報告、心配、叱責、抱擁
「誘拐されていたですって」
エクストリア学院へ戻ってきて最初にリリス先生に報告をすると、リリス先生は滅多に見られないほど動揺されて、珍しく声を荒げられ、激しく音を立てて椅子から立ち上がられました。
「っ。失礼いたしました」
それからはっと周りを見回されて小さく咳払いをされると、何事もなかったかのように着席されました。
「それで大丈夫なのですか」
「大丈夫です、リリス先生。寸でのところで助けていただきましたから」
アーシャの報告を受けて、リリス先生は安心したように小さく息を吐き出されると、ルグリオ様とセレン様に向かって深く頭を下げられました。
「ありがとうございます、セレン様、ルグリオ様。この度のことは全て私どもの不手際です。なんなりと処分をお申しつけください」
「処分なんてとんでもありません。僕たちの方こそ、そういった部分に手が回っていなかったことを謝罪しなければなりません」
そのまま謝罪の応酬とはならず、リリス先生が無事だったアーシャとシズクを抱きしめられて、教員の方は、以降、もちろん巻き込まれないに越したことはありませんけれど、授業の中及び授業外でもそういった事態への対処、対応について講義、実践を取り入れる方向で検討するとのことでした。
以前の誘拐騒動では学院生には結果的に人的被害は出なかったわけですが、今回はあわやというところまでいってしまったので、学院側の熱の入りようが違うのも当然と言えるでしょう。
「重ねて厚くお礼申し上げます」
その場にいらっしゃった職員の方に総出で頭を下げられて、職員の方はそれで済みました。
職員の方は。
「こんっのバカちんがあっ」
女子寮内にトゥルエル様の怒声が響き渡りました。寮内にいる生徒の大半が何事かとこちらの様子を窺いながら、おそらく興味本位で近づいてきます。
「いいかい、勇敢と無謀をはき違えるんじゃないよ。アーシャ、それにシズク」
自分を落ち着かせるために、大きく深く数度の深呼吸を繰り返されたトゥルエル様は、振り上げられた拳をゆっくりと降ろされました。しかし、感情は抑えきれないらしく、机の上のコップがカタカタと揺れ、中身が今にも零れそうなほどです。
「たしかにあんたたちの行動は、あんたたちの基準では、正義感に基づいた勇敢なものだったかもしれない。だけど、その結果はどうだい。決して褒められるもんじゃないってのはあんたたち自身が身をもって体感しただろう」
興奮おさまらないらしく、トゥルエル様は綺麗な艶めく紺色の髪を乱暴に掻き上げられました。
「いいかい。今回は本当に運が良かっただけだってのをしっかり刻みつけなきゃいけないよ。それから、自分の力を過信せず、時には引くのも勇気だってことはしっかり覚えときな」
「はい。すみません、トゥルエル様」
「分かったのなら罰として、夏季休暇までの残りの期間、掃除、洗濯、炊事、その他諸々手伝いな」
「罰ですか」
捕らえられていて精神的にも肉体的にも消耗しているアーシャとシズクには少し酷な気もしますが。
「そうだよ。今私を、それから他の生徒及び教職員を心配させたんだからね」
「分かりました。謹んでお引き受けします」
アーシャとシズクが揃って頭を下げると、トゥルエル様は二人を強く抱きしめられました。
「無事でよかったよ」
一頻り抱擁を済ませると、トゥルエル様は私たちの、ルグリオ様とセレン様の方へと向き直られました。
「今回は世話になったみたいね。ありがとう、セレン、ルグリオ」
「感謝されることではありません。当然のことをしたまでですから」
「そうね、だったら、今度一筆書いてもらおうかしら」
セレン様が整った顎に指をかけて、企み顔でおっしゃられました。
「ああ、わかったよ」
トゥルエル様は何も聞かれずにただ頷かれました。
「姉様、何を考えているの」
「内緒よ、内緒。ここではね。お城に帰ってお父様とお母様に事の次第を報告した後教えてあげるわ」
セレン様の視線は私たちの方を捉えた気がしましたが、気のせいにも思えるような一瞬の事でした。
「本当にありがとうございます、セレン様、ルグリオ様」
お城に戻られるルグリオ様とセレン様の退出に際して、アーシャとシズクが深く深く頭を下げました。
「こうしてお見送り出来るのも全てルグリオ様とセレン様のおかげです。それ以外の言葉が見つかりません。これからは、いえ、これからもより一層努力と研鑽を重ねます」
「色々あって疲れたでしょう。見送りなんていいから、はやくお風呂に入って眠ってしまいなさい。あなた達が想っている以上に疲れが溜まっているはずよ。肉体的にも、精神的にも」
セレン様はアーシャとシズクを交互に存分に抱きしめられました。
「ルーナ、メル。二人とも頼んだわよ」
「わかりました、セレン様」
「お任せください」
私たちは揃って頭を下げました。
「シエスタ・アンブライスさん、だったかな」
「はい、ルグリオ様」
ふらふらとしていて若干心配になるような面持ちでしたが、それでもシエスタ先輩は一歩進み出られて、片膝をつかれました。
「何なりとお申し付けください」
「そんなに畏まることじゃないんだけど、少し気にして見ていてあげて欲しいんだ。過保護って言われてしまうかもしれないけど」
「確かに拝命致しました。この命に代えましても」
「いやいや、それじゃ困るよ。シエスタさん自身の体調にも十分、そっちはきっと他の寮生の皆が注意してくれているのだとは思うけれどね」
なおも臣下の礼をとったままのシエスタ先輩に、何となく困ってしまったようなルグリオ様は最後に私の方を向いてくださいました。
「ルーナ。今回は偉かったね。こうして今無事に皆いられるのはルーナのおかげだよ」
抱きしめられたルグリオ様の腕の中は暖かく、柔らかく撫でられた髪はとても気持ちがよくて、私は目を瞑りました。
「じゃあ、名残惜しいけど、僕たちはそろそろ失礼するよ」
最後に私の髪に一つ口づけを落とされて、同じようにメルの髪を撫でていたセレン様と連れ立たれて、お二人は寮から離れて行かれました。
「ルーナ、メル、その」
お二人の姿が見えなくなると、アーシャとシズクが申し訳なさそうな響きの声をかけてきました。
「何も言わないでください。友人のために何かをするのは決して苦ではありませんから」
そう言って私はアーシャの口を人差し指で塞ぎました。
「とりあえず、お風呂に行きましょう。その後はレポートをまとめなくては、いえ、今日くらいは大丈夫でしょうか。とにかく、ゆっくり身体を休めましょう」