03
『やあ。僕のお茶会へ、ようこそ』
壁一面一杯に造られたモニタのなかで、アフタヌンティの装いをこらしたテーブルを前に、ビクトリア朝の背もたれのついた椅子に座った男はそう云って、手にしたティーカップをささげるように持ち上げると、ケラケラ嗤った。
『遅かったね。すっかり待ちくたびれたよ』
ベルベッドのジャケットに水玉模様の蝶ネクタイ、頭に合っていない、異様に大きなシルクハット。シルクハットの側面には「In this Style 10/6」と書いてある紙がピンでとめてある。目元を大きな仮面で隠しているため、その容貌は伺い知れない。辛うじて見える口元や声から判断するに、十代ではないらしいが、細かい年齢までは判らない。恐らくは四十代には届いていないだろうと推測できるくらいだ。また、話している日本語は流暢だが、肌は不自然なほど真っ白く塗られているため、人種すら定かでない。
「俺たちの声は、そっちに聞こえてるのか?」
一歩、モニタの方へ進み出た憲次が画面を睨みつけて尋ねると、青年はキザな仕草で紅茶を一口すすった後、大きくうなずいた。
『聞こえているよ』
「なら、教えろ。あんた、誰だ?」
『僕?僕のことは、イカレ帽子屋って呼んでくれって、ウサギを通じて伝えさせたはずだけど』
「イカレ帽子屋……」
『そ。このゲームの主催者にして、審判者』
紅茶の香りを楽しみながら、青年は云う。
『そう云うわけで、ゲームの説明をしたいから、全員をここに集めてもらえるかな』
「はあ?なんで――」
思わず文句を云いかけた憲次の肘を掴む者があった。振り返ってみると、陽一郎が、深刻な表情を寄せてささやいた。
「佐々岡さん。ここは変に逆らわず、云う通りにしましょう。彼の意図がどんなものであれ、とりあえずは様子を見る方が良いと思います」
憲次に異を唱える隙を与えず、陽一郎は周囲に
「それでは、私が他の皆さんを呼んできます」
と話しかけ、そしてさっさと廊下へ引き返していった。
画面の向こうのイカレ帽子屋は、そうしたやり取りなど知らぬ顔で、胡瓜のサンドイッチをつまんでいた。
部屋に閉じこもった六人を説得して連れ出すには、けっこう手間がかかったらしい。それから30分ほど、陽一郎は戻ってこなかった。
最初は立って待っていた憲次たちも、次第に疲れを覚え始め、思い思いに休む姿勢に入った。
憲次はテレビの側に並んでいる一人掛けの背もたれ椅子を選んで座った。
多江は、年齢の近い同性である小百合にしばらく話しかけていたが、彼女のつっけんどんな返答に臆した様子で、やがておどおどと、憲次たちと微妙に距離をとった場所にある安楽椅子のセットの一つに、浅く腰かけた。
鈴は疲れた様子で、廊下近くの床にしゃがみ込んでいた。
小百合は、室内の設備を確認することにしたらしく、本棚を見たり、テレビをつけたりしていた。テレビはブルーレイ再生機としてのみ設定されているらしくて、電波は入っていなかった。
「すげっ。これ、今日発売の最新作だ!」
こんな状況でも新作ゲームに触れられることが嬉しいらしい、ゲームソフトのパッケージを握り締めた空我がはしゃいでいた。「これ、やってもいい!?ここにあるってことは、やっていいんだよね!」
憲次たちは返事しなかったけれど、空我は自分で答えを決めたらしい。ラッキー、と呟いた彼は、早速透明ビニルの封を破いて説明書を熟読し始めた。やがて長い時間をかけて分厚い説明書を読了した空我は、うきうきした様子でゲーム機をとりだすと、慣れた手つきで接続し始めた。
「ゲームするの?」
こんな状況で、よくそんな気になれるなと、憲次が呆れ半分に訊ねると、空我はぎろっと、憲次を睨みつけた。
「いけないっすか?」
「いけなくはないけど……」
「だったら良いじゃないっすか。そもそも俺がここでゲームするので、何かあんたに迷惑かけますか?かけないっしょ?だったら黙っててくれますか?関係ないのに口はさんでこないでください」
「あ、ああ。……」
別に責めたり非難したりするつもりで云ったのではないのに、どうしてこんなに突っかかってくるのだろう。多少むっとしながら、憲次は頷いた。
陽一郎が残りの六名を連れて戻ってきたのは、そんな時だった。
「お待たせしました」
陽一郎の後から、警戒もあらわに、六人それぞれで距離をとって広間にやってきた面々は、先に来ていた憲次たちを見つけてどう反応すればよいのか判らないといった様子で困惑し、壁面いっぱいに設置されたモニタの中でビクトリアンケーキを優雅に食べるイカレ帽子屋を見て、更に困惑の度合いを深めた。
『やっと揃ったね』
遅い遅い、とイカレ帽子屋は嘆息した。
『じゃあ、さっそくゲームの説明をしようか』
「……ンだよ、このイカレ野郎は」
光がイライラと低い声色で吐き捨てた。血の気の落ちた顔に凶悪な表情が浮かんでいるのは、酒と薬のコンボで体調がよくないせいなのか、元々の性格なのか。腰履きしたハーフパンツのポケットに両手を突っ込んで心もち背中を丸めた彼は、凶悪な眼でモニタの向こうのイカレ帽子屋を睨みつける。
「……っていうか、この服どうしてくれるのよ。ちゃんと弁償してくれるんでしょうね」
光代が紅茶のしみのついた服をつまんで、不機嫌そうにちっと舌打ちした。
が、イカレ帽子屋の方は、参加者たちの不機嫌な態度にはまったく関心を払わず、白手袋をはめた手の指を一本、ぴっと立てて云った。
『ゲームは簡単。人狼役に抜擢された人は、自分たち以外の人間を殺す。人狼役以外の人たちは、自分たちに仇なす人狼を探し出して処分する。以上』
憲次たちは、一瞬何を云われたのか理解できなかった。
「殺す、とは、象徴的に、と云うこと?」
小百合が淡々と訊ねる声に、憲次ははっと我に返った。「サバイバルゲームのように、何らかの目印を付けられた人間は以後、死者として扱われる、と云うような設定?」
なるほどそれなら理解できる、と憲次はほっと胸をなでおろした。殺すとか処分するとか、物騒な言葉を聞かされたのには驚いたが、たかだかゲームでそんな危険なことをするはずがないよな、と一瞬であれ言葉をその通りに受け取った自分を嗤いたくなった。
が、イカレ帽子屋はそんな小百合の言葉に、ちちち、と小さく舌を鳴らして立てた指を振って見せた。
『いいや。文字通り、死んでもらう』
小百合を含めたその場にいる全員の顔が、こわばった。
『もっとも、所定の手続きの下で選定された人間の息の根を実際に止めるのは、こちらで自動的にするから、安心してね』
椅子の背もたれにゆったり体重を預け、指先をこすり合わせたイカレ帽子屋は、そう云ってにったり笑った。
「安心しろって……ふざけんな!」
低く吐き捨てた憲次の声を耳敏く拾ったイカレ帽子屋は、更に笑みを深ませる。
『ふざけてないよ。真面目だよ。誰だって、自分でひとの首を絞めたり頭を殴りつぶしたり、胸を刺したりするのは嫌でしょう?だから僕が代行してあげるの。これこそ思いやりってものだよね。うん。僕って優しい』
「代行?こっちは男手だけで六人いるんだ。アンタが姿現した途端に返り討ちにしてやれるんだぞ」
『誰がじかに行くって云った?そんなことしないでも、』
イカレ帽子屋はテーブルに置いてあった小さな銀の呼び鈴を持ち上げて、小さく振る。チリチリチリ、と澄んだ音色が響くと同時に、憲次たち全員の首輪がゆっくりと絞まり始めた。
「おま……っ!」
反射的に首輪と首の間に指を入れようとするが、滑らかな金属ベルトは肌に密着しており、そんな隙間はない。金属ベルトは容赦なく、静かにその輪を狭めて行く。目の前が黄色味を帯びた闇に包まれ、耳の奥できーんと金属音が響き始めた。
「何……やめろ――っ!」
ぐえぇえ、と人間の者とは思えない悲鳴が複数、部屋のそこかしこから立ち上がった。
と。
『これで解った?』
という声とともに再度鈴の音がして、首を絞める力が不意に消えた。
憲次は不意に楽になった咽喉をぜいぜいと喘がせて大きく息を吸った。
『こういうこと。だから、君たちの近くに行かないでも、僕はいつだって君たちを殺せるの』
愉快そうに笑い交じりにそう云うイカレ帽子屋を、憲次は涙の浮いた眼で睨みつけた。
「狂ってる……」
「おま――っ、っざけんなよ!」
光がキレた。「こんな、わけの解んねーところに連れてきやがって、人のこと殺そうとしやがって!」
云うなり空いていた安楽椅子を持ち上げて、モニタに駆け寄る。「ぶっ殺してやる!」
『云っておくけれど、意図的かつ無意味な設備の破壊は、ペナルティだよ』
「ンなの知るか!最初に手ぇ出してきたのはテメェの方だろ!」
安楽椅子を振りかぶる光に、イカレ帽子屋はつまらなそうにため息を吐き、
呼び鈴を鳴らした。
ちりちりちり、……と澄んだ音が響くと同時に、光が眼を見開いて硬直する。その手から椅子が落ちて、どすん、と重い音が響いた。が、誰もそちらには注意を払わない。皆、咽喉を押さえて床をのたうつ光を凝視していた。
ぐぇええええ――と、人のものとは思えない音を咽喉からほとばしらせ、光はもがく。その顔は見る見る真っ赤に染まり、大きく開かれた口から舌がでろりとはみ出し、見開かれた両目からは今にも眼球が飛び出しそうだ。
誰も、どうにもできないまま、長いような短いような時間が経過して行く。
徐々に徐々に光の動きは弱まり、小さくなって行き、……やがてやんだ。
『いっちょあがり~』
イカレ帽子屋がけたけたと嗤って手をたたく。その音にはっと我に返った陽一郎が、慌てて光に駆け寄った。
顔の脇に膝をついて、瞳孔や脈拍を確認していた彼は、やがてがっくり肩を落として息を吐いた。憲次たちの方を振り返った彼は、今にも泣き出しそうな、動揺しきった表情で小さく一言。
「死んでいます」
慄え声を絞り出すようにして云った。
その言葉に、緊張が切れたのだろう。
「いやぁぁぁあああ――!」
女性の内の誰かが、甲高い悲鳴を上げた。