仕方ないか
3年生以降では現地実習が時間外授業として組み込まれているとはいえ、その分試験が楽になるということはありません。一般教養から実技まできちんと執り行われます。3年生になったのだからそのくらいは同時にこなしてみせなさいという学院側からの無言のメッセージなのでしょう。
周りの生徒も半袖に着替え、うっすらと制服に汗がにじんでくるようになると、返却された現地実習のレポートに書かれたコメント或いは添削に一喜一憂しながらも、図書室で、演習場で、寮でと至る所で分厚い資料とにらみ合いながら誰もがせっせと手を動かしています。
もちろん、その一方で私たち選抜戦の代表に選ばれている生徒はそちらの練習も並行してこなします。
「お二人とも大丈夫ですか」
1年生代表のエリィさんと2年生代表のキサさんは練習に顔を出されるときにも特に大変そうにしていて、代表に選ばれているのですからどちらも成績的には最上位者のはずなのですけれど、思わずお節介を焼かずにはいられませんでした。
「よければこちらを。1年生の時と2年生の時に実際に出された試験と、私が使用していたノートです。参考になるかどうかはわかりませんけれど」
収納していたノートを取り出して複製すると、お二人にどうぞと手渡します。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます、ルーナ様」
「気にしないでください。先輩は後輩の手助けをするために、そして手本となり導くためにいるのですから。何かあればどうぞ遠慮しないで気軽に話してくださいね」
二人が貴重品でも扱うかのようにノートを受け取って、ぎゅっと胸に抱きしめて、私をきらきらとした瞳で見つめてきたので、大したことではありませんよと微笑んでその場を離れて一緒に練習をしていたアーシャたちのところへ向かいました。
「私の顔に何かついていますか、シェリル」
待っていてくれたアーシャたちのところに合流すると、シェリルが私の顔をじっと見つめていました。
「いいや、別に。こりゃ仕方ないかと思っていただけよ」
隣でアーシャもこくこくと頷いています。
「王女様ってだけじゃないのねって思ってただけよ」
「当り前じゃない、今更何言ってるの、シェリル」
「そうだったわね」
アーシャとシェリルは顔を見合わせてよくは聞こえないのですけれど、何やら盛り上がって話しているようでした。気になって聞いてみても、内緒とはぐらかされてしまいました。
試験最終日、一般科目の試験を終えて残すは実技の試験のみです。試験の内容は学院内に、とはいえ屋外なのですけれど、先生方が用意されたコースを一周回って戻ってくるというものです。もちろん体力も必要になりますが、適切に魔法を使うことができれば問題なく合格できます。
途中には障害物が用意されていたり、ほとんど毎回変わらないのですけれど、学年が上がるごとにコースが長くなり、難度も一段飛ばしどころではなく跳ね上がります。
とはいえ、他の筆記の試験と比べると、身体を動かすことができるのが嬉しいのか、難度と反比例するかのように毎回生徒には楽しみにされていて、試験の中では最も楽しみにされているものでもあります。
さすがに試験だけあって体力や魔力に自信のある生徒も終わった後にはくたくたになって、そのままの格好で戻ってきた競技場に倒れ込んでいます。
「お疲れ様、ルーナ」
私が戻ってくると、先に試験を終えていたアーシャが水を持って来てくれました。
「ありがとうございます」
お礼を告げて一口含むと、荒い呼吸を整えながら、その場に仰向けになって手足を投げ出します。今回は疲れました。2年生の時からずっとほとんど毎日走り込みは続けているのですけれど、しばらくは起き上がれそうにありません。
「なんか今のルーナの姿には、こう、くるものがあるよね」
アーシャが私の横に膝を抱えて座りながらごくりと唾を飲み込む音が聞こえました。
「えっ」
何やら身の危険を感じたので、胸の前にタオルを掻き抱いて反射的に半歩ほどアーシャから距離を取ります。
「大丈夫大丈夫。悪いようにはしないから」
「あ、あの、アーシャ」
目をぎらつかせながらにじり寄ってくるアーシャから、後ずさるようにして座り込んだまま後退します。
「据え膳食わぬは男の恥とも言うし」
「アーシャは可愛い女の子ですよね」
「大丈夫。天上のシミを数えている間に終わるから」
「ここは屋外ですよ、ちょっと―—」
私がぎゅっと目を瞑ると、アーシャが冗談、冗談と言いながら座り直して笑っていました。
「アーシャ」
「ごめんごめん。ルーナの反応が可愛くてつい。それに周りの反応も面白かったし」
「えっ」
言われてから周囲を見回すと、鼻の辺りを押さえて上を向いている男子生徒や女子生徒、前かがみになりながら慌てて私たちの方から視線を逸らされて競技場から出ていかれた方もいらっしゃいました。
「まったく」
アーシャはとても楽しそうに笑顔を浮かべて、私に手を差し伸べてくれました。
「じゃあ、私も楽しめたし、戻ろうか」
「はい」
私はその手をとって、アーシャと一緒に寮まで戻りました。
寮に戻ると、ルグリオ様とセレン様が迎えに来てくださっていました。本当は駆け寄りたかったのですけれど、今の自分の格好と状態を思い出して踏みとどまりました。
「ルーナ。ごめん、少し早かったかな」
「いえ、そのようなことはありません。それで、申し訳ありませんが、少しお待ちいただいてもよろしいですか? その」
「分かっているわよ。というよりも、メルとカイ、レシルも待つのだから、焦らず汗でも流してゆっくりしてきなさい」
セレン様のお言葉に甘えて、失礼しますと寮に入ると、アーシャたちと一緒にお風呂へ向かいました。
お風呂から出ると、部屋に戻って荷物をまとめます。とは言え、ほとんどの物は収納してあるため量は多くないのですけれど。
「ルーナ。これ」
「これは、寮に置いておいた方が良いのではないですか?」
「また持って来てくれればいいのよ」
アーシャに感想聞かせてねと言われて、半ば強引に押し付けられてしまったのでアーシャが見ている前で置いていく訳にもいかず、収納して仕舞い込みます。
「それじゃあ、ルーナ。また、夏期休暇明けに」
「遊びに来てくださっても構わないと思いますよ」
きっと、ルグリオ様も、セレン様も、ヴァスティン様も、アルメリア様も歓迎してくださると思います。
「それはちょっと難易度が高過ぎるかな」
私たちはもう一度顔を見合わせて笑い合うと、それじゃあと腰かけていたベッドの縁から立ち上がりました。
「アーシャもお元気で」
「うん。またね」
「お待たせ致しました」
トゥルエル様にも感謝を告げて、寮を後にします。
「もう大丈夫なの? もっとゆっくりしてきても大丈夫だったのに」
「いえ、私がルグリオ様と一緒にいたかったんです」
「もう、あなた達は二人で先に馬車に行ってなさい。メルたちは私が連れて行くから」
「でも姉様」
「いいから、任せなさい」
セレン様の圧力に押されたのか、ルグリオ様は私の方へと手を差し伸べてくださいました。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
私がその手を取ると、ルグリオ様は私の歩幅に合わせるようにゆっくりと進んでくださいました。