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汝人間なりや否や  作者: killy
一日目 午前
5/31

01

 佐々岡憲次がそのゲームに乗ってみる気になったのは、云ってみればヤケの気まぐれだった。


 クリスマスシーズンに彼女と旅行に出るつもりで金を貯め、仲間に頭を下げまくってバイトのシフトを調節し、ネットや旅行代理店を回って彼女が気に入るだろう旅程を探し回り、……


 そうしてやっと満足のいく日程が組めたところで、ふられたのだ。


「だって憲次ったら、バイトバイトバイトって、ちっともあたしに構ってくれないじゃん」


 という詰問の台詞を投げつけた彼女は、驚く憲次に立ち直るいとまを与えず、


「あ、でもこれは貰ってあげる。慰謝料ね」


 と、彼が差し出した旅行チケットはちゃっかり奪い取って、新しい彼氏が乗るというCR-Zの助手席に乗り込んでいった。

 憲次がはっと我に帰った時には、CR-Zはすでにどこかへ走り去った後だった。

 慌てて彼女の携帯に掛けてみたものの、案の定着信拒否で不通。メールも無視された。直接訪ねて行こうにも、住所は教えてもらっていない。共通の友人知人に訊こうにも、彼らには既に彼女の根回しが行き届いていて、憲次は、「ふられた彼女に未練たらしく付きまとう女々しい奴」というレッテルがつけられていた。


 大学が休みになっても金が無い。一緒に遊ぶ友人もいない――少なくとも、今回の件のほとぼりが冷めるまでは、彼らと顔を合わせる気にはならなかった――。バイトも、そもそも始めた理由の一つが、彼女と遊ぶ資金を稼ぐためだったのだから、その彼女がいなくなった今は、しゃにむに働く意義が見つからない。地元に帰っても、親しい友人が粗方県外の大学へ進学するか就職してしまっているため、することがない。


 金ない、暇は腐るほどある。


 そんなとき、例の葉書が届いたのだ。

 日程は、もともと予定していた旅行のソレとほぼかぶっており、かつ費用はかからない。しかもうまくいけば十億円がもらえるときた。

 十億云々は眉つばとしておいておくにしても、暇つぶしにはちょうど良いと思ったのだ。

 着替えや洗面用具など、必要と思われる物をバックパックに詰めて、憲次は指定された集合場所に向った。


 葉書に指示されたのは、駅前にあるバスロータリの一角だった。

 指定された時刻は、朝の9時30分。

 朝の通勤通学は粗方済み、デパートなどの買い物客が出てくるにはいささか早すぎる、そんな中途半端な時刻のせいだろう、辺りはかなり閑散としていたが、予定の時刻が迫るにつれ、憲次の周囲に、苛立ったような、暗い顔をして、どこか一点をじっと凝視している者が集まり始めた。


(この人たちが、『十億円ツアー』のお仲間さんかな?)


 推定参加者たちの年齢は、かなり幅があるように見えた。憲次と同じ二十歳前後から五十歳代に見えるものまで。男女比はほぼ半々といったところか。

 年齢同様、彼らは恰好もバラバラだった。いかにも金をかけてます、と云うようなブランド品やアクセサリで全身をごてごてと飾り付けているオバさんがいるかと思えば、肘や尻のあたりが擦れててかてか光る安っぽいスーツを着たサラリーマン風の男もいる。ボランティアの戸外炊き出しに並んでいそうなくたびれた格好のおっさんがいれば、全国展開している衣料量販店のメーカー品で全身を固めた、憲次と同い年らしい痩せこけた男もいる。いかにも生活に疲れた主婦、と云ったような白髪の目立つやつれた顔をした女がぐったりと座りこむベンチの傍らには、妙に思いつめた顔をした二十歳前後の娘が立っている。

 いずれにしても、あまり仲良くなりたいと思える輩はいないな、と憲次は心の中でこっそりため息をついた。

 これからおおよそ一週間、もしかしたらあまり面白くない時間を過ごさなければいけないかもしれない。そう思ったら、参加する意欲が急速に薄れていった。

(やめよっかな……)

 どうせ参加費を払いこんでもいないツアーだ。キャンセル料だって請求されることはないだろう。

 そう思った憲次がバックパックを背負いなおした、その時。

 サロンバスがすっと、静かに目の前に停車し、中からモーニングを着こんだウサギが、すらりとした身のこなしで降りてきた。


 まっ白い毛に赤い眼をしたウサギのかぶり物を身につけた彼は、いぶかしげに、驚いたように自分を見つめる面々をゆっくりとした所作で見回した後、まっ白い手袋を身に付けた手をひらめかせ、恭しく腰を折って挨拶した。


「皆さま。この度は、当家当主の趣向にご賛同いただきまして、誠にありがとうございます」


 常識はずれな格好と舞台がかったその所作に、憲次は一瞬気を呑まれた。

 唖然とする憲次の脇を、やはり参加者らしい娘がすたすたと通り抜けて、ウサギの前まで進み出ていった。

 怜悧、という表現がよく似合う、研ぎ澄まされたような鋭い美貌の女性だった。冷たい切れ長の目に面だかな顔を、ぱっつりと肩の線で切り揃えられた黒髪が包んでいる。シャギーもカラーも入れていない、云ってみればまったく今時ではない髪型なのだが、彼女の鋭い雰囲気にはこれ以外ないと思えるくらい良く似合っていた。

「当家とは、どちらの家のこと?何故、私の名前や住所と云った個人情報をその人は知っているの?私には、どう考えても十億をポンと支払えるような金持ちの知り合いはいないはず」

 葉書を差し出しながら訊ねた彼女に、ウサギは、はがきの提示は不要だと身ぶりで示した後、丁寧な口調で答えた。

「諸般の事情により、当家の名前と詳しい事情は申しかねます。便宜上は……さようですね。マッドハッター(イカレ帽子屋)とでもお呼びくださって結構です」

「名前も教えてくれないひとが、本当に約束を守ってくれるの?そもそも私たちは何をするために集められたの?このはがきには、ただ簡単なゲームとしか書いてないけれど」

「あなた方にしていただくことは、このバスに乗っていただいた後に、詳しく説明申し上げます。賞金の支払いに関しましては……」

 ウサギは、二人のやり取りを興味深そうに注視する周りの人たちをちらりと眺めやった後、おもむろに言葉を継いだ。「支払いに関しましては、当主をご信頼くださいとしか申し上げられません」

「信用できないと云ったら?」

「その場合は、参加を取りやめていただいて結構です。まことにもって残念ですが、今回のゲームは強制ではございません。全て皆さまの自由意思によって参加をご了承いただく類の物ですので」

 娘は少し考えた後、また質問した。

「説明だけ聞いて、それが気に入らなかったら降りる、と云うことはできる?」

「残念ながら。ゲームは特殊な環境下において行われるものでして、説明からゲーム開始までは、一連の流れに沿って行われます。そうして一度ゲームが開始されましたら、参加者様のご意思による中途退場は不可能という仕様になっております」

「つまり、オールオアナッシング、と云うことね」

「左様でございます」

 いかがなさいますか、とウサギが訊ねる。娘は、唇を噛んで少し考えた後、肩をすくめた。

「解った。乗る」

「ありがとうございます。それでは、力永(りきなが)小百合様、どうぞご乗車下さい」

 名前を呼ばれた娘――力永小百合は、驚いたようにウサギを見た。

「私の名前を、どうして知っているの?」

「当主が招いたお客さまを間違えるなど、失礼なことはいたしません」

「……どうやってか、調べたってことか」

 薄気味悪い、と小さく呟いて、小百合はバスに乗り込んでいった。

 ウサギは、いつの間にか自分たちの近くに集まって、このやり取りを聞いていた面々を改めて見回した。

「お次にご乗車されるか、もしくは他にご質問をお持ちのお客様はいらっしゃいませんか?」

 金髪にピアスを耳や鼻、唇にまでいくつもつけた大柄な男が気だるそうな声を出した。

「俺たち、どこへ連れてかれるワケ?」

「当主が支度いたしました、ゲーム会場でございます」

「だから、それはどこにあるワケ?」

「詳しい地名は、申しあげかねます。また、バスでどれほどの時間が必要か、と云う内容の質問にも、同様にお答えしかねます」

「秘密ってワケだ?」

「左様でございます」

「まあ、日本国内から外に連れ出されるってことはないだろうしな」

 冗談のつもりだったのだろう、男はケケケっと低く嗤った。

「……左様でございますね」

 ウサギは感情を伺わせない声色で応じる。それをどう受け取ったのか、男はまたケケっと短く嗤った。

「了解。俺も乗るぜ」

「かしこまりました。太仁(たに)(キララ)様、ようこそ」

 参加者が二人出たことで、他の者たちも勢いづいたのだろう、次々に、争うように参加の意思を表してバスに乗り込んでいった。

 短い間に、気がつくとその場に残っているのは憲次とウサギだけになっていた。

「佐々岡憲次様は、いかがされますか?」

 ウサギが訊ねる。

 憲次は少し躊躇った。

 実を云えば、このツアーには胡散臭さしか感じられなかった。


 名前も知らせない主催者。

 顔を見せない世話人。

 異様に高額な賞金。

 こちらの住所や名前はもちろん、容姿といった個人情報を何故か知悉している向こうに対して、自分は全く何も知らない。

 行き先も、彼らが自分たちにさせようとしていることも、まだ何も知らないのだ。


(こう云う場合って、絶対、十中八九、させられるのはヤバいことだよな)


 そうでなければ十億だなんて単語は、たとえ嘘でも出てこないだろう。


(ヤバいよなぁ……)


 理性的に考えれば、ここは断るべきところだ。君子危うきに近寄らず。憲次はもちろん君子ではないが、だからこそ尚更に、怪しいところには近寄りたくない。ここは、いかにも怪しいウサギには背を向けて、自分の部屋に帰るのが正解なのだ。判っていた。

 が。

 振り仰いだサロンバスの窓越しに、力永小百合の横顔が見えた。

 氷の刃のような冷たいその容姿に、妙に惹かれるものが感じられて仕方が無かった。


 美人だから、と云うのも確かにあるだろう。

 が、それ以外にも何か、彼女のまとう雰囲気が、憲次に何かを訴えている。そんな気がしてならない。


「……行きます」

 気がつくと憲次は、ウサギにそう告げていた。

「かしこまりました。佐々岡憲次様、ようこそ」

 ウサギが真っ白手袋を着けた手をひらめかせて、仰々しくバスの昇降口を指し示す。憲次はそんな彼を半ば無視するように、バスに乗り込んだ。

 憲次に続けてバスに乗り込んだウサギの後ろでバスの扉が閉まる。しゅっという空気音が、憲次の耳にはなぜか頑丈な鍵が閉まる音に似て聞こえた。


「それでは、出発いたします」


 ウサギが車内に向かってそう宣言すると、バスは静かに動き始めた。

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