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1月11日記
本日は、4話同時更新です。
よろしければ、前の話もご笑覧くださいませ。
憶えのある頭痛で目が覚めた。
憲次が目を開けると、そこは馴染んだ自分の部屋だった。
「帰ってきた……?」
鈍い疼痛を訴える頭部を庇いながら、のろのろと上半身を起こす。自分の部屋の、自分のベッドに、憲次は寝ていた。
室内は、出かける前とほとんど変わっていなかった。意識を失った憲次をここに運び込むために入り込んだ輩がいるはずなのだが、彼らが侵入したという気配はどこにもない。
ただ、部屋の中央に、立方体状に積まれている札束だけが、あれが夢でも妄想でもなかったことを憲次に知らせてくれていた。
呆然と、腕の中を見る。
意識を失う直前まで、抱きしめていたはずの小百合がそこにはいなかった。
「小百合……」
半ば無意識にパンツのポケットを探ると、普段入れている通りに、スマホがそこにあった。
いつも友人知人に連絡を取っているように電話帳を呼び出そうとし、憲次ははっとする。
「俺……小百合の電話番号、知らない」
メールアドレスも、住所も、行きつけの店も彼女が普段親交のある友人も、何も知らない。これでは連絡のしようが無い。憲次は布団の上に、スマホをたたきつけて喚いた。「俺のバカ野郎!何で、聞いとかなかったんだよ!」
両手で髪をかきむしって激しく後悔するが、いまさらどうしようもない。名前以外何も分からない相手を、どうやって見つければいいのか。
(探偵か何か雇うか。それにしたって、名前しか知らない相手を、いくらプロだからって探せるのか?)
何かなかったか、彼女の身元を捜す手掛かりになるような情報を、自分は聞いていなかったか。
必死に記憶をさらう憲次の耳朶に、そのとき。
――★★大
声が、蘇った。
――電気電子工学科。3年
知っているじゃないか。自分は、彼女の居場所を知っていた。
ほぅっと、我知らず息が洩れた。こんなに嬉しいことはない。こんなに安堵したことはない。全身から力が抜けるほど、嬉しかった。
しばらくそうして感慨に浸った憲次は、やがてはっと我に帰った。慌ててオーバを着こんで財布と携帯を持ち、部屋を飛び出し……かけてふと思いなおし、財布の中身を確認した憲次は、立方体の札束の山の上から1枚だけ抜き取ると、財布に突っ込んで、今度こそ部屋を飛び出した。
外は早朝だった。
昨晩軽く雨が降ったらしい、空は冷たく澄んでいて、日陰にところどころ霜が降りている。
出勤する勤め人たちに倣って駅までたどり着いた憲次は、★★大学の電気電子工学科が入っている研究棟の住所を確かめようと、スマホを取り上げた。
その時を狙いすましたように、電話が鳴った。誰かと思って確認すれば、同じサークルに所属する同期のメンバーだった。
「……んだよ、ったく!」
舌打ちしながら、通話ボタンを押す。「はい。今ちょっと急いでるんで、悪いんだけど――」
電話の向こうの友人は、イライラといら立つ憲次の応答を遮るように、口早に話した。
「憲次?俺俺、哲平。俺さ、今日帰省するんだよね」
「そう云えば、そんなこと云ってたね。でもそれが何?」
「だのに、大学の事務所に今年中に提出しておかなけりゃいけない書類のこと忘れててさ、でも飛行機のチケットは取っちゃったし、帰ったら向こうで用事もあるから、今日絶対帰りたいんだよ。それで朝一番に事務所に来たわけ。書類自体は出せば終わる奴だから、とにかく早番の人にでもあつけりゃそれで良いやって、そう思ってさ」
「それが――」
それが自分に何の関係があるんだ、と云いかけた憲次は、次の瞬間絶句した。
「それで事務所行ったらさ、めっちゃ美人な子が、窓口で泣きながら詰め寄ってたの。
顔にちょっとケガしてるけど、訳あり系?でも美人だよな。
で、その美人な子が云ってるの。法学部の2年に在籍してる佐々岡憲次ってヤツの連絡先教えろって。お前のことだろ?他に2年に佐々岡憲次はいないし。おまえ、いつの間にあんな美人と付き合ってたんだよ。美江香ちゃんにふられたって聞いたけど、あれデマ?
そうそう、お前の連絡先教えろって女の子の話だけど、でもほら、最近は個人情報の保護とかいって、そういうのは安易に教えられないだろ。事務所の人もそう云って断ってたんだけど、何かその子すっごい必死だし、可哀そうだし。で、お前に心当たりあるなら、電話番号とか教えるけど、いい?」
「……か?」
「え、何?よく聞こえないけど」
憲次は、慄えて力の入らない咽喉を無理やり動かして、声を絞り出した。
「小百合か?」
「彼女の名前?ちょっと待ってて、確認するから……」
電話を手で覆っているのだろう、くぐもった音の向こうから、哲平が何事か話している声がする。
不意に、音声がまたクリアに戻った。
「……って、あっ!」
哲平の悲鳴のような声のあと、懐かしい泣き声が憲次の名を呼んだ。
「佐々岡!」
「小百合……先、越されちゃったな」
苦笑して云うと、電話の向こうの小百合は泣き出すのを堪えているようなささやき声で答えた。
「もう、会えないかと思った……っ!」
「すぐそっちに行く。すぐまた会える」
「うん、……うん……!」
洟をすする合間に必死に頷いているのだろう小百合に、憲次は優しく話す。
「会ったらさ、一杯話そう。俺、小百合に聞いてもらいたい話がある」
助けられなかった幼なじみのことが、ふと脳裏に浮かんだ。初めて会った時気になったのは、小百合が彼女と同じ目をしていたからだ。
「小百合も、俺に話して」
「うん……うん……」
「すぐ行くよ。すぐ会えるから」
憲次は云いながら、歩き始めた。




