杞憂に終われば
初日が終了し、競技場から寮へと戻ってきた私たちはすぐに浴場へと向かいました。
明日は2試合ありますし、そのどちらもが相手校へ出向いての対戦。移動距離もそれなりにあるため、朝早くから出発、お昼前と夕方前辺りの試合になるでしょう。
特に最終のイエザリア学園との試合はかなりきつくなることが予想されますが、それはどこも公平な条件のものに決められたことなので不平や不満を言っても仕方がありません。
それに私個人としては、初めて訪れるサイリア特殊能力研究院やイエザリア学院のことが少し楽しみでもあります。
「私たちも行くのは初めてだからどんなところなのかはわからないわ」
「いえ、とんでもありません」
ごめんねと頭を下げられて、軽く微笑まれたシンシア先輩に私は頭を振りました。
「シンシア、ちょっと動かないでください。丁度いい感じなのですから」
「・・・・・・一応聞いておくけど、シエスタ。あんた、何やってるの」
シンシア先輩は、ご自分の胸の上に頭を乗せて目を瞑っているシエスタ先輩を、呆れた感じに見降ろされました。
「前にこんなところで寝るなと注意されたので、すぐに起こしてもらえるように、でしょうか。丁度いい感じの枕もありますし」
「でしょうかって・・・・・・。聞いてるのはこっちなんだけど。あと、私はあんたのお母さんじゃないんだからね」
そう言いつつも、シエスタ先輩を邪険に扱ったりされないばかりか、優しくシエスタ先輩の綺麗な白金の髪を梳いている辺り、大層仲がよろしいようです。
「ルーナ。誤解しないでね。単に縁に乗せてたら首が痛くなるだろうし、そうしたら明日の試合に影響が出て大変そうだから受け入れているだけで、他意はないから」
「はい、もちろん。分かっています。とっても仲がよろしいのですよね」
そう微笑みかけると、シンシア先輩は、あー、とか、うー、とか唸り声をあげられながら、そうよと微笑まれました。
「それよりも、明日の事だけれど」
お風呂のせいか、はたまた他の理由によるものか、赤く火照ったような頬を誤魔化すように、シンシア先輩はタオルで汗を拭われました。
「サイリアとのことは・・・・・・本当は良くないけれど、今は良いわ。それよりも」
「分かっています。イエザリア学園とのことですよね」
強敵だということもそうですが、それよりも今朝の諍いの方が気になります。
「ええ。後でもう一度二人には言っておくけれど、おそらく本番では・・・・・・効果は薄いでしょうね。だから、あなたたちは心配はいらないと思うけれど、私たちまで一緒になって熱くなってしまってはダメよ。さっきも言ったけれど、エクストリアの看板を背負っているのですからね」
「はい」
「まあ、審判の先生方もいらっしゃることだし、そこまで心配することもないとは思うけど」
最悪の事態ばかり考えていても埒があきません。大規模な犯罪組織や、暴力集団を相手にしているわけではないですし、あくまで双方学生ですから気をとられ過ぎることもないはずです。
「分かりました。先輩方のことはどうか分かりませんが、せめて、アーシャやシェリルたちのことは目の見える範囲で気にかけておきます」
「助かるわ。さて、そろそろ起きなさい、シエスタ。ゆで上がる前に上がるわよ。風邪でもひかれたらかなわないわ。ほら、しゃんと立って。洗ってあげるからお湯から出なさい」
シンシア先輩はシエスタ先輩の腕をとって湯船から引っ張りあげられると、ふらふらとしているシエスタ先輩を洗い場までひっぱって行かれました。
「・・・・・・ルーナ、私も洗ってあげようか」
いつの間にやら近くに寄ってきていたアーシャが瞳を煌かせていました。
「そうですね。その蠢く指と締まりのない顔、目の奥の邪な光がなければお願いするのもやぶさかではなかったのですが」
「残念」
「隠す気もなかったでしょうに」
しばらく天上の水滴が湯船に落ちる音を聞きながら、隣り合わせに座っていました。
「アーシャ。さっきの話は聞いていましたか」
「・・・・・・うん。だけど、私は容赦するつもりはないから」
「アーシャ・・・・・・」
アーシャは真剣な瞳で、私と、背後にいるハーツィースさんやシェリルを見つめていました。
「ルーナや皆が危機に陥って、それを解決するためには手段を選べないような状況なら、ルールなんて気にしたりしないよ」
言外にルーナもそうでしょうと言われて、私もそのような場面を考えました。
「そうですね・・・・・・。そのような状況にはならないことを祈っていますが、本当にいざという時には手段を選ぶつもりはありません」
誰に何と言われようとも。
「まあ、でもきっと、私なんかよりも、ルグリオ様やセレン様の方が早いと思うんだけどね」
「どういうことですか」
「ルグリオ様もセレン様もルーナが出ているんだからご覧になられているはずでしょう。3年生のときもそうだったし。本当にルーナが大変だったら、きっとルールなんて気にされないと思うな」
それからアーシャは気を紛らわすように、いけないいけないと首を振りました。
「あんまり言ってると、本当になっちゃうからね。大丈夫だよ、シンシア先輩も言ってたけど、こう言っては何だけど、所詮学生の試合なんだから」
「ええ・・・・・・」
そうですねと続けようと思っていたのですが、何かが頭に引っかかって歯切れも悪く、告げることが出来ませんでした。
「じゃあ、気を取り直して」
「お断りします」
「私が・・・・・・って、なんでわかるの。というか、せめて最後まで言わせて」
気を取り直してとはいっても、完全に拭い去ることは出来ず、わずかな引っ掛かりを覚えたまま、私は湯船から上がりました。