お花摘みの護衛
私の作った結界の中に入ってきた反応は一つだけです。シルヴァニアウルフならば多くの場合群れで行動するため、一頭のみが単独で姿を現すということは、おそらくないでしょう。同様の理由でゴブリンなどに関しても除外されます。
「多分、ワイルドボアの別の個体なんじゃない」
アーシャの意見には私も概ね賛成でした。私はいまだ目の前でワイルドボアとの戦いを続けている1年生の様子を窺います。
一人一人ではまだ敵いそうではありませんけれど、実力が最も高いらしいカロリアンさんを攻撃の軸に、他の皆でサポートするという戦い方は上手くはまっているようで、入学から日も経っておらず、連携の面に関しては課題も残ることと思えましたが、ワイルドボアの一頭だけならば問題なく討伐できることだろうと思えました。
「アーシャ、この場をお任せしても良いですか。私は向こうの反応のあった方を見てきますから」
ここに合流させてしまうと、今の彼女たちでは危険があるかもしれません。そのため、合流する前に討伐してしまおうと思ってそちらへ向かおうとしたのですが、後ろからアーシャに肩を掴まれてその場に引きとめられました。
「ちょっと待って、ルーナ。それじゃあ過保護すぎるんじゃないの。私たちのときだって実際にシルヴァニアウルフの群れに遭遇するまでは先輩たちは待っていたじゃない」
アーシャの意見にも一理あることは事実ですが。
「ですがあの時、先輩方は不測の事態だともおっしゃられていましたよ。つまり、ワイルドボアはともかく、シルヴァニアウルフの群れと遭遇することは前提とされていなかったということではないですか」
「そうだけど、反応は一つだけだったんでしょう。一頭だけで、それもこの辺りに出る魔物や魔獣なら、出て来てからでも絶対対処できるよ」
「ですが」
なおも気になっている私の手をアーシャはぎゅっと握りました。
「大丈夫、私を、そして自分を信じて」
アーシャの瞳は真剣そのものでしたし、強い気持ちも伝わってきました。
「分かりました」
私は頷いて、しばらくその場で事の成り行きを見守ることにしました。
その場で見守ること少し、1年生は無事にワイルドボアを討伐しました。見た感じでは満身創痍とまではいかずとも、集中している状態が続いていたことによる疲労は溜まっているようで、その場にへたり込んで肩で息をしています。しかし、表情はやり遂げた満足感からか晴れやかなものを浮かべています。
会話の詳しい内容までは聞き取ることは出来ませんけれど、きっと今の戦いを振り返っているのでしょう。今なおこちらに接近しつつある生物に気付いている様子は見られません。
はっきりと足音が聞こえるようになってようやく、最初にカロリアンさんが、それにつられるように他の方も周囲を見回して警戒を新たにしています。
草を刈るような音と共に姿を見せたのは私たちの身長を優に超える大きさの剣魔犬でした。
剣魔犬は、その名の通り剣を持って二足歩行する犬の魔物、ではなく、魔力を伴った剣のような鋭く光る二本の牙と、脚の先から生えている爪がまるで剣のような切れ味を持っていることから名づけられた魔物の一種です。
ただ、通常は番で行動するため、一匹だけというのはおかしいのですが。
そう思っていると、結界の反対側に猛スピードで突っ込んでくる個体を捉えました。おそらく、最初に姿を見せた方に気を取られている間に反対側からもう一匹が奇襲をかける作戦だったのでしょう。
しかしそのもう一匹は、私が新たに作った障壁に阻まれ、こちらには近づいて来られないようです。
「アーシャ」
「うん」
私とアーシャは素早く視線を交わすと、アーシャは反対側の剣魔犬と思われる方へ、私は1年生と剣魔犬の間に割り込むように飛び出しました。
最初に割り込ませたのは障壁。身体では、いくら魔法の補助を受けているとはいっても、周りに被害を出さずに今まさに噛み切らんとしている剣魔犬と新入生のわずかな隙間に入り込むのは困難です。
一方を浮き飛ばすように設定した障壁は、飛び掛かってきていた剣魔犬を弾き飛ばしました。
「大丈夫ですか」
自身で障壁を張っていても反射的に目を瞑ってしまっていたらしいカロリアンさんが驚いたような表情で私を見つめてきました。
「ル、ルーナ様。ど、どうしてこちらに」
「いくら1年生に出される課題とはいえ、今体験されたとおり、全く危険がないというわけではありません。あなた達、というよりも1年生に出されている課題はまずワイルドボアと戦って実戦を経験することです。とはいえ、私たちもそうでしたけれど、初めての実戦ではワイルドボアを倒すのが精一杯で、なかなか次の相手までは難しいです。ですので、お目付け役というか、監視というか、まあそのような感じで私たち上級生が付いてくることになっているのです」
私が話している間にも剣魔犬は障壁を突破しようと試みているようでしたけれど、問題なくいまだに障壁は維持されています。
「こちらの相手は私がしますので、そのお花はしっかりと持っていてくださいね」
「はいっ」
きらきらとした目を向けられて、私は少し赤くなって振り返って、剣魔犬を見つめ直しました。
「さて、アーシャが戻ってくる前に片付けましょう」
剣魔犬は食べられるところは少ないので寮に持って行っても料理として出されるわけではありません。
しかし、その牙は組合に持っていけばものによっては高額でも取引されることがあります。目の前の個体は見たところ、中の下といった価格に落ち着くでしょう。
「多数いるわけではありませんからね」
あの時のシルヴァニアウルフは群れでしたが、今私の目の前には一匹の剣魔犬だけです。広範囲に影響を及ぼす魔法を使う必要はありません。
そう思っていると、おもむろに口を開いた剣魔犬から火の玉が飛んできました。
無暗に払うと飛び火して辺りが火の海になってしまう恐れもありましたから、用心して水の膜で包み込むようにして消火します。
「しっかり私の後ろにいてくださいね」
1年生の返事を聞くと、再び私に飛び掛かってきた剣魔犬に向かって、魔法をかけるために指を鳴らします。
一瞬、辺りが静寂に包まれて、その隙に魔法を放ちます。
周りに音が戻った時には剣魔犬がどさりと地面に崩れ落ちるところでした。
「今のは何をなさったのですか」
何が起こったのか分からないといった様子のカロリアンさんが目をぱちくりとさせながら口を開いています。
「少し眠ってもらっただけです。少し前から試してみたかったのですけれど、機会がなくて」
今のは一匹だけでしたけれど、使ってみた感じでは、セレン様のように大人数を相手にとはいかないかもしれませんけれど、数人もしくは数匹、数頭程度なら可能と思われました。
起きてこないうちに草で縄を編むと、討伐した剣魔犬を縛って収納します。
「い、今のは」
「気にしないでください。それよりもあなた達は自分たちの戦果をきちんと持って帰らなくてはなりませんよ」
私の言葉ではっと思い出したのか、カロリアンさんは声をかけてワイルドボアを縛りあげていました。
「終わったの」
カロリアンさん達の支度が終わると、丁度良くアーシャが戻ってきました。空中には予想通り剣魔犬を浮かべています。私はアーシャから剣魔犬を受け取ると、さっと収納します。
「それでは戻りましょうか。あなた達が戻らないと今日の夕食がないのです」
「はいっ」
元気の良い返事と共に、私たちは摘んだ花束とワイルドボアを担いだ1年生の後ろからゆっくりと歩いて寮へと戻りました。