原文(ボツ喰らいました
死にたいという呟きに返事を返したのは、クラスで一番可愛いと評判のフミちゃんだった。
「あんた死にたいの? 本気?」
「う……うん、たぶん……本気……」
「たぶん? あんたたぶんで死ぬの?」
フミちゃんの言葉に私は返事をできなかった。
☆
始まりは祖母の病死だった。
遺産相続をめぐって母と叔父が口論になり、殺人事件にまで発展した。母は叔父夫妻を殺し、現在服役中。父はそのショックで自殺した。
一人家族になってみてからわかったことが、父の自殺が母が逮捕されたことへのショックではなく、多額の借金を背負ったことに対する究極の現実逃避だったことだ。祖母から引き継げる遺産のほぼ全額と同じくらいの借金であり、事前に借金のことを聞かされていた母はそのせいで金に目が眩み、凶行に走ったらしい。そして金が手に入らなかったから父は自殺した、と。
ヤがつく自由業の方も我が家にやってきて、金目のものと通帳を全部持って行った。残されたのは自分の制服と、その時身に着けていた下着類くらい。箪笥や洗濯機の中まで丁寧に全部持って行かれた。そのあと箪笥と洗濯機を持って行ったのだから、最初から全部入れて持っていけばいいのに、とぼんやりとそんなことを考えていたのを覚えている。
大金持ちの祖母を持つ(祖父は大戦で他界)母と、エリート銀行家の父。かなり裕福な家庭で育った私は、一夜にして何の家具も無い――カーテンすらない――建物と、制服、それから下着だけが全財産になってしまった。
幸いにも借金はそれで全部返せたようで、もう家にヤ業が来る事は無かったものの、私はどうして生活すればいいものか、まったくわからなかった。通帳からお金だけ下ろして返せば良かった。どうしてそのものを渡したのだろう。
市役所に生活保護を受ける申請を出せば良いのか? わからない。そもそも市役所がどこにあるのかが分からない。金持ちって、別に家が大きすぎるとか、メイドとか執事とか雇ってるほどじゃあなかったけれど、一人娘である私が世間知らずの箱入り娘に育つくらいには裕福ではあったのだ。
だから、身体を売った。素性も知らない男性にお金をもらって、自分の体を好きなようにさせた。たまに女でも私を買いたいという人がいて、私は女に抱かれるほうが好きだった。
そして、私が援助交際をしていることがクラスメイトにバレた。
私が身体を売っているという秘密を片手に持って、そのクラスメイトは私に股を開くことを強要した。そいつらは金を払わなかったから、客じゃなくてただの強姦だ。その日は一日中、頭に靄がかかった様にぼーっと過ごした気がするが、これ以上思い出せない。
日中は体育倉庫に呼び出されて、無償で「使い捨てティッシュ」代わりに。
夜中はラブホテルにでも呼び出され、有料「使い捨てティッシュ」に。
金だけは簡単に手に入った。男に抱かれるのがあまり好きでないがゆえに身体が強張るのが「初々しい」と判断され、私の体は一行為につき六万から七万円ほど稼いでいた。多いときは日に三〇万円くらい稼いでいたと思う。
で、凄いのが女性の客。一晩で五〇万円ほど落としてくれたりする。私も臭くて汚い男よりかは女に抱かれるほうが好ましかったし、最近は女の客ばかり取っているように思う。
まあ順調に稼いだ八ケタほどの財産は、あっという間に私を脅すグループに知られることになる。「秘密をばらす」を合言葉に、そいつらは私からほぼ全財産を巻き上げた。酷い時なんかそいつらが斡旋してきた客に抱かせ、金は自分たちでピンハネするとか、そんなことまであったのだ。私は十数人の男どもに、ぐちゃぐちゃにされた。
一人のモノを無理矢理咥えさせられている時に、ふと思った。
私は何のために生きているのか、と。
私が生き続けている意味がわからない。こんなことをしなければ続けられないのに生きる意味なんてあるのか? 生きる意味は「探し物」というには大きすぎて、私には扱い切れない。
ふと、噛み千切らんばかりの勢いで口を閉じた。めちゃくちゃに殴られた。一生消えない傷なんて数えきれないくらいつけられた。もう子供も産めない身体にされ、脱腸で手術アンド入院。その翌日には、私の秘密はクラスメイト全員に知れ渡ることになっていただろう。
でも。
殺してくれなかった。
死ななかった、死ねなかった。
☆
「あんたエンコーしてたんでしょ? うわ、ウケる」
「何しに来たの」
「うん? えっと、何そのふつーの反応。困るじゃない、せっかく今風のギャルっぽいかんじできたのに」
「棒読みだったしメイクもなんか気持ち悪いよ。今風をはき違えてる」
「マジかよー先にいってよー」
どうやってだ。私はまだ入院中なのに。
というか今の時間だとまだ学校があると思うのだけれどこいつは大丈夫なのか? と、クラスで一番可愛いともっぱら評判の女、フミちゃんの心配をする。
「それで? 何しに来たの?」
「ん? ひまつぶし」
「学校は?」
「サボり」
「なるほど」
学校サボる口実に、私のお見舞いを利用しているわけだ。傷口見せてやろうかとなんかよくわからん嫌がらせが脳内を駆ける。まあ、傷口ったって肛門見せつけるだけなんだけど。脱腸だから。ただの痴女だろこれ。
「わたしのことは気にするな! すみで静かにどくしょしとくから!」
「ホントに何しに来たんだか」
「だからいったじゃーん。ひ・つ・ま・ぶ・し」
私が何の返答も返さないでいると、彼女は勝手に言い繕った。
「あーいっけねまちがえた! ひまつぶしだった! ひ・ま・つ・ぶ・し!」
「静かにしててくれるんなら別に良いよ」
「わーいリョウちゃん大好きー」
「あー、いいよそういうの。抱き着いてくんな離れろ」
☆
フミちゃんは実際に読書し始めたようで、病室にはページを繰る音だけがした。他の音は無い。
何をするでもなく病室の真白い天井を眺めていると、なんとなく変な気分になった。
「死にたい……」
つい一人の時の様に口に出してしまってから気付く。同じ部屋にフミちゃんがいるのだと。
「あんた死にたいの? 本気?」
フミちゃんは読んでいた本を勢いよく閉じた。その時にチラッと表紙が見えたが、上下が逆になっていた。一体何をどう読んでいたのだろう……
「う……うん、たぶん……本気……」
あまりに興味津々に、体を乗り出して聞いてくるものだから、返事がしどろもどろになる。
「たぶん? あんたたぶんで死ぬの?」
フミちゃんの言葉に私は返事をできなかった。
たぶんで死ぬ? 私は「たぶん死にたい」んだと、そういうことが言いたいのか。私は「何が何でも死にたい」じゃなく、「たぶん死にたい」で死ぬんだと。
「まあどっちでもいいか。ねえリョウちゃん、あんた、わたしに買われない? エンコーもうやめちゃった? でも死にたいなら一緒だよね!」
ぐいぐい押してくるフミちゃんに返事を返せないでいると、彼女は私をベッドに押し倒した。両手が私の顔横に置かれて、先ほどまで見ていた天井との間に顔が差し込まれる。
口端が両方上げられたにっこりスマイルで私の方を見据えて、そして。
「わたしね、一目見た時からリョウちゃんのこと好きだったの。嘘じゃねーよ。う、嘘じゃないし」
適当に言ってるなコイツ。
「まあ良いや。あんた、わたしが買ったから。あんたの髪の毛の一本一本から足の爪の細胞に至るまで、全部全部わたしのものだから。いい? 今この瞬間をもって、あんたは一生涯わたしのものよ。だからエンコーはやめて」
「もとからもうしないつもり――」
「黙って聞きなさい。わたしのものでしょ? 着せ替え人形みたいなものなんだから、喋るな」
恐ろしいことに、この間ずっと笑顔である。縫い付けられたように、彼女から目を離せない。
「いい? あんたは――リョウちゃんはわたしのお人形さんなの。さっき拾ったのよ」
そう言って彼女は私の額に軽くキスすると、体を起こした。体の強張りはまだ抜けない。間抜けにも両手を胸の前で握った状態で固まってしまう。
「そんじゃあそんなリョウちゃんに良いものあげます!」
じゃーん! という擬音を口で表現しつつ、彼女のカバンから取り出されたのは一本の筒だった。茶葉や海苔が入っているものと同じくらいの大きさだ。
「全自動手首切断機! これを使えばリョウちゃん、簡単に死ねるよやったね! わーい!」
私の目はそれに釘付けになってしまって動かない。
ゆえの私の無反応が気に食わなかったか、頬を膨らませてフミちゃんは私の肩をつついた。
「よろこびなさい人形」
「……ワーイウレシイナー」
明らかに棒読みだったが、逆に人形っぽくてウケたのか満足そうな笑みを浮かべるフミちゃん。
「それじゃあ使い方を説明しまーす! 切りやすそーな手首をヨーイしまーす!」
そう言ってわたしの左手を持ち上げるフミちゃん。
「つぎに筒の中に入れまーす!」
アルミ製だろうか、やけに冷たい筒の中に左手首が入れられる。
「さいごにスイッチを押すとー?」
そう言って、焦らす様に筒の底に指を近づけていく彼女。
全自動手首切断機? 本当に私の手首が切断される? そう思うと、背筋を冷たい汗が湿らせた。同時に、本当に死ねるんだ、という気持ちも湧いてきて、少しどきどきした。
「んー? おすよー? おしちゃうよー? いいのー?」
そんなことを言いながらも彼女の人差し指は管の底にあるであろうスイッチに近づいていき、近づいていき――
「あ、ぽちっとな」
「ぎゃぁああああ――――!」
叫んだ。
☆
「ごめんウソ。全自動手首切断機なんてあるわけないじゃん。でもどう? 死んだ気した?」
「ちょっと……おしっこ漏れた……」
「ウッソーマジー? きたなぁーい」
ちょっとというか、全部?
その辺りは言葉の綾というかなんというか。
「というかその管……」
「あー、これ、ただの海苔ケース。弟と一緒に、けさ全部たべてきました。ねえちゃん! こんなに海苔いらねえよ! 口に入らねえっておふうって言ってたよ! ちっそくししかけてた!」
「お、弟……」
というか弟いたのか。やけにテンション高い弟だな。姉も大概のようだが。
「それでそれで! どう? 死んだ? 一回死んだっ?」
「どれくらいの間気絶してた?」
「んーとね、十分くらいかな。ホントに死んだのかと思っちゃった!」
「その間は確実に死んでた」
「へー」
それじゃあもう大丈夫かな?
そう言ってフミちゃんは私の左手を管から抜くと、鞄の中にしまった。
「それじゃあ一度死んで生まれ変わったリョウちゃんに告げる」
両手を広げた笑みは天使のように可愛らしい笑みだった。
「いままでいっぱいいっぱいいやなことがあって、それこそ死にたくなるくらいだったのかもしれないけれど、死んじゃダメ。ヤダ」
ヤダ。まるで子供のようなその言葉に、彼女の本音のほとんどが凝縮されている。
「友達でしょ? お父さんが死んじゃった時でも良いじゃん! 相談……し、してよぉ」
目尻に涙を溜めて、でもそれをこぼすまいと必死に笑顔を取り繕って。ボロボロの顔で彼女は言葉を紡ぐ。
「なんでエンコーしてたとか、そういうのを言ってくれなかったのっ? 幼稚園の時からの仲でしょ? ずっと一緒だったでしょぉぉぉ――……」
「ごめん」
「クラスの男子から聞いて、最近ゼンゼン遊んでくれなくなったのもそれがゲンインだって気付いて……! なんかわたしのこととおざけてるっておもってたもん!」
「ごめん」
「こっちこそ気付いてあげられなくてごめん! リョウちゃん一人でずっと悩んでたんだよね? でもこれからはわたしもいるからね。わたしもいっしょに悩むから。わたしがあんたの残りの人生全部買うから。だから、お願い」
「ごめん、フミちゃん」
「だから、告げるよ。前置きが長くなったから、告げる」
ぐし、と、真っ赤にした目を擦り涙を弾いてから、フミちゃんは洟をすすった。
「さっきまでのりょうちゃんはもう死にました。だから今からは生まれ変わって、わたしのリョウちゃんとして生きなさい。わたしが嫌がることは絶対にしないで。やくそく……!」
「ごめん」
「ずっといっしょにくらそう! 退院したらうちの養子になってさ!」
「ごめん」
「パパとママの了解は得たんだよ!」
「ごめん」
「ねえ……リョウ……ちゃん……」
「本当に、ごめん」
点滴の針が繋がれた腕を無理矢理動かして、フミちゃんの手を握る。
「私ね、エイズ、罹ってるんだ。お父さんに感染させられたみたいでさ」
借金で首が回らなくなってきたころからだろうか、父に振るわれ始めた暴力は次第にエスカレートしていき、終いには性的なものも含まれるようになっていった。当時はただ単に仕事がうまくいってないのかくらいに考えていたが、なるほどそうか、借金のせいなのか、と最近は考えるようにしている。
それと大体同時期、父は囲っていた愛人との行為でHIVウィルスを体内に保持していたらしく、私に感染させた。
まだエイズだけなら良くは無いけど、マシ。
「脱腸とかいろいろでさ。菌、入っちゃったみたい」
「ねえリョウちゃん! いつ退院できるの? その病気はいつ治るの?」
「うん。治らないんだ。余命、あと一週間くらいだって。呼吸器外したら三日以内に死ぬ」
「そんな嘘はダメだよリョウちゃん。さっきわたしが手首切断とかやったから怒ってるんでしょ?」
「怒ってないよ。そりゃあおしっこ出ちゃったのは死ぬほど恥ずかしいけど、実際に死ねるわけじゃないし」
余命一週間らしいが、身体に痛いところは残っていないし、しんどくもなければ意識もはっきりしている。自分がもうすぐ死ぬなんて、まるで信じられない。
「でもなんか、成功率三パーセントの手術ってのがあるらしくて。明後日がそうなんだけど、もし失敗したら私すぐ御臨終だから」
「三パーって!」
「それでも高い方なんだってさ。でも成功したらちゃんと生き続けられるらしいから。その時は世話になります」
「ぜったいだよ! ぜったいだから! 絶対に成功して、一緒に暮らすんだよっ?」
わかったからもう学校に行きなー。
そう言って彼女を病室から無理矢理送り出して。
「絶対だよ!」
ドアの陰から顔を出した彼女を、思い直して引き留める。
「あー、フミちゃん。明後日の手術が終わるまで、わたし絶対安静で面会謝絶になるから、明日は病室に来ないでね」
「……それじゃあリョウちゃん。明後日、手術が終わったらソッコーで駆けつけるからね!」
そう言って彼女は駆け出していった。廊下は走らないでください、というナースの注意の声が聞こえる。
私は、騒々しい奴がいなくなったおかげで、静かになった――なってしまった病室で、一人ごちる。
「ごめんね、フミちゃん。そんな手術、ないから」
本当の余命は六日前、私が病院に搬送されたその日の時点で残り一週間。本当はフミちゃんには来てほしくなかったんだけどなー、なんて。あと一日のところで来ちゃったか。
予定通りいけば、明日私は死ぬ。
真っ白な天井を眺めながら、続けて私は呟いた。
「あーあ」
ふと窓の外を見ると雲一つない快晴で。
最後まで、生きる意味は見つからないままで。
フミちゃんと生涯仲良く暮らしました――みたいな未来を送ることはただの妄想で、それは叶わないことはわかっていて。
でもまあ、どうせなら私が生きた証を世界に残して逝きたくて。
結局私は生きる意味を、たぶん一生涯で最強にして最大の「探し物」を、見つけられないままだった。
「ホントに、全自動手首切断機、あれば良いのに」