第三話 『夏と初恋』
1年で1番ホットな季節がやってきた。
夏である。
子供たちは噴水で駆け回り、犬はうまそうに水を飲む。
動物園のゴリラは一歩も動かなくなり、日陰と同化する。
太陽はジリジリとアスファルトを焼き、車のボンネットに陽炎を作る。
蝉たちの大歓声を受けながら、アダチ青年は鼻歌まじりにスキップする。
彼の目には、今、すべてが輝いて見えた。
隣人ジュンの友人、ハルはジュンと同じ学部の学生でアダチ青年と同い年だ。
髪の毛は栗色、肩くらいまである髪をポニーテールにしている。
ネットゲーム初心者でウォーウルブスもジュンに誘われて始めた。
瞼を閉じれば、天使の笑顔が思い浮かぶ。
何かをしゃべっている、何だっただろうか。
細かい事はいい、今日もご飯が美味い。
「ねーねー、ご飯美味しいのはわかったから、ニヤニヤすんのやめてくんないかなー」
「え、ニヤついてましたか? いやージュンさんのカレーはいつ食べても美味しいなー」
「カレーじゃなくて、ハヤシライスだけどな!」
「何にせよ、美味しいですよ」
ジュンは困惑した。
いつも呼ばれないと来ない、いや、呼ばれても嫌々来ていたアダチ青年が今日は自分から来たのだ。
しかも、美味そうなコンビニスイーツを持参してきたのだ。
女の勘は鋭い。
何か裏がある、と思っていても目先のスイーツの欲望には勝てなかった。
レアチーズ大福だと、アダチのくせに生意気だ。
ちょうどハヤシライスが完成したところに現れたアダチにも振舞う。
美味いとは言っているものの、カレーだと思って食べていたのかと呆れる。
「そ、そ、そう言えばー、食堂の時に一緒にいたのは、ど、どなたですかね? 友達ですか?」
「え、ハル?」
「へー、ハルさんっていうんですねー」
「いや、あの時言ってたでしょ」
「そうでしたっけ?」
「ウォーウルブスを一緒にした、ハルだよ」
「あーウォーウルブスもしてるんですねー」
アダチがおかしい。
いつもボーっとしてて何考えてるんだが分からないけど、今日はひどい。
頭でも打ったか、変な物でも拾って食べたのだろうか。
突然ガタッと音がしたと思ったら、アダチが急に立ち上がった。
「ウォーウルブスのハルさんって、あのHaruさんなんですか!!」
「だから、そー言ってるじゃない」
「なんでそれを早く言ってくれないんですか!」
「気付くでしょ、普通」
そのあと、急に大人しくなったアダチ青年はハヤシライスを飲むように平らげた。
「じゃあ、ウォーウルブスしましょうか」
「まだ私食べてるんですけど」
「じゃあ、僕、先にやってますね、ごちそうさまでした」
アダチ青年はさっさと自室へ帰っていった。
レアチーズ大福を2個残して。
ハヤシライスを食べ終わったジュンは、レアチーズ大福1個目を食べ始めた。
美味い。
もう1個、余裕でいけるほど美味い。
しかし、これは罠だ、あいつとんでもない物を置いていきやがった、と苦悩した。
自室に戻ったアダチ青年はウォーウルブスを起動しながら、ニヤニヤしていた。
麗しの天使の情報を得ようと、賄賂を持って隣人を訪ねた。
成果は期待以上だった。
なんと、すでに話した事がある人だったのだ。
ゲームの中だけど。
名前はハルさん、なんと可愛らしい名前なんだ。
ウォーウルブスをしていれば、また一緒に遊べると意気込んで起動してみた。
しかしフレンド登録していた訳でもなく、偶然出会う事もない。
何を焦っていたんだと、笑いながら一旦ゲームを終了して隣室を再訪問する。
「すいません、なんか取り乱しまして、そろそろ食べ終わりましたかね」
そこには2個目のレアチーズ大福を頬張っているジュンがいた。
「ちがうの、これは、その、そこに山があったからと同じ法則と言うか」
レアチーズ大福を頬張りながら、あわてて言い訳をするジュン。
アダチ青年は自分の分まで食べられているなんて知らず気にしていない。
「よくわかりませんが、それ食べ終わったらウォーウルブスやりましょうよ」
ジュンと二人でウォーウルブスを始める。
しばらくするとハルがログインして3人で遊ぶ。
ジュンとハルが話している会話を聞きながら、無信教のアダチ青年は何かに感謝をする。
おー幸福をありがとう。
幸福な時間は光の速さで過ぎて行き、ハルはログアウトしていった。
残されたアダチ青年はジュンと二人でなあなあにクエストを処理する。
その後、自分の分までレアチーズ大福を食べられた事を知って、だから太るんですよと言い放ったアダチ青年。
隣室からすごい勢いで押しかけてきたジュンにドロップキックをお見舞いされるのだった。
***
翌日、食堂にてラーメンがブヨブヨに伸びるほど周囲に気を張り巡らせるも、ハルを見つける事は出来なかった。
そして夜、ウォーウルブスを3人で遊ぶが二人の女子トークに入れず、何の進展もない。
ハルの事を意識し過ぎて、普通の会話すらままならないアダチ青年。
何かがおかしい、こんなはずではない、僕はどうしてしまったのだろうかと悩む。
バイト中、アダチ青年がため息をついているのを見てバイトの先輩が声をかけてきた。
「どうしたよ、留年でもしそうなのか?」
「まだ7月ですよ、今から留年の心配じゃありませんよ」
「そんなもんなのか、じゃあどうしたんだ?」
「いえ、まぁ、その……」
「まさか、病気でももらったのか? 早く病院へ行けよ」
「違うますよ! もっとそれ以前の問題ですよ」
「なるほど、ゴムをつけるタイミングの事だな」
「だから、そーゆーやつじゃないですって」
「ハハハ、冗談だよ、で、ほんとどうした?」
バイトの先輩アキラは、アダチ青年が話せる数少ない人間だ。
アダチ青年はアキラの事をアニキと呼んで慕っている。
普段、自分の事を話さないタイプのアダチ青年も、今回は誰かの助言が欲しかったところなのだ。
この手の経験が豊富そうなアキラは、まさに打って付けの人物だと思えた。
そしてアダチ青年は重い口を開いた。
「実は、今、気になってる人がいまして」
「あー好きな人が出来たのか」
「その、同じ大学の人でして、どうやったら仲良くなれるのかな、と」
「デートに誘えばいいじゃん」
「アニキ、それはちょっとハードルが高過ぎます」
「えー、じゃあラブレターでも書くか? 夜中に書くのはやめとけよ」
「その、まだ会ったばかりで、もっと知りたいと言うか」
「アダチが言うと、ストーカーっぽく聞こえるよな」
「ちょっとー、まじめに聞いて下さいよー」
「ごめごめ、そうだな、まずは相手にアダチのいい所を知ってもらえるように、頑張ってみたらどうだ?」
「いい所? ですか……」
「そうそう、まずは好感度を上げとかないと、フラグも立たないだろ?」
「アニキそれ、ゲームの話じゃないですよね?」
「案外、現実もそんなもんなんじゃねーの?」
「そ、そうなんですかね」
バイトが終わるとアダチ青年は弁当と缶ビールを買ってアキラを待った。
少し遅れてアキラが出てきた。
「お、アダチおつかれさーん」
「おつかれさまです」
「今日は相談にのってもらったので、これ、どうぞ」
缶ビールをアキラに渡す。
「何か欲しくて聞いたんじゃないんだけど、ありがたくもらっとくわ」
受け取ったアキラは嬉しそうに、その場でプシュッと開けてグビグビ喉を鳴らした。
「なー、この後、暇? どうせ弁当だろ? どっかで一緒に食おうぜ」
帰ってウォーウルブスをしたかったのだが、まだ具体的な解決策を見出せていなかったアダチ青年は頷いた。
アキラがじゃあうちこいよと言うので二人で歩き出した。
アダチ青年が住むアパートにも負けぬ趣きがあるアパートにアキラは住んでいた。
「ちらかってっけど、てきとーに座ってくれ、アダチは酒ダメなんだっけ?」
「あ、はい」
アキラの部屋は、物や服が多く所狭しと何かが置かれている。
目についたのは数本立てかけられているギターだった。
「そういえば、アニキってバンドマンなんですよね」
「そういえばとは、失礼な、ミュージシャンと呼べい」
「売れてるんですか?」
「お、興味ある? ライブ来てみるか?」
「えーっと……、遠慮しときます」
アキラは缶コーラをアダチの前に置き、じゃこれでと言い、自分は缶ビールを開けた。
隣室からだろうか、まぁまぁな音量の音楽が聞こえてくる。
アダチ青年の驚いた顔を見てアキラが説明する。
「ここな、みんな音楽やってるやつが住んでるんだよ、だから音漏れはお互い様って事になってんだ」
そして、レコードを取り出して、プレイヤーに乗せる。
「あ、針折れてたんだった」
悲しそうにパソコンを起動する。
「どうしたんですか?」
「こっちもなんか音楽流そうかなーって」
「さっきの機械は壊れたんですね」
「レコードプレイヤーな、昨日針折れちゃったんだよ」
「折れちゃったんですか」
「まぁこっちでも聞けるから」
パソコンから聞きなれないジャカジャカした音が流れ始める。
アキラのパソコンのデスクトップにはTheClashと書かれた文字とギターを叩きつける男が映っていた。
見慣れないアイコンが並ぶ中、アダチ青年が見たことがあるアイコンを見つけた。
以前やっていたネットゲームのアイコンである。
「アニキ、これやってたんですね」
「おー、少し前までハマってたんだけど、最近やってないなー」
「今ウォーウルブスやってますよ」
「おー気になってたやつだ、どんな感じ?」
「かなりいい感じですね、ハマってますよ」
「まじかー」
アキラはテキパキ検索してインストールを始めた。
ようやく落ち着いて、さて弁当でも食べるかと思った時に、アキラの携帯が鳴った。
「おー、どした? あーそうだったわ、じゃあこのあとな、うぃーじゃなー」
電話はすぐに終わった。
「すまん、誘っといてアレなんだが、このあと予定があったの忘れてたわ、ダハハハ」
すっごい笑ってる。
弁当を二人で黙々と胃袋に流しこみ、また今度あらためてなと言ってアキラは去って行った。
自宅に戻ったアダチ青年はアキラの言葉を思い出し、”自分のいい所”かと考えた。
穴を塞いだ簡易扉からコンコンと音がする。
「はーい」
「おかえりー、ねーこれ」
穴から何か差し出している、レアチーズ大福だ。
「くれるんですか?」
「この前アダチの分も食べちゃったからね」
「そんなの気にしてないのに」
「いいから食べて、すっごく美味しいから」
「2個食べちゃうくらいですもんね」
レアチーズ大福が握りつぶされそうになったのであわてて救出する。
「僕にいい所なんてあるんですかねー?」
さっき考えてた事が頭を巡り、不意にジュンに聞いてしまった。
しばらく返事がなかったので聞こえなかったのかな、と思っていたら返事があった。
「んー、ハルは優しくていい人だって言ってたよ」
アダチ青年は歓喜の雄叫びを上げるのを必死に堪えた。
アニキ、すでにいい所、知ってもらえてましたよーと心の中で師に報告する。
満面の笑みを浮かべ声だけ普通を取り繕い返事をする。
「そ、そうなんですかー」
だが、穴から見てたジュンに冷静にツッコまれる。
「口からレアチーズが出てるぞ」
レアチーズ大福おいしいなーと誤魔化しながら、脳内アダチたちはコサックダンスで大盛り上がりだった。