4年生
「それじゃあ、春休みの間はずっとヴァイオリンの練習をしてたの」
春季休暇を明けて学院でアーシャに開口一番で驚かれたのは、お姉様が結婚されたことではなく、そんな驚きとも呆れともとれるものでした。
「ずっとというわけではありませんけれど、お姉様の結婚式で拙いものをお聞かせするわけにはいきませんでしたから」
春季休暇に入ってすぐ、お姉様からのお手紙で諸事情により結婚式の時期が春先に早まったという知らせを受け取ってから、王妃様、アルメリア様にみていただきながら毎日練習をしました。
もちろん、できることはやろうと決めていたので、魔法や武術の訓練も、料理や裁縫、ピアノに絵画、それからもちろん勉強も、他にも色々、魔力が尽きるまで、たくさんたくさんやりました。
「へえ、すごいね。でもそれって、どう考えても無理があるんじゃないの」
指折り数えていたアーシャは嘘ではないだろうとは思いつつも、やはり信じられないという表情で見つめてきました。
「ルーナ、何か隠してない」
「いいえ、何も」
嘘です。もちろん隠し事をしていますが、アーシャに告げることはできません。お城の中だけでならともかく、外での発言、使用は緊急の場合のみに決めていますから。
「ふーん。まあでもルーナのことが大好きなルグリオ様やセレン様がルーナに無理をさせるとは思えないからきっと大丈夫だったんでしょうね」
それ以上は言及されなかったので、私は内心でほっと胸を撫で下ろしました。
春、無事に進級を果たした私たちはエクストリア学院へと戻ってきました。
4年生からはさらに実習に重きが置かれるようになるとはいえ、学院での授業がなくなるわけではありません。
これからはじまる学院生活に目を輝かせ、胸をときめかせている様子が見て取れる新入生も入ってきて、先輩方よりも後輩の方が多くなると、より一層気持ちが引き締まります。
「ルーナ、それにアーシャ、ちょっと頼まれてくれるかい」
入学式と新入寮生の歓迎会も滞りなく終了し、授業もはじまり、しばらく経った休日の前の晩、夕食を食べ終えた私とアーシャは、トゥルエル様に呼ばれて管理人室へと向かいました。
「そろそろ新入生をお花摘みに向かわせようと思ってるんだけどね」
トゥルエル様のおっしゃりたいことを理解した私たちはすぐに頷きました。
「わかりました。お任せください」
おそらく有事の際のお目付け役ということでしょう。
「頼んだよ。何も全員分あんたたちに頼もうってわけじゃないんだけどね。とりあえず一番最初はあんたたちが良いかと思ってね」
私たちはイングリッド先輩に言われたことを思い出して、二つ返事で引き受けました。
「じゃあさっそくで悪いけど、明日からよろしく頼むわね」
翌朝、走り込みを終えた私とアーシャが早めの朝食をとっていると、新入生のリア・ミシタムさん、カリン・アルアさん、キリー・シブストさん、そしてカロリアン・アインシュタットさんが食堂へ入ってきました。
「おはようございます」
新入生の驚いているような様子に自分たちのときのことを重ね合わせて、思わず微笑ましいものが浮かんで笑みをこぼしました。
「ど、どうかされましたか。あの、何か私たちが粗相でも」
緊張している様子が声からも伝わってきます。
「いえ。何でもありませんよ。それよりこんなに朝早くからどうされたのですか」
こんなに朝早くなのは私たちも同じですし、事情も知っているため奇妙なことではありましたけれど、様式美のようでしたので一応尋ねました。
回答は私たちがしたものと全く同じもので、隣で笑いをこらえているアーシャをどうにかして押さえなくてはなりませんでした。
「気を付けてくださいね」
「はい」
1年生は頬を紅潮させ、やる気十分といった顔で外へ向かっていきました。
「・・・・・・アーシャ」
1年生が全員寮の外へ出たのを確認してから、自分では怒っているつもりの表情でアーシャを睨みつけます。
「文言が同じだったため思わずだったのは分かりますけれど、あまりにも失礼ですよ」
「ルーナ、全然怒ってる迫力がないね。むしろ可愛い」
アーシャはとても嬉しそうに頬を緩めています。
「もういいです。私は先に行きますからね」
「ちょっと、待って。悪かったってば」
私が歩き出すと、慌てた様子でアーシャが駆けてきました。
「いいですか。分かっているとは思いますけれど、最悪の状況にならない限り、私たちの方から手を出してはいけないんですからね」
「分かってるよ。1年生のためのものだもんね」
私たちは1年生に気付かれないように、されど見失ってもしまわないように用心深く後を付けて行きました。
やはり往路は問題なく進んで、無事1年生たちはお花畑に辿り着きました。彼女たちがお弁当を広げるのに合わせて、私たちも草葉の陰に隠れて見守りながらトゥルエル様に持たせていただいたお弁当を食べ始めます。
「そろそろ来るかな」
「おそらく」
半分ほど食べ終えたところで気づかれないように張った結界に侵入した存在を感知しました。
私はアーシャに目配せをすると、若干急いでお弁当を食べきりました。
丁度そのタイミングで一年生の目の前にワイルドボアが姿を見せていました。
「出たわね」
「お前は今日の夕食よ」
足音によってかそれとも気配察知の魔法によってか分かりませんけれど、すでにワイルドボアの接近に気付いていたらしい新入生は打ち合わせでもしていたかのように散開しました。
「油断は禁物よ、リア、キリー。私たちに課せられた試練なら突破できないはずはないわ」
イングリッド先輩よりも若干赤みが強い髪の毛をしたカロリアンさんが目の前のワイルドボアに集中しながら檄を飛ばしています。
「避けてっ」
ワイルドボアの突進を躱した後で、集まって円陣を組んでいます。
「よし、行くわよ」
「ううぅ、本当に大丈夫かなぁ・・・・・・」
淡い金髪のカリンさんは不安そうな顔でカロリアンさんを見上げています。
「大丈夫よ。トゥルエル様が私たちに出来ないような課題を出すはずないわ」
カロリアンさんは強気な眼差しでワイルドボアを見据えながら言い切りました。
「ルーナと同じようなこと言ってるね。それで―—―—―—」
アーシャの話は途中でしたけれど、私は新たに結界内に侵入してきたものを捉え、集中しているようにアーシャに合図を送りました。
「今は大移動は起こってないんじゃないの」
「分かりません。もしかしたら、単に餌を求めてうろついていただけだったにも関わらず、音や光におびき寄せられてしまったのかもしれません」
私たちは結界に反応のあった方をじっと見据えました。