黒竜と遭遇
数日間の旅程を挟み、私たちは竜が棲んでいるとされている竜峰へと馬車を進めました。
ゼネルラ鉱山のもっと先、高い崖に囲まれ、深い霧に覆われたこの地には、繁殖力の高い小型の魔物、もしくは魔獣しか生息していません。
魔力を持たないで生まれてくる生物も、この地に満ちる魔力に当てられて、自然と魔力を持つようになるそうです。
生態系の頂点に立っているのが、地竜や飛竜といった竜種であるため、その他のものたち、特に繁殖力は低いけれど個としての強さは弱いわけではない、そういったものたちは無理にこの場所に留まらず、棲み処を移してゆくためです。
逆に、個体としての強さはそこまで高いわけではなく、私たち人にすら負けるような種でも、繁殖力さえ高いのであれば、この地は種の存続にはそれほど悪い地ではないようです。それどころか、ここまで来ることが出来るのならば、もしくはここで生まれるようなものであるならば、適しているとさえ言うことが出来るのでしょう。
なにしろ、捕食者、外敵と呼べるものはほとんど竜種しかいないわけですし、その力は圧倒的ではありますけれど、食用としては体長的に気にするほどでもない彼らは、脅威に晒されることがほとんどないためです。
では、その竜たちは何を食しているのかと問われれば、おそらくは他の竜種、自分よりも小さい他のものを食しているのではとの説が有力なようです。
実際にはその場面に出くわしたという記録はないため、あくまで想像らしいのですけれど。
例えば、小型の、と言っても竜種の中でのことではありますけれど、飛竜、ワイバーンなどは人里に降りてくることもあるということはすでに体験済みですし、おそらくはいると思われる他の小型竜種も似たようなものなのでしょう。
もちろん、ソフィー先輩もおっしゃられていたことですけれど、冒険者や学院生でも狩ることができる竜種は存在しているはずです。この世に存在する最強の個体、もしくはそれに準ずるような個体には勝利することは出来ないでしょうけれど、そうでないのならば、私たちにも出来ないということはないはずです。
自信を持ち過ぎる、過信することはよくありませんけれど、弱気になり過ぎることもあってはいけません。後れを取る可能性があることはほんの少しでもなくしていかなければならないのです。
「まずは発見するところからですね」
馬車は峰へ入る手前で留まらせ、そこでミーシャさん共々待っていていただいています。
まさか峰へ馬車を連れて入るわけにはいきませんし、彼女の安全までは私たちの誰も保証する余裕がないからです。
最悪、もちろんそうはならないことを信じてはいますし、最大限の努力は惜しまず、撤退を優先するつもりではありますけれど、私たちの行方不明、もしくは死亡を各所へ伝えていただかなければなりませんから。
「何か手掛かりでもあると良いのですけれど」
周囲を見回して何事も見逃すまいと目を凝らしながら、最大限の緊張感を持って進みます。
もちろん、そのような緊張感をいつまでも続けられるはずもなく、探索一日目はそこまでにして私たちは収納していたテントのようなものを組み立てると、見張りを交代しながら休みを取ることにしました。
「本当にここに生息しているのかなあ」
「ソフィー先輩もおっしゃっていたことだし、間違いないんじゃない」
休むまなければいけないことは分かっていても、そう簡単に興奮が治まるわけではありません。
見張りの交代が一周するまでの間、私たちは出会った時の行動、撤退条件、陣形等、細かく決めていきました。いくら用心してもし過ぎるということはないでしょうから。
結局その日は、運が良かったのか、それとも悪かったのか、竜種を発見することも発見されることもなく、無事に過ぎ去っていきました。
私たちがそれと出会ったのは翌日、簡易的な朝食を済ませ、進行を開始したときでした。
私たちは全員、同時にその咆哮を聞き、空気が震えるのを感じました。
「……大丈夫のようですね」
顔を突き合わせた私たちは誰もい竦んではいないことを、瞳に闘志が燃えていることを確認しました。
私も、ここまで来て覚悟が決まっていないなどということはありません。
覚悟ならば、賽が投げられたあの時に、来ることに頷いたときすでに決めています。
後は自分に出せる全力を持って迎え撃つだけです。
「当然だよ」
「私たちが言い出したんだから」
メルとアーシャ、それからシズクが力強く頷くのを確認して、私たちは手を重ね合いました。
「必ず、生きて帰りましょう」
「あれをやっつけてね」
耳を劈き、空気を震わせる咆哮。
ついに、というべきなのでしょうか、私たちの目の前にそれは姿を現しました。
全身が真っ黒な皮膚なのか鱗なのかに覆われていて、細長く、されど力強さを感じさせる尾がうねりながら空気を叩いています。
背中から生えている巨大な翼は、体長の数倍はあるようで、羽ばたくだけで突風が吹き荒れます。
大きな手足、前足なのでしょうか、からは鋭く尖った光る爪が生えていて、掠るだけで私たちなどただの肉片になってしまうことでしょう。
吐き出される鼻息は魔力を帯びているようで、ただそれだけで私たちの障壁を揺らしました。
真っ赤な目の眼光は鋭く、私たちなど歯牙にもかけてはいないように、敵などではなく、完全に餌か、それ以下とでも思っているようです。彼我の戦力差を考えれば当然ともいえるのでしょうけれど。
「怖気づきましたか?」
「まさか」
アーシャはやる気十分な声を上げています。メルやシズクも同様です。
これを倒すことで私たちの実習に有終の美を飾りましょう。