この子が僕のお嫁さん?!
この子が僕のお嫁さん!?
豪奢な馬車から降りてきた深い海のようなドレスを纏った女の子に僕はただただ見とれていた。
ドレスの裾からのぞく華奢な手や足首。さらさらの銀髪は、穏やかな日の光を反射してまばゆくきらめいている。
その子は完璧な所作でお辞儀をすると、綺麗な紫色の瞳で僕を見つめて口を開いた。
「はじめまして。アースヘルム王国から参りました、ルーナ・リヴァーニャです」
落ち着け、僕。これだけのことで動揺していたら、これから先やっていけないぞ。そう言い聞かせてはいるのだけれど、体の方はなかなか言うことを聞いてくれない。
「はじめまして。私がコーストリナ王国第一王子のルグリオ・レジュールです」
おとぎ話の中のお姫様みたいな本物のお姫様の美貌を目の前にして、僕はそれだけの言葉を紡ぐことしかできなかった。
事の始まりは数日前、父であるヴァスティン・レジュール国王陛下に呼ばれた僕は、玉座の前で膝をついていた。
「お呼びでしょうか、父上」
父様は厳格でいて、それでいて面白がっているようなそんな口ぶりで話し始めた。後から考えれば、完全に面白がっていたに違いないと僕は確信している。
「うむ。突然な話ですまないが、お前の婚約者が明日、こちらへ到着する」
「はい。……って婚約者!? 僕の? 何ですかその話は! 初耳ですよ!」
コンヤクシャ、こんやくしゃ、婚約者……その言葉をかみ砕くのに、しばらく時間を要した。
だって想像してみてほしい。今まで生まれてから16年間、ちゃんとまともに話した女性と言えば母様と姉様くらいだった僕が、急に婚約者なんて言われても、はい、そうですか、なんて頷けるはずがない。
慌てる僕とは対照的に、母であるアルメリア・レジュール王妃は、とぼけたような口調で落ち着いたまま後を続けた。
「あら、言ってなかったかしら。でも、今伝えたのだから問題ないわよね」
「いやいや! 問題大ありですよ、母様! 明日って……準備とかはどうするんですか! そもそも、婚約者というのはどういうことですか!」
「なんだ、そんなことも知らなかったのか。婚約者というのはだな、将来、結婚して夫婦になることが定められた相手のことだ。フィアンセとも、許嫁とも言うな」
「言葉の意味を聞いているのではありませんよ!」
そう反論したのだが、父様は諭すような口調で逆に僕を窘めた。
「そうは言ってもだな、これはずっと以前から決まっていたことだ。今更、がたがた言っても変わらない。確かにお前に告げなかったのは、私がお前の驚く顔が見たかったからだが」
そうなのか! やっぱり楽しんでいたのか! なんて親だ! 仮にも息子の婚約者を知っていて黙っているなんて! しかも、ずっと前からだって! 何を言っているんだ、この父親は! 普通、そこは「私が悪かったが」って続けるところだろう!
あまりにも言いたいことが多すぎて黙ってしまった僕に、父様は咳払いを一つすると、決定事項だというように僕に告げた。
「お前も男なら覚悟を決めろ」
迎えた翌日、結局昨晩は緊張しすぎていてあまり眠れなかった。そのせいで、金髪はぼさぼさだし、目は充血してくまができている。
「何しているの、だらしないわねえ。シャキっとしなさい」
姉様—―セレン・レジュールがそう言って服の裾を引っ張ってくれる。
「そうは言うけれどね、姉様。確かに僕はこの国の次期国王として、本心では今でも姉様が女王をやればいいと考えてはいるけれど、お嫁さんを迎えること自体には抵抗はないよ。ただ、もっと前からわかっていたのなら、教えておいて欲しかったということだよ。おかげで寝不足なんだ」
そう愚痴をこぼすと、姉様は僕を抱きしめてくれた。
「大丈夫よ、ルグリオ。あなたならきっと上手くできるわ。それにね、王位を継ぐのはまだ先でしょう。私も、それに今からくるあなたのお嫁さんもきっとあなたの助けになるし、その頃にはあなたも今よりもっと素敵な紳士になっているはずよ」
「わかっているよ。ありがとう、姉様」
そうしてしばらく待っていると、二頭の白馬に牽かれた白銀の馬車が2台、道の向こう側からゆっくりと姿を現した。
馬車は僕たちの前までくると振動を感じさせずに停車して、月を象った文様のついている扉の前には御者の方たちが真紅の台を置いていた。
御者の方によって恭しく扉が開かれると、新雪のような色の靴を履いた華奢な足首、ついで、深い海のような色のドレスがみえた。
思っていたよりも小さい脚に、おやっと思っていると、御者の人の手を取って、僕よりも頭二つ分くらい小さな人影が姿をみせた。
サラサラの流れるような銀髪が穏やかな日の光を反射してまばゆくきらめいている。綺麗な紫の双眸は、日の光を浴びて一旦眩しそうに細められたが、じっと僕を見据えていた。僕がその美貌に圧倒されていると、少女は完璧な所作でお辞儀をして、僕の顔を真っ直ぐとらえてその小さなピンクの口を開いた。
「はじめまして。アースヘルム王国から参りました、ルーナ・リヴァーニャです」
あどけなさの残る声ではっきりとそう告げられた。あまりの美貌に呆気に取られていた僕は、一言紡ぐのにも大変苦労した。
「はじめまして。私がコーストリナ王国第一王子のルグリオ・レジュールです」
自分の名前を言っただけで、全精力を持っていかれた気がした。こんなことではこの先やっていけないとは思うのだけれど、この時の僕にはほとんど余裕がなかった。
落ち着け、僕。こんなことでは紳士失格じゃあないか。
小さく深呼吸をして、どうにか落ち着きを取り戻すと、彼女の前に片膝をつき、親しみを込めて手を取った。
「お待ちしておりました。長旅でお疲れでしょう。まずはゆっくりとおやすみください」
ルーナ王女は少し驚いていたようだったが、すぐに表情を固めた。
「お気遣いありがとうございます。ですが、国王陛下、王妃様に挨拶をしないわけには参りません」
はっきりとそう告げられてしまっては、案内しないわけにもいかない。
「では、ご案内いたします」
僕はそう告げると、立ち上がり彼女の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出した。