01
この度は、当家主催のゲームにご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
お客様のゲーム中のご活躍に応じて、下記の金額を贈与させていただきます。
賞金 萬円
追記
今回のゲームに関しては、一切他言無用です。
お守りいただけません方には、ペナルティが発生いたしますので、どうぞそのお覚悟のうえでお臨みください。
*伊東光代
「……っ!!!」
意識をなくす寸前の恐怖を引きずったまま跳ね起きた光代は、弾かれたように勢いよく、周囲を見回した。
カーテンを閉めていない窓の外は、夜の闇に沈んでいた。隣の建物の屋根越しに見える狭い空の色と、しんと静まり返った近所の気配からするに、かなり夜は更けているらしい。蛍光灯の明かりに照らされて見える光景に、光代ははっとした。
「家?私の家なの!?」
ついで、自分の身体をさわって確認する。
「……生きてる……」
ほーっと、全身を絞るようにして息を吐いた光代は、ついでぎっと目を怒らせた。
「あのガキ!ひとのことをさんざん馬鹿にしてくれて!!」
何をしようという具体的な考えはなく、勢いだけでベッドを下りた光代は、部屋の中央のローテーブルのうえに置いてあったレンガブロックほどの大きさの塊に気がついて、目を剥いた。
「金じゃない!!」
厚さ10センチほどの札束をがっと抱え込んだ光代は、舐めた指先で一枚一枚、枚数を数えはじめた。
「……すごい、100万の束が5個……ってことは、500万!?」
うひゃあ、と歓喜の悲鳴を漏らした彼女はついで、札束と同じくテーブルの上にあった厚紙の通知書に気がついて取り上げ、老眼で焦点が合いにくいのを苦労しいしい、細めた眼で読みこんだ。
「これって、あのゲームの賞金?でも、賞金って10億じゃなかったの?詐欺じゃん!」
騙された、訴えてやる、と喚きながら、光代は同時に頭の中で、翌朝、ブランドショップが開く時刻になったら即出かけていって買い込むアイテムの選定を始めていた。
*小泉護
軽妙なクリスマスソングがきらびやかな店内を駆け巡る。
「へー。そうなんだぁ。小泉さん、自殺しちゃったんだぁ」
ありさは、小泉の元上司とその友人だという青年二人に、無邪気に驚いた表情を作って見せた。「最近来てくれないなぁって思ってたんだけれど、まさかそんな風に思いつめてたなんて……びっくり……」
「俺たちも警察から知らされて、びっくりしたんだよ」
なあ冬哉、とデザイナーズブランドの眼鏡をかけた方が、裸眼の連れに云う。
「そうそう。その時はもう、あいつ会社辞めてたんだけれど、そうしたこととか含めて、自殺の原因になったんじゃないかって聞かれてさ」
「年末の忙しい時期に、すっげー迷惑だった」
「本当、本当」
本当に大変だったのだろう、男二人は疲れた顔で云う。
「小泉は、会社辞めた時も迷惑だったよな、冬哉」
「そう。ある朝いきなり会社に電話かけて来て、1週間休みますって云ってさ。――この年末の忙しい時に、いきなり1週間休む、だよ?ノロとかインフルエンザに罹ったんだったらそりゃあ、こっちも考えるけど。聞けば健康だって云うし。だから無理って却下したら、じゃあいいです、俺会社辞めます。だからね。あの時は本当に、唖然としたよ。冗談かなってのもちらっと思ったけれど、翌朝、汚い手書きの辞表が郵送で届いて、更にびっくり」
お前にも話したよな紀彦、と冬哉が帰すと、紀彦は聞いた聞いた、と朗らかに笑った。
「辞めるって云った時の口ぶりがまた、ふるってるんだ。『俺はこれから10億円稼ぐから、はした金のために貴重な時間をつぶすなんて無駄はしないんです』だって。俺、聞いた時、そんな状況じゃなかったんだけど、思わず笑っちゃったよ」
「そうそう。もとからできもしない大言壮語を叩いて周りの失笑買って、それに気づかないで結局失敗して、尻ぬぐいは他の奴らに押し付けて、って周囲をいら立たせてる奴だったけどさ。10億だからね。もうなんて云うか……頭打ったんじゃね、って思ったよ」
ありさはうふふ、とかわいらしい笑いを響かせた。
「玉塚冬哉さん……冬哉さんって呼んでいいですか?冬哉さんってお若いのに係長って、優秀でいらっしゃるんですね」
冬哉は、まんざらでもないという様子で苦笑した。
「俺らの年齢だと普通だよ。実際こっちの紀彦も係長だし」
「そうなんですかぁ。でも、小泉さんはあの年齢で何の役もついてないように聞いてましたけれど……?」
「それは、小泉が無能過ぎたの」
紀彦がにこやかに切って捨てる。「だってあの人、本当に何もできなかったもんなぁ。俺たちが新入社員で入った時、もう10年先輩だったんだよ?だのに、それから7年過ぎてもちっとも昇進しないの。何度か移動はあったけど、それって、奴のあまりの無能ぶりを持て余して、他所に押し付けてただけだったからなあ」
「貧乏くじ、って呼ばれてたよな」
「そうそう!セクハラもひどかったから、女子社員の評判もさんざんでさ。今年はどこが貧乏くじ引くんだぁって、前回の移動からある程度の間隔が開くと、みんなそのことばっか心配してた」
「でも本人気付いてないんだよなあ!」
「そうそう!あの勘違いとしか云いようのない自信と無駄に偉そうな態度、あれって本当に才能だった!」
二人だけで盛り上がる様子を、ありさはにこにこ、笑顔で見守った。
やがて、彼らの会話がひと段落すると、彼女はぽつりとつぶやいた。
「10億円って、何を勘違いしたんでしょうね」
「さあ?埋蔵金サギにでも遭ったんじゃない?それよりさ、――」
既にこの話題から興味をなくしたらしい、紀彦はまた別の話題を楽しそうに持ち出した。
*山口麻緒佳
目ざめると、節の目立つ、まだらにシミの浮く汚れた板天井が見えた。
(私……)
鈍痛を訴える頭を庇いながらのろのろと起きあがって、周囲を見回す。そこは既に見慣れた、舅姑たちの家の一室。現在麻緒佳夫婦が間借りしている和室だった。
畳敷の床にじかに置いてあるベッドの上に、麻緒佳はいた。
(帰ってきた……?)
遮光カーテンが閉まっているため、外の様子は判らない。天井からつり下がった丸い傘つきの蛍光灯は、もう寿命が間近いのだろう。じじじ、とかすかな音をたてながら弱弱しく不安定な光を落としている。
微妙にうす暗く感じられる室内は冷えきっていた。目ざめた麻緒佳は身体の上にオーバーをかけていたけれど、そんなくらいでは、真冬の冷気は防ぎきれない。顫えが止まらないくらい、全身は芯まで冷え切っていた。眠りが覚めたのも、頭痛を感じるのも、大方そのせいだろう。
麻緒佳はため息をつくと、寝る時にはいつもそこに置いてある、ベッドのまくら元にあった携帯を取り上げて開いた。画面に現れた時刻は00時48分。日付けは、あの朝バスに乗った日から4日が過ぎたものになっていた。
携帯を閉じて、無造作にベッドの上に放った麻緒佳は、首をかしげた。
(そもそもあれって、本当にあったことなのかしら……?)
場所も判らない建物内に監禁されて、殺すか死ぬかの選択ゲームをさせられたと思ったら、本当は殺してなくて、でも実際に死人が出て……
まるで現実味が無い。
少しの間、記憶を浚って考え込んでいた麻緒佳は、やがて大きく身震いした。
冷えと頭痛が、耐えきれないほどひどくなっていた。
「とりあえず、お風呂に入って温まろうかな」
普段の麻緒佳は夜遅く――というか、姑である夏子が寝入った後に風呂に入るのは、極力控えていた。孝一が覗きにくるからだ。夏子は眠りが深くて、一度眠るとめったなことでは目が覚めない。麻緒佳がいくら悲鳴を上げても、夏子がやって来るはずが無いと知っている孝一は、知らん顔で覗きを続けようとする。
一度酷い目に遭って――その時は、あまりの麻緒佳の悲鳴ぶりに驚いた近所が警察に通報し、警官が駆け付ける騒ぎとなった。が、事情を知った警察は「家庭内のことだから、家庭内で解決してください」とだけ云ってさっさと帰ってしまい、麻緒佳は、さすがに起きてきた夏子に「見られただけでしょ。家族なのに、おおげさに騒いで!」と叱られた。夏子は一応、孝一も叱ってくれたが、それでも大げさに騒いだ麻緒佳の方がより悪い、というスタンスだった。
余談だが、この一連の出来事の間中、孝史は部屋でPCゲームのミッションに夢中だった。
そんな次第なので、麻緒佳はいつも、時間をとても気にして風呂に入っていた。が、今現在、この家には麻緒佳一人きりだ。
10億円がもらえるかもしれない、ということは伏せて、1週間ほど家を空けることになる、と麻緒佳が云うと、3人はこぞって、強硬に反対した。
孝一は、「嫁が一人でふらふらと遊び歩くんじゃない」と怒り、
夏子は、「孝史ちゃんのお金をまた無駄に使うつもり!?」と麻緒佳をなじり、
孝史は、「その間、食事の支度は誰がするの?」と爆弾を投げて、自分の負担がまた増えることに気がついた夏子が更にいきり立ち……
と、一時は手がつけられないほどの混乱になったが、麻緒佳が、麻緒佳のへそくりで3人にも別途の温泉旅行を用意すると、とたんに静かになった。その現金な反応にも呆れたが、もっとも腹が立ったのは、旅行クーポンをぎゅっと自分の胸元に握り締めた夏子の台詞、
「そうね。家族水入らずで、行かせてもらうわ」
だった。
――私は、家族じゃないんですね。
思わず口を突いて云いそうになるのを我慢するのは、かなりの自制心が必要だった。
夏子の云った言葉を当然のものとして受け止めて聞き流す夫孝史に怒りを覚えた。
結婚して8年。夫婦として暮らして8年。8年間「お義父さん、お義母さん」と呼び、5年間同居して、5年間毎日毎食文句を云われながらも食事を作って、今回の旅行だって、いつか独立して暮らすために、と美容院代すらケチって必死に節約して貯めた貯金のうちから4分の3を使ってプレゼントしたのに。
でも、あの人たちにとって、自分は家族じゃなかった。
そう知った麻緒佳は、怒りを通り越して脱力した。
「でもまあ、おかげで後3日はこの家に私一人だわ」
麻緒佳は自分を励ますように呟いた。
誰に用心することもなく、好きなように風呂に入れる。そう思っただけで、少し気持ちが軽くなった。
手に持ったコートを、憲次がいつも座っていたPCデスクの椅子にかけ、廊下へ続く襖をあけた麻緒佳は、目の前に広がる光景に、立ちすくんだ。
「お金……?」
立方体状に積まれた札束が、狭い廊下をふさいでいた。
「え?……ええっ?本物?」
大量すぎて現実感が沸かないその景色を、麻緒佳はしばらく呆然と眺めた。
恐る恐る手を伸ばし、端っこの一つを持ち上げる。厚み1センチほどの束を10個集め、太い帯封で更に留めてあるそれは、かなり持ち重りがした。
「ちっちゃい束……100枚?のが、ひとつふたつ……10個ってことは、これ1個でいっせんまん!」
麻緒佳はぽかんと、手の中の札束と、床に積み重なる残りの金を見比べた。
やがて、遅まきながら立方体の天辺中央にのせてある白い厚紙に気がついた麻緒佳は、紙面に印刷してある文字を読んだ。
「えっと、……『この度は、当家主催のゲームにご参加いただきまして、誠に――」
読み進めるうちに、麻緒佳の声に震えが帯びて小さくなってくる。最後の方は、かすれた息のようなものとなって、ほぼ音にならなくなっていた。
文章を読み終えた麻緒佳は、へなへなとその場にくずおれた。
「……本当だったんだ……」
そして、自分は『ゲーム』に勝てた。
(あの人たちのおかげだ)
小百合、憲次、陽一郎の顔が麻緒佳の脳裏をよぎった。彼らも今頃、それぞれの自宅でこうして獲得した賞金を目にしているのだろうか。驚きにしびれたような頭の片隅で、ふと思った。
とまれ、目の前にあるこの金は、麻緒佳のものだ。
これで、この家を出ることができる。どこかよそに独立の家を構えて、子供も産んで、ひとなみに暮らしてゆける――
リビングで二人の子供が遊びまわり、それを孝史が優しい笑顔で見守り、自分はその光景を眺めながらアイランドキッチンで食事の支度をする。……
そんな夢の光景を想像した麻緒佳は、ふと違和感を覚えた。
幸福感を、全く覚えないのだ。
(これが、私が今、本当に望んでいること?)
そして胸の中を浚った麻緒佳は、自分に孝史に対する愛情が――彼の子供を持ちたいと思う気持ちが一片も残っていないことに気がついて、愕然となる。
いつからそうなったのかは判らない。きっと、毎日の生活に擦られて、少しずつすり減っていっていたのだろう。
孝史に愛情は無い。
では、どうするか。考えるまでもない。
この家を出るのだ。ただし一人で。
「だって、私は『家族』じゃないんだし」
だったら出た方が正解なのだ。
あの家族が帰ってくるまでに、どこかへ引っ越そう。
幸いまだ3日もある。3日もあれば、荷物をまとめるのも簡単だ。
麻緒佳はとりあえず、この札束を詰め込める段ボールを探そうと、物置きに向かった。
今度こそ、自分の手料理を喜んでくれる家族を探そう、と思いながら。




