01
意識を失った多江を、陽一郎と協力して彼女の部屋に連れていってから広間に戻ると、麻緒佳が厨房で鶏がらを煮てスープを作っていた。
「お昼は、ラーメンにしようと思って」
冷凍生めんが冷凍庫にあるのを見つけたから、とチャーシュー用だろうか、かなり大きい豚バラ肉のブロックをタコ糸で縛りながらそう云う麻緒佳を見た憲次は、思わず噴き出した。
「山口さんって、ブレないですね」
「そう?」
「そうですよ。何かあったらとりあえず料理、でしょう。本当に料理が好きなんですね」
麻緒佳は、痛みを堪えるような、古い物を懐かしむような微苦笑を浮かべ、遠くを眺めるような眼をした。
「ええ、大好きだったわ。最近は忘れていたけれど、ここに来て思い出した」
憲次は、あえてそれ以上は訊かず、話を変えた。
「何か、手伝いましょうか?」
「そうね……煮卵を作ろうと思っていたの。たまごを茹でてもらえるかしら」
「何個茹でますか?」
「人数分4……いいえ、あの人たちの分も一応、作っておきましょうか。6個、お願いするわ。水から茹でて、沸騰後5分過ぎたら冷水にあけてちょうだい」
「解りました」
冷蔵庫から卵を取り出して平なべに入れてゆきながら、憲次はふっと呟いた。
「6人に、なっちゃいましたね」
「……そうね」
目線は手元に注いだまま、麻緒佳は応じる。
「最初は13人いたのに、たった3日の間に半分以下に減っちゃって……」
「そうね」
「山口さんは、誰が人狼だと思いますか?」
麻緒佳は、躊躇うように口をつぐんだ。
しばらく、二人とも料理する自分の手元に集中した。
やがて。
「私は……判らない、としか云いようがないわ」
憲次の方は見ないまま、麻緒佳はぽつりとささやいた。「これは人柄の好き嫌いで決められる問題じゃないし、そもそもはっきりした好悪を感じられるほど、まだ皆さんと知り合っていないもの」
「そうですね」
「佐々岡さんは?誰か、怪しいって思ってる人はいるの?」
「実は俺も、山口さんと同じく、全く見当がつかないんです。それで、色々な人の考えを聞いて回っている最中なんです。……ガラスープのアク、取りましょうか?」
「ええ、お願い。……って、男の子なのによくアク取りなんて知ってるわね?」
「姉が、料理が趣味で、よくその手伝いをさせられていたんです。させられている最中は、何でこんなこと……って不満たらたらでしたけれど、おかげで大学入って一人暮らしを始めても、食生活には困りませんでした」
「お姉さんがいるの?」
「二つ年上です。あと、四つ上に兄がいます」
「そうなんだ。仲が良いのね」
「普通だと思いますよ。俺は末っ子だから、けっこう甘やかされたとは思いますけれど」
「佐々岡さんを見ていると、きちんとした家庭でしっかり育てられたんだなぁって解るわ。ご両親もご兄弟も、きっと素敵な方々なのね」
「ありがとうございます。そう云ってもらえると、嬉しいです」
麻緒佳は、醤油と酒、みりんをベースにしたタレを煮立たせて、そこに豚肉を入れた。
「それで、『ゲーム』の話に戻るけれど。この人だ――って、はっきりした推測を持ってる人はいた?」
「いませんでした。皆、判断できるほど周りの人のことを知らないって、そう云ってました」
「でも反対に云えば、『あ、この人は嘘ついているな』って判るくらいに理解した人のことを切るのも、辛いわね」
「残酷なゲームですね」
「本当だわね。ゲームを進めるためには、同じ参加者と会話をして、何か隙が無いかと探らなければいけない。そんな風に相手のあらさがしを始終している自分に気がつけば自己嫌悪するし、そうやって頑張っている理由が、賞金10億をもらいたいから、っていう即物的な理由なのも、すごく厭。でも、だからといって10億円を諦めきれない自分に、更に嫌悪する。もう、自分の厭なところを延々と見せつけられている気分よ」
「気心の知れた、仲の良い友人たちと、何も賭けずにやるんだったら、すごい面白いゲームになりそうですけれどもね。心理トリックや、腹の探り合いや、色々して。最後に『あー、してやられた、やっぱりお前はすごいや』って笑えるような遊びだったら、最高ですよ」
「あんまり勝敗にこだわり過ぎると、それはそれで、その後の付き合いに禍根を残しそうだけれど」
「それはどんなゲームでも同じでしょう」
「それはそうね」
チャーシューの下ごしらえを終えた麻緒佳は、次いで小麦粉を取り出して計量を始めた。
「こうなったら、お昼は中華ひと揃い作っちゃいましょう!」
宣言した麻緒佳が張りきって作ってくれたおかげで、その日の昼食は、醤油ラーメン、餃子、麻婆ナス、回鍋肉、春雨サラダ、青梗菜とエリンギのスープ、山盛りのゴマ団子、と、かなり豪勢なメニューになった。
麻緒佳の厚意――というか、「中華は何人分を作っても、手間は同じだから」という許しの下、途中から作成に参加した陽一郎や小百合のほか、空我と伸夫にも「一緒に食べましょう」と誘いをかけた。
空我は、「今ゲームが良いとこだから」と誘いを断ったが、やっと同じ食卓につくことができた伸夫は、感激のあまりはしゃぎまくって、「旨い旨い」を連発していた。ただ、彼は箸の使い方はともかく、大勢で食事するにあたっての遠慮がなく、「僕は肉好きだから」と回鍋肉の皿をかき回して肉だけをごっそりとったり、餃子を一人で半分近く食べたりと、好き放題してくれた。挙句の果てに、食べ終えたら自分が使った皿を下げることすらせず、そのまま部屋に帰ろうとしたところで、憲次はカチンと来た。
「ちょっと待てください」
憲次に呼び止められた伸夫は、歯をせせりながら聞き返した。
「何?もう食べるもの無いでしょ?」
「ええ。食べ終わりました。だから自分が使った皿くらい、自分で洗ってください」
伸夫は、本当に何を云われたのか理解できていないようで、きょとんとした。
「何で?皿を洗うのは、作った人の仕事でしょ?」
「仕事と云うからには、何か対価を払うべきでしょう。桐谷さん、あなたは料理作った人に対価を支払いましたか?」
「金払えってこと?でも、材料買ったのはあんたじゃないでしょ。このゲームの主催者だし、だったら僕が金を払うとしても、その相手はあの変な帽子かぶった奴のはず」
「金じゃないですよ。今も云ったでしょう。自分で使った皿を洗えって、そう云ったんです。皿洗いっていう労働で対価を払えと云っているんです」
「だから何で?そもそもさぁ、僕は作ってほしいなんて云ってないよ。あったから食べただけ。だのに対価を払えって、それって押し売りじゃない?」
勝ち誇ったように云う伸夫に、憲次はため息をついた。
「桐谷さんは、自営業していらっしゃるそうですけれど、業種は何ですか?製造業ですか?」
「あ?……ああ、そうだけど?」
「仮に、あなたの知人が、材料持ち込みであなたに製造をお願いしたとしましょう。知人の頼みだから、あなたは特に念入りに製品を作った。で、できた製品を受け取ってから、『材料持ち込みだし、あんたに手間賃払う必要無いでしょ。良い品質の物を作るために苦労した?それはあんたが勝手にやったこと』と返されたら、あなたはそれで納得するのですか?」
「それとこれとは話が違うだろう!」
「そうですか?根本は同じですよ」
「違う!僕は自分の工場で作業する。そこで使う電気や工具の使用代を僕が払っている。けれど、ここは全部他人持ちだ。原価は0じゃないか!」
「あのですね、……」
なおも云い募ろうとした憲次を、麻緒佳が静かに止めた。
「いいわよ、佐々岡さん。こう云ったことは、解らない人には本当に解らないものだから。作り手の手間は解らないし、そもそも料理は女子供がする、簡単なものって思っているから、手間なんて無い物だと思っている。だから云っても無駄よ。ただ、……」
話しながら、静かな目を伸夫に向ける。「ただ、自分の分が用意されて『あったから、食べただけ』という人の分は、もう二度と用意されないと思いますけれど」
伸夫の顔が、真っ赤に染まった。
「解ったよ!洗えばいいんだろう、洗えば!」
乱暴に自分の使った皿をまとめにかかった伸夫に、麻緒佳は首を振った。
「もういいですよ。私は、どうせなら、私の料理を喜んでくれる人のために作りたい。あったからしょうがない食べた、なんて人には作りたくない……」
不意に、麻緒佳が口をつぐんだ。そのまま黙って考え込む麻緒佳を、憲次たちは心配そうに見やった。
「山口さん?」
躊躇いがちに陽一郎が呼びかけると、麻緒佳ははっと我に返った。
「え?……って、あっ、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしちゃって」
「大丈夫ですか?ごちそうをたくさん作ってくださって、疲れたのかもしれませんね」
「片づけは私たちがするから、山口は休め」
小百合が云うと、麻緒佳はすまなそうに、弱弱しく頷いた。
「ごめんなさい、ちょっと、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「なんだよ、そいつは皿洗わなくて良いのかよ!」
伸夫がすかさず唇を尖らせて文句を云う。憲次たちはため息をついた。
「あんたも良いから。さっさとどっか行けば?」
麻緒佳が部屋へ戻って行ったあとも、伸夫はなおもその場にとどまって何やらぶつぶつ云っていたけれど、憲次たちがまるで相手にしなかったら、いつの間にか去って行った。
「桐谷さんは、中身が子どもなんですね」
陽一郎が、鍋を磨きながら云った。「稀にいるんです。しっかりした母親や近親者が面倒事をすべて処理してくれていたとか、生れてからずっと、あまり構成人員の入れ替えの無い、同じ環境で、限られた人間としか付き合いをしてこなかったとか。そう云うところでは、最初に振られた役目というか、認識がずっと続くんですよね。年少者は、何十年たとうと年少者。子供扱いされて、何をしても許されますし、反対に何をしないでも許されるんです」
「でもあの人、自営業をしていると云っていませんでしたか?」
陽一郎の脇で、皿を洗いながら憲次は云った。「仕事の責任とか、面倒事とか、あると思うんですけれど」
「自営業の業種によりますし、面倒な折衝や事務仕事は、それこそ誰か近親者がまかってくれているのかもしれませんよ。もっともこれは、想像でしかありませんが」
「子どもかぁ……。俺、大きくなったら自然と大人になるもんだと思ってました」
「大人という言葉の定義によりますね」
かくいう私も、どうだか自信はありませんが、と陽一郎は苦笑した。
小百合は二人の話を聞きながら、黙って皿を拭いていた。




