放たれます。
私の障壁を感じていたのでしょうか、こちらへ向けての攻撃を躊躇っていた竜は、まともに体内にアーシャとシズクの攻撃を受け、だんだんとその高度を落としていきました。もちろん、私の障壁はアーシャたちとタイミングを合わせるようにして、まさに当たるその瞬間に取り払いました。
「念のため」
私たちは竜の翼の付け根を狙って攻撃を続けます。皮膜も高く買い取っていただけるため、治癒の魔法があるとはいえ、あまり傷つけたいものではありませんから。
大きな地響きと共に竜が地面へと墜落しました。
「まだ油断はできません」
飛行能力が衰えているとはいえ、鋭い爪も、牙も、硬い鱗も健在です。少しでも気を抜こうものなら、残念ながら私たちの冒険はここまでのものになってしまうでしょう。
「分かってるよ」
私たちは出来る限り急ぎながら、しかしそれでも慎重に、崖を下り、竜の墜落した地点へ向かいました。