新たな火種
「お久しぶりでございます、ヴァスティン様、アルメリア様」
マーレス・エデリアマラリア王国第一王子は、玉座の前に跪くと、恭しく頭を垂れた。
「この度は、急な来訪にもかかわらず、陛下にお目道理叶い、大変うれしく思います」
「礼には及ばない。旅の疲れもあるだろうから、今日はゆっくりとしていかれるといい」
マーレスは、困ったように眉をひそめた。
「大変ありがたいお申し出なのですが、私も急ぎ戻らなくてはならないこの身でございます。本日は、ルグリオ殿がご婚約なさったと聞き及びまして、そのお祝いに参ったのですが」
アルメリアが申し訳なさそうに応える。
「ありがとうございます。大変申し訳ないのだけれど、娘は、セレンはまた抜け出してしまったみたいなの。ごめんなさいね、いつもいつも」
「お気になさらないでください、アルメリア様。急な訪問をしてしまった私が無神経でした」
「数日で戻ってくるとは思うのだけれど、お待ちになられますか」
「いえ、それには及びません。既に申し上げましたが、私も急ぎ戻らなくてはならない事情がありますから」
そう言うと、マーレスはこちらが本題とばかりに、切り出した。
「最近、我が国でも、就学前から卒業前あたりまでの男児、及び女児を狙った誘拐事件が発生しております。幸いと言っていいのかどうかわかりかねますが、件数は未だ、それほど多くはありません。しかし、私は一刻も早く戻り、この件を解決しなくてはならないのです。既に、他の国にも諜報員を送り込み、情報を持ち帰らせております。それらの検討が済み次第、またご報告にあがります」
「我が国も既に、他国と連携をとっている。こちらとしても、協力は惜しまない」
ヴァスティンとマーレスは、互いに顔を見合わせて頷いた。
「それと、関連性は不明なのですが、こちらへ来る途中耳にした話ですが、何かと理由を付けて、少女を連れて行く……攫って行く商人風の男が現れていたようです。十分にお気を付けください」
城を抜け出した僕とルーナと姉様は、それなりに自由を満喫していた。城の者に知らせる訳にはいかなかったので、皆知ってはいるのだが、今は3人だけだ。
僕たちは、国境付近の綺麗な湖の畔に来ていた。森も近く、空気も澄んでいて、珍しい草花も生息している。いつもならば、物資の不足等問題が発生するところなのだけれど、今回は転移の魔法と収納の魔法を覚えてしまったこともあり、準備は万全であり、姉様の本気が感じられた。
「姉様、今回は割と本気だね」
「私はいつでも本気よ。ただ、今回からは便利な魔法が増えたというだけ」
そう言うと、姉様は例の本を取り出した。
「姉様、その本を持ってきてしまったの」
「ええ。どれだけの期間、あの方が滞在するのかわからないけれど、その間することがなくても暇でしょう。だから、もっとこの本を読みこんでおこうと思って」
姉様が本を読み始めてしまったので、僕はルーナと二人で少し歩くことにした。こんなに遠くまでルーナと来たことはなかったし、景色もきれいだからきっとルーナも喜んでくれるだろう。
「ルーナ。よかったら、湖の周りでも散歩しないかな」
「はい、ルグリオ様。喜んで付いてまいります」
僕とルーナは、手をつないで歩き出した。ルーナは、身長も伸びてきてはいたけれど、まだ腕を組んで歩けるほどではなかった。
「舟でもあれば、湖にも漕ぎ出せるから、もっと楽しめたかもしれないね」
「私は、こうしてルグリオ様と歩けているだけでも幸せです。……ですが、私もはやく大きくなって、ルグリオ様と肩を並べて歩きたいです」
ルーナは僕を見上げた後、遠くを見るように目を細めた。
「すぐにルーナは大きくなって、世界中の人の視線を集めるような美人さんになるよ。だから、焦る必要はないよ。今のままでもとてもかわいいよ」
「ありがとうございます」
僕たちは顔を見合わせると笑い合った。
「これは綺麗だね」
「そうですね」
僕たちの目の前には、一面、花畑が広がっていた。
柔らかい風に揺られる花々は、日の光を浴びて、一層輝いてみえた。
僕たちは寝転がって、青く澄み渡る空を見上げた。空気が澄んでいて、穏やかな気候が気持ちいい。この時期にしては珍しく、今日は暖かい日だった。気を抜くと、なんだか寝てしまいそうになる。心が洗われていくようだ。
横を見ると、ルーナも気持ちよさそうに目を閉じて、静かに寝息を立てている。僕も一緒になって寝るわけにはいかなかったので、風景と、ルーナの寝顔を堪能していた。
ルーナが目を覚ますころには、日が傾きかけて、太陽が湖と花畑を茜色に染めていた。ルーナは良く寝る子だな、と僕は思った。
「ルーナ、目が覚めたかい」
「すみません、ルグリオ様。せっかく」
「いいや、僕も良いものも見させてもらったよ」
以前もこんなやり取りをしたな、と思いつつ、僕は立ち上がり、ルーナに手を伸ばした。
「姉様が心配するといけないから、そろそろ戻ろうか」
「はい」
この場所では気にする必要もないだろうと思って、姉様の顔を思い浮かべると、僕とルーナは一緒に転移した。
僕たちが姉様の下に転移すると、姉様の前にいた太った商人風の男とその取り巻きと思われる人たちが、驚いたような顔をしていた。
しまったな、こんなところに人がいるとは思わなかった。
「あら、ルグリオ。おかえりなさい」
姉様はまったく気にしていない様子で、僕たちに振り向いた。
「ただいま、姉様。それで、そちらの方たちは一体……?」
「ああ、違法奴隷の商人なのですって」
「へえ。……って、それって問題じゃないの」
驚く僕とは対照的に、姉様は至って平然としてみえた。
「ええ、向こうもこんなところに人がいるとは思っていなかったみたいね。まだ私たちのことはわかっていないみたいだけれど」
「おやおや、お連れ様のお戻りですか。そちらの坊ちゃんもお嬢さんも実にお美しい」
なにやら危険な視線を感じたので、僕はルーナを彼らの視線から庇うように背中に隠す。男の全く似合わない慇懃な口調に、思わず気を抜きそうになるが、慌てて気を引き締める。
「こんなところでも来てみるものですね。思わぬ収穫がありました」
「随分と気が早いのね」
姉様のこういった態度には本当に助けられる。物怖じしないというか、余裕があるというか、僕は多分、ここまで自信を持つことはできないだろう。
「私たちに逆に捕まるとは思わないのかしら」
「これは恐ろしい。肝に銘じておきます」
まったく怖がっていない態度で、男は応じる。
「そろそろ、日も暮れますので、今日のところはこれで失礼させていただきます」
「いいのかしら。私たちが明日もここにいるとは限らないけれど」
男は笑ったようだった。
「いえ。貴女様方は確実にいらっしゃいます。私共を野放しにするとは思いませんから。そうでしょう、セレン・レジュール様」
「なるほど。当然、こちらのことは知っていたというわけね」
「では、また明日」
そう言い残して、男は背中を見せた。
「待ちなさい」
「なんでしょう」
仮面のような笑顔を張り付けた、小太りの男が振り向く。
「まあ、無駄だとは思うのだけれどね。一応、あなたの名前を聞かせてもらえないかしら?」
「私としたことが、これは失礼致しました」
男は丁寧すぎる仕草で一礼した。
「私、セラブレイト・マキシムと申します。以後お見知りおきを」