ルーナにはまだはやい話
収穫祭が終わると、祭りの熱気と共に気温も下がってきて、もうすぐ訪れる冬を感じさせる気候になってくる。
街行く人たちもコートを羽織り、暖かいミルクやシチューが、より美味しく感じられるようになる。
そんなある日、僕たち、特に姉様にとっては、良くない知らせが舞い込んできた。姉様に言わせれば、良くないどころか、凶報の類なのだろうけれど。
「陛下、お食事中のところ申し訳ありません。お耳に入れなくてはならないことがございます」
僕たちが朝食をとっていると、急なことで申し訳ございません、と一人の文官が書簡を携えて入ってきた。
「ただ今、ミラリア王国からの使者が火急の用件であるとこちらを」
「ごちそうさまでした。それから、お父様。私は今日からしばらく体調が優れないので部屋で休ませていただきます」
言葉を遮り、感情のこもらない平坦な声でそう告げた姉様は、反論が出る前に部屋を出ていこうとする。
「セレン、少し待ちなさい」
「何でしょうか、お父様。私は体調が優れないと申し上げたはずですが?」
「……顔をみせるくらいならば、してもよいのではないか?」
お父様も、恐る恐るといった感じで提案されるのだけど、姉様にはそんなつもりは少しもないようだった。
「そうですか、お父様。もしかして、お父様は私がお嫁に攫われてしまっても平気なのですか?」
そんなつもりはこれっぽっちもないだろうに。しかし、そんな姉様の言葉に毎回父様は引っかかる。
「うむ。それはいかん。例えどこぞの神を名乗る相手であっても、そんなことは許さん。よくわかった、セレン。ならば仕方ない。私がどうにかしてこよう」
息子と娘でこの違い。今では何も言うつもりはないのだけれど、なんともやりようのない感覚を覚える。
「仕方ないではありませんよ、あなた」
しかし、母様は見逃してはくれないようだ。再び出てゆこうとしていた姉様を呼び止める。
「セレン。気乗りしないのはわかるけれど、他国からの客人をもてなすことも、王族としての義務ですよ。分かっていますね」
毎回のやり取り。はたして姉様の返答もいつも通りだった。
「ですが、お母様。私も以前から申し上げているはずです。ミラリア王国の方とは関わるつもりはありませんと」
「ミラリア王国の、ではなく、マーレス様と、ではなくて」
「その通りですが。何か問題でもあるでしょうか?」
母様もため息をつく。ミラリア王国第一王子、マーレス・エデリア様。以前から、何度も姉様に結婚を申し込んでくるため、大変迷惑がられている方だ。むしろ、姉様には嫌われているということもある。
朝食の後、僕が部屋にこもって公務をこなしていると、姉様とルーナが入ってきた。
「逃げるわよ、ルグリオ」
姉様は言い切った。
今回は前回までとは違い、大荷物は持っていない。収納の魔法を覚えてしまったからだ。僕は、転移の魔法もあるし、これは家出も楽になるなあ、と場違いなことを考えていた。
「前回もそれで見つかって怒られたじゃないか」
なぜか僕まで一緒に。
「今回はルーナも一緒に逃げるから大丈夫よ。それに、怒られるくらいどうってことはないわ。そんなことよりも、あの方は危険なの。あなたも、それにルーナだって危険かもしれないのよ。いえ、確実に危険だわ」
「まさか。あの人は母様には声をかけたことはないじゃないか。僕とルーナは婚約者なのだし、大丈夫だと思うけれど」
「甘いわね」
姉様は、言い聞かせるように話し始めた。
「あの人が何人の女性を側室として囲っているかは知っているでしょう。たしかに、どなたも嫌そうな顔はされていないわ。でも、私にはわかるのよ。あの人は女の敵だって。ああいうタイプの男性は好きにはなれないどころか、顔もみたくないの。それに噂では、外には連れ出さないけれど、王宮では、男性も囲っているらしいじゃない。あんな、明らかに異常だとわかる男性になんて私が会う必要はないわ。嫁ぐなんてもってのほかよ」
「でも、それは噂でしょう。確かに、老若男女誰にでも声を掛けているらしいけれど」
「私はあの人の顔をみていると、とても気分が悪くなって、鳥肌が立つのよ。それに、可愛い弟と、可愛い義妹が毒牙にかかるのを見過ごすわけにはいかないの。それとも、あなたはあの人の事をいい人だと思っているのかしら」
そう言って、姉様はルーナを抱きしめた。
「ルーナだって、ルグリオ以外の男性に抱かれたくはないでしょう。ルグリオが他の人と寝るのも見たくはないわよね」
ルーナは赤くなっていたが、返答には困っているようだった。
「姉様、ルーナに変なことを吹き込まないでくれないかな」
「これは、ルーナの安全を確保するためよ。いいかしら、ルーナ。よく聞きなさい」
そうして姉様はルーナ何事か吹き込み始めた。止めようとしたときにはすでに遅かった。
「ル、ルグリオ様」
ルーナは真っ赤になっていた。10歳になったばかりの女の子に何を吹き込んでいるんだ。
「わ、私もセレンお義姉様と一緒に参ります」
「ルーナに何を吹き込んだの、姉様」
「何ってナニよ」
仕方ない。これ以上、姉様とルーナを二人っきりにしていたらどうなるか分かったものじゃない。
「わかったよ。僕も行けばいいんでしょう」
どうせ、母様も僕たちが抜け出すことくらいわかっているはずだし、どうにかしてくれるだろう。
その頃、城の門の前には、黒塗りの馬車が到着していた。出口の前に真紅の絨毯が引かれ、馬車の中から、漆黒の髪と瞳を持った、白い布を幾重にも巻き付けたような衣服を纏った色黒の好青年が姿を見せていた。