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1月11日記
本日は、4話同時更新です。
よろしければ、前の話たちもご笑覧くださいませ。
うっすらと目を開けた毛里枝亜は、寝ている場所が自宅の自分の部屋だと確認すると、ギュッとまた目を閉じて唇をかみしめた。
(戻ってきちゃったんだ……)
自分の家に。
参加するゲームの結果がどうであれ、二度と戻らないつもりだったのに。
噛みしめた唇から、血の味が滲んだ。
生まれた時から、枝亜は、両親たちから、他の兄妹たちとは区別されて扱われていた。
何をするのも、兄や妹が優先。
家事や、家の中での面倒くさい仕事は常に枝亜がすべきこと。
何をしても褒められたことはなく、代わりにどんくさい、とろくさい、へたくそ、バカ、のろま、役立たず、だからダメなんだ、などと罵声が降ってくる。両親は罵倒するだけだったが、二つ年上の兄や一つ年下の妹は、枝亜に対して暴力をふるうこともためらわなかった。兄や妹に枝亜が殴られている場面を見ても、両親ともに何も云わなかった。
両親と子供3人の5人家族のなかで、枝亜は常に最底辺の階級におかれて踏みつけられていた。
物心ついたころからそんな扱いを受けていたので、枝亜も、たいていのことは自分が悪いのだと思っていた。
自分の家族はおかしいのではないか、と思い始めたのは高校3年生。進路に関して具体的な希望を両親に伝えたときからだった。
枝亜は、学校の成績は良かった。
指定校推薦で、枝亜が希望する県外の大学の学部へも、行けるはずだった。担任教師もこれなら大丈夫、推薦入試も通るだろうと太鼓判を捺してくれていた。
が、両親が進学に反対した。
県外なんてとんでもない。
枝亜は女の子だ。女の子はずっとうちにいるべきだ。
枝亜の進学に対する強い希望を知っていた担任教師が同情して、いろいろと両親に云ってくれたり、経済的なことを心配しているのならと、奨学金のことを調べて枝亜に教えてくれたりと、骨を折ってくれたのだが、二人が折れることはなかった。
結局枝亜は、両親の勧めるとおり、地元の介護系の福祉専門学校へ進学した。
仕方がない、と一度は枝亜も思った。将来つきたかった職業のことも含めて、全てを真っ白にリセットして、改めて将来設計をし直すよう努力を始めた。――のだが。
枝亜が高校を卒業するのと入れ替わりに受験生になった枝亜の妹は、最初から東京の大学へ進学したいと主張をし、両親はそれに何の反対もせず、受け入れた。
何で?
どうして、妹の進学には反対しないの?
女の子はずっとうちにいるべきじゃなかったの?
呆然と訊ねた枝亜に、両親は悪びれもせず、
お前はずっと家にいて、将来は私たち親の介護をしてもらわなければいけない。
私たちの監視の目が届かない所へ行って、遠くの地方へ嫁として連れて行こうとするような変な男に引っかかったら大変だ。
お前は、将来私たちが選んだ婿を取って、婿ともども私たちの面倒を見るために働いてもらわなければいけない。
そもそもお前が家を出たら、だれが家事労働をするんだ。
真顔でそう云った。
挙句の果てに、傍でこのやり取りを聞いていた兄と妹までもが云ったのだ。
お前は長女なんだから、両親の世話をするのは当たり前のことだろう。
俺?俺は確かに長男だけど、いまどき長男だから両親の面倒を見ろって考え方は時代錯誤だ。それに、将来結婚するだろう嫁にそんな大変なことをさせられるわけがないじゃないか。
お姉ちゃんがずっと家にいて、将来はお父さんお母さんの介護をしてくれないと、私とお兄ちゃんが迷惑するのよ。
その後は4人で、枝亜がその場にいないかのように、枝亜がいかにバカで気が利かないか、いかに役に立たないグズであるかという話題で盛り上がった。
枝亜はただただ呆然と、自分をこき下ろして嗤い、盛り上がる家族を眺めて突っ立っていた。
そのときは、驚きと衝撃の方が強くて、怒りも何も感じられなかった。
呆然としたままその日の家事を終えて、自分の部屋に戻り、一人になったころ、やっとじわじわと怒りがわいてきた。
わたしは、あいつらの奴隷なの?
何をやってもありがとうと感謝されることもなく、何をしてもののしられ、彼らのために働いてつくすことが当たり前で、死ぬまでそうして働かされるためだけに生きている存在なの?
一度気づくと、すべてが憎くなった。
自分が希望した大学より偏差値レヴェルは数段劣る、それなのに学費は数倍かかる私学への進学希望を笑って受け入れる両親も。
将来に対する展望も何もなく、ただ東京に出たいという理由だけで志望大学を決める妹も。
地元の大学へ進学したはいいが、ほとんど授業に行かず、両親にこずかいをせびっては遊び回っている兄も。
みんな憎くて憎くて仕方がなくなった。
どうして彼らのために、自分が犠牲にならなければいけないのか。
どうして自分がそんな犠牲を払わなければいけないのか。
どうして自分は、両親に云われるまま、進学をあきらめてしまったのか。
ひたすら悔しくて、悲しくて、そして腹立たしかった。
それからは、家を出ることだけを考えて計画した。
家族には秘密のままバイトを増やして――それまでも枝亜はバイトをしていたのだが、給料はほとんどすべて、管理してやるという両親に取られていた――独立のための資金を稼ぎ、家族が寝静まった深夜にネットを使って就職に役立つ資格習得のための情報を収集した。
一刻も早く、こんな家から出て、家族と縁を切りたかった。
だのに、もう二度と戻らないと思い詰めて出たその家に、また戻された。
その現実は、枝亜を打ちのめした。
自分はもう逃げられないのではないか。あの家族から。使われるだけ使われて、すべてを奪われて、嗤って貶められるだけの人生から。逃げられないのか。
そんなの厭だ!
枝亜はカッと目を見開いた。
そのまま、思い詰めた表情でゆっくりと起き上がる。
起き上がった拍子に、布団の枕元に置いてあった厚紙の通知書が視界に入った。
この度は、当家主催のゲームにご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
残念ながら、お客様が今回お受け取りになることができる賞金は、ございません。
追記
今回のゲームに関しては、一切他言無用です。
お守りいただけません方には、ペナルティが発生いたしますので、どうぞそのお覚悟のうえでお臨みください。
印刷された文字を、枝亜は血走った眼でざっと読む。
あてにしていた賞金10億円が入手できなかったため、逃走資金は依然足りないままだ。
加えて今回無断で数日間も家を空けたことで、枝亜に対する家族の監視と締め付けはさらに厳しくなるだろう。独立資金をためるためのバイトすら、続けられるか心もとない。よしんばつづけられたところで、今までのバイト同様、給料は搾取されることになるだろう。
このまま何もしなければ、待っているのは他人に搾取されるだけの人生だ。
そんなみじめな運命からは、脱出しなければいけない。
枝亜はゆっくりと、手の中の厚紙を握りつぶす。
あのゲーム内でも、枝亜を自分のいいように利用してすべてを搾取しようとたくらんだ輩がいた――(あの、思い出すのも厭なヒヒオヤジ!)と、枝亜は心の中で痛罵する――。枝亜はそれを排除したのだ。うまく隠せたと思ったのに、あの陰気でつっけんどんな女――(厭な女だった)と枝亜は思い出して腹立たしく思う――に暴かれてダメになったけれど、途中まで、枝亜はとても上手にできた。
だったら、ここでもそうすべきじゃない?
しかもここには、あのいけ好かない厭な女はいない。何をしようと、枝亜がしたことを暴く輩はいないのだ。
ゆらり、と枝亜は立ち上がり、台所に向かった。
包丁は毎日砥いで切れ味を保っている。なかでも切れ味に優れた肉切り包丁を取り出して、枝亜は目の高さに掲げる。
折よく窓から射し込んできた朝日が包丁の刃をきらめかせる。その輝きが、枝亜には、これからの彼女の幸せな人生を約束する神の啓示に思えた。




