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第一話 『水玉と拳』

 空は斑な灰色に染まり、惜しげもなく雨粒を降り注ぐ。

 新しい傘が水を弾き、ティアドロップが滑っていく。

 喜び跳ね回る蛙の兄弟、紫陽花に蝸牛、黄色いレインコートを着た子供たち。

 相合傘で肩口が濡れたリア充たちに爆発しろと心が叫ぶ。


 ワースト1位な時期、それは梅雨。

 しかし、アダチ青年にとっては良い事もあった。

 雨音で、隣人の声が少し気にならなくなるのだ。


 アダチ青年の隣室には、同じ大学に通う女の子が住んでいる、名前はジュン。

 学部が違う為、アダチ青年と面識はなかった。


 ショートカットがよく似合い、ボーイッシュな印象を受ける。

 最初こそ見知らぬ男性に敬意を払い、常識ある対応をしていた。

 だが同じ大学、しかも同い年とわかってからの、かぶった猫を脱ぎ捨てる早さは天下一品だった。



 ***



 初めて二人が顔を合わせた日、それは蜘蛛を怖がったジュンをアダチ青年が助けた事から始まる。


 「なーんだタメだったんだー、緊張して損したー」


 少しかしこまっていた彼女はニッカリと笑った。

 そのあとはドンドン話し掛けられ、一方的に砕けていく。


 「アダッチはさー」


 いつの間にかあだ名の様な呼ばれ方をされ。


 「チーアダって友達いなさそうだよね」


 アダチ青年のガラスハートをグリグリとエグってくる。

 社交性が皆無のアダチ青年は思考回路が追いつかない。


 「はい……はい……」


 と返すばかりである。

 

 カレーを飲むように平らげたアダチ青年がさっさと帰ろうとする。

 そこにニッコリ笑ったジュンが言う。


 「またクモでたら、壁叩くからすぐ来てね」


 返答はせず、変わりにごちそうさまでしたと言い残し、アダチ青年は徒歩2秒の自室へ帰った。



 ***



 翌日、さっそく壁ドンが始まった。

 アダチ青年のささやかな抵抗は居留守を決め込むくらいしかなかった。

 しかし直接玄関を開けられて敢え無く失敗に終わった。


 「アダッチいるじゃーん、ちょっときて、はやくはやく」


 有無を言わせないジュン。

 

 (男の子の部屋はノックなしに開けちゃダメなんだからね!)


 と言いたかったが声にはならなかった。

 隣室に半ば強引に連れて来られた理由はクモではなかった。


 「パソコンが動かなくなっちゃんだけど、アダチってこーゆーのどうせ得意でしょ?」


 「どうせとは何事か、この程度の知識もなしにパソコンを使おうとするのがどうかしているのだ」


 ものすごく小さい声で言ったあとでジュンの顔色を伺う。

 どうやら聞こえていなかったようで安心するアダチ青年。


 「見てみます」


 パソコンがあるところへ向かう。

 アダチ青年の部屋側の壁にパソコン台があり、ピンク色のノートパソコンが置かれている。

 画面を見て、マウスを動かしてみるがカーソルはビクともしない。

 どうやらフリーズしているっぽい。

 通販サイトで下着を選んでいたのか、カーソルは水玉の柄を指している。


 「ほー水玉ですか」


 つい口がすべったアダチ青年の脇腹に、鋭いリバーブローが突き刺さった。


 「ぐふっ、いいモン持ってるじゃないか、おれと世界を目指さないか?」


 アダチ青年の中の丹下が騒いだ。



 パソコンは再起動したら動いた。


 「ありがとー助かったよー、今日シチューだけど食べてくでしょ?」


 断る理由が思いつかずに再びご馳走になる。

 抜かりのないアダチ青年は、ジュンのパソコンのデスクトップにウォーウルブスのアイコンを確認していた。

 しかし、自分からその話題を振る事もできず、黙々とシチューを飲み込んだ。


 「ごちそうさまでした」


 手を合わせて、帰ろうとするアダチ青年。


 「次居留守使ったら、もぎ取るからね」


 何をと聞くも恐ろしい言葉が浴びせられた。


 「……はい」


 そして2秒の道のりを1秒で帰宅した。

 記録更新である。



 ***



 翌日。

 

 居留守を使った結果、壁に拳大の穴が開いた。


 穴の向こうから覗く、眼光鋭い視線に蛇に睨まれた蛙よろしく縮み上がるアダチ青年。


 「わー、アダチいるじゃーん、壁壊しちゃったじゃん、どうしてくれんのよー」


 穴から手が出てきて、こっちへ来いと手招きする。

 ちょっとしたホラーだ。

 警戒しつつ、穴へ近づく。

 

 「とりあえず、大家さんには内緒ってことで、よろしくね」


 「……はい」


 イエスマンな自分に脳内の多くの同胞たちが、お前は悪くないと優しい言葉を口々にかけてくれた。


 こうして開通した穴にジュンはポスターを貼ることで応急処置をした。

 そして壁ドンはなくなったのだが、用事があるときはポスターをめくって呼びかけられるようになった。


 ***


 ポスターをめくりあげる音がする。


 「ねーねー、織田信成って誰の孫なんだっけ?」


 声だけ聞こえてくる。


 「信成の祖父は知りませんが、先祖に信長っていう武将はいましたよ」


 穴の方へ返事をする。


 「ああー、そーだ! そーだ! ノブナガ! ノブナガ!」


 と言いながらポスターを貼りなおすジュン。



 アダチ青年は押入れから幼い頃のマイヒーロー、ロナウジーニョのポスターを出す。

 そして穴が隠れるように貼ってみた。



 翌日、ねーねーと聞こえたあと、ズボッと音がした方を見たらロナウジーニョの股間から拳が生えていた。

 そしてロナウジーニョの股間から声がする。


 「ちょっと来てくんない?」


 次はオリバーカーンにするか、と選抜メンバーを考えながら隣室を訪れた。


 ジュンから穴についてどうしようかという相談であった。

 プライバシーの重要性を説き、ルールが必要だと訴えた。

 その結果、穴には簡易的な扉が作られた。

 そして必ずノックをして返事があった場合のみ開ける事が許されるというルールが設けられた。

 しかし、理不尽なことに簡易扉の鍵は向こう側からのみ開閉が出来る仕組みになっている。


 簡易扉が設置された日、アダチ青年がそろそろ寝るかと部屋の明かりを消した時、一筋の光が簡易扉から漏れていることに気付いた。

 光に群がる羽虫のように、吸い込まれるように引き寄せられていくアダチ青年。

 高鳴る鼓動、膨らむ期待、押し寄せる背徳感、生唾を飲む、荒くなる鼻呼吸、手汗が滲む。

 そっと壁に手を当てて、ゆっくりと光が漏れる隙間に、アダチ青年の顔面が引き寄せられてゆく。

 片方の目を瞑り、隙間の先へ焦点を合わせようと更に接近したところで、変な音がした。


 スピュゥ――


 扉の隙間に勢い良く鼻息が通り、風切り音がしたのだ。

 おー神か、はたまた仏か、もう少しで大罪に至るところを止めて下さったのですね、深く感謝致します。

 無信教のアダチ青年はその場で深く何かに感謝をした。


 そして、扉が開き、怒りの鉄拳が脳天を貫いた。


 ***


 そのまま気を失ったアダチ青年は翌日、菓子折りを持ち隣室のドアをノックするとその場で土下座をして謝った。

 初犯である事、本人曰く未遂であった事、菓子折りと土下座に少なからず誠意を感じた事。

 以上の事から裁判官は情状酌量し、しばらくの間は何でも言うことを聞く事を条件に和解に至った。


 そして話は冒頭へと続く。

 現在アダチ青年はジュンのパシリとして、近所のコンビニにやわらか杏仁豆腐を買いに行かされている。

 そんな道中、キャッキャウフフと相合傘をしているカップルに悪態をついてしまう。


 言われた通り、やわらか杏仁豆腐を2つ購入して帰り、レシートとおつりを一緒に手渡して帰ろうとする。


 「うどん茹でたんだけど、ちょっと茹ですぎちゃったから食べてってよ」


 赤くないきつねうどんをご馳走になる。


 「この量を一人で食べると、また太っちゃいますもんね」


 言ってから、後悔したが遅かった。

 ジュンのトウキックが弁慶の泣き所をクリーンヒットして、すすっていたうどんが鼻から飛び出た。


 それを見たジュンは爆笑して機嫌が良くなったのか、食後にやわらか杏仁豆腐を1個アダチ青年にくれた。

 こんなスイーツなど、女子供の食い物だとバカにしていたアダチ青年は、一口でコンビニスイーツの虜となった。

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