最後? の実習
「珍しく落ち着きがないけど、どうしたの、ルーナ?」
収穫祭を終え、学院生活でもおそらくは最後になるであろう現地実習の打ち合わせをしている最中だというのにも関わらず、私は全く集中できていませんでした。
私が気にしていてもしょうがないということは分かっているのですけれど、どうしてもそわそわしてしまいます。
「すみません」
大事な実習の打ち合わせの最中だということも理解はしているのですけれど、どうしても頬が緩んでしまうのを止めることが出来ません。
「まあ、一応話は聞いているみたいだし、そんなにきつく言うつもりはないけど……」
アーシャの視線が私の手元のノートへ向けられます。
「本当、どうしたの?」
隣に座っている、この中では唯一事情を知っているメルにアーシャとシズクの視線が集中します。
「実は、ルーナ、お姉さんになるみたいなの」
女子寮のホールがしんと静まり返ります。
目の前にいるアーシャと、珍しいことにシズクも、指を差したり、口をぱくぱくとさせたりしています。
「メル」
私は自分で答えるつもりでしたのに、そういう意図を込めてメルをじっと睨みつけます。
「ごめんごめん」
ルーナがあんまりにもあれだったからと言葉を濁されて、まあたしかに私も少し態度がおかしかったかなと冷静になることが出来たので、深呼吸をしてからアーシャとシズクの顔を見つめました。
「実は先日、お兄様、現アースヘルム王国国王様から手紙が届きまして、ミリエス様がそろそろご出産になるとのことでした」
何を言われたのか分からないという顔をしていたアーシャとシズクは目を数度瞬かせると、ここが寮のホールで、今は人が集まっているのだということを忘れたかのように大声をあげました。
「たしか、ルーナのお兄様がご結婚なさったのって前回の収穫祭のあたりよね」
アーシャが指折りながら日にちを数えています。
「懐妊じゃなくて出産なのよね」
「そのように手紙には書かれていました」
ちょっと早すぎるんじゃない、いやいや、結婚されてすぐならそろそろ、などと周囲からも噂をする声が聞こえてきます。
周りが落ち着かなくなってきたことで、逆に私は落ち着くことが出来たようでした。
「そんなことより、予定を決めてしまいましょう」
「あんたがはじめたんでしょうがっ」
何か言っているアーシャを無視しつつ、すでにホール中どころか寮中に広がってしまったのではないかという噂話に、私は舌を巻きました。
他国の、自分たちにはほとんど関係ないこととはいえ、やっぱりこういった話はこのぐらいの年齢の女の子ならば誰でも気になるのですね。
かくいう私が一番気にしているのですから。
そんなお兄様の、正確にはミリエス様の懐妊にまつわるおしゃべりがひと段落すると、私たちは再び話し合いに戻りました。
赤くなった顔を誤魔化すように、アーシャが一つ咳払いをしました。
「それじゃあ、最後の、なんかしんみりした気分になっていたけどそれどころじゃなくなっちゃったな、……こほん。気を取り直して、最後の実習だけれど」
5年生での授業は何をするのかというと、実習先での、もしくは卒業後の進路に向けての準備というのが比重を占めるようになるとのことで、もちろん、春から夏ごろまでにかけては今までのような授業もちらほらと行われはするようなのですけれど、今までとは違のは、個人の目標がはっきりとしてくるため、今のように組単位で動くのは難しくなるだろうと判断されているようです。
私個人の例をとってみても、おそらく、卒業してすぐの春先に—―通常、催事が行われるのは春か秋の事ですけれど、おそらく秋までは待たれないでしょう――結婚式、および戴冠式が行われるため、もちろん可能な限り出席するつもりではありますけれど、色々と卒業前から準備することが多くなるかもしれません。
それ以外、普通の学生でも早い人は春先から、遅くても収穫祭が終わるころからは進路へ向けての準備が始められるため、学院側からも、5年生の実習については強制されてはいません。個人の判断に任されているというのが正しいのでしょうか。
「アーシャは卒業したら冒険者になるのですか?」
「それもいいかなって思ってる」
アーシャはメルと意味ありげな視線を交わしていました。
シズクは以前からご実家の家業を継がれると言っていましたし、きっとその道へ進むのでしょう。
メルは、以前言っていた気持ちが変わっていないのなら、おそらくは変わっていないのでしょうけれど、アーシャと一緒に冒険者をするというのも十分にあり得る選択肢だとは思います。学院の日程を気にしなくて済む卒業後ならば、より遠くへ足を伸ばすことも出来るでしょうし、なにより、見知った仲の相手がいるというのは相当心強いことですから。
「まあ、私たち二人でというわけには色々な意味でいかないだろうから、他にも誘わなくちゃいけないだろうけれど」
なんとなく、メルが誰を想像しているのか分かったような気もします。
「そうなると良いですね」
「まだ何も言ってないんだけどっ!」
結局、私たちの最後のこの組での実習は、やっぱりいつもと同じように、当たり前のことをしようと決まりました。
何か特別なことを、とも思いましたけれど、そんなことをしなくても私たちの学院生活は十分に思い出深いものでしたし、難しくなるとは言っても、本当に、完全に出来なくなるわけではありませんから。
「それじゃあ、竜を狩りに行きましょう」
「「おー」」
「ちょっと、待ってください」
3人はどうかしたのとでも言うように、キョトンとした表情で私のことを見つめています。
おかしいです。
なぜ、止めた私がおかしいみたいな空気になっているのでしょう。
「どうして、ドラゴンを狩りに行くなどということになるのですか」
「だって、ドラゴンからとれる素材なら、武器や防具で良いものが造れるし、買取も高いんだよ」
アーシャの言に、メルもシズクもうんうんと頷いています。
報酬に目をくらませて、命を落としては意味がありません。
「ワイバーンなら倒したじゃない」
「ワイバーンとドラゴンとでは、それこそ比べ物にならない差がありますよ」
ドラゴンはこの世の頂点に存在するとも言われる種族ですし、寿命も、強度も、魔力も、文字通り、桁が違います。
「自殺願望でもあるのですか」
「大丈夫、軽い気持ちで決めてるわけじゃないから」
そうは見えなかったのですけれど。
「私を頼りにされても困りますからね」
もちろん、今は、頼って貰っても構わないのですけれど。私の個人の力を本当の意味で頼るのは、緊急時の撤退のときだけです。できる限り、転移その他の個人技能、もしくは秘匿技術を使用したくはありません。どこでだれが見ているとも限りませんから。
これからも冒険者を続けるというのならばなおさら、彼我の実力差は正確に測れなくてはいけません。
「侮って貰っては困るよ、ルーナ」
「私たちだって、ルーナにおんぶにだっこなわけじゃないんだからね」
「それほど傲慢なつもりではありませんでしたけれど……、すみません」
たしかに、少し心配し過ぎていたのかもしれません。
「シズクはそれでいいのですか?」
「もちろん」
いつも通り、短いながらも明確な意思が言葉と瞳に宿っていました。
「分かりました」
先生方と、組合の方への説明が大変なのでしょうねと思いながら、私たちはレポートをリリス先生に提出しに行きました。