04
「このなかに、本物の殺人者がいるからだ」
小百合の言葉がそれぞれの頭に浸透するまで、しばらく時間が必要だった。
「本物って……」
麻緒佳がおどおどとした視線を周囲に投げかけながら呟く。小百合はこれを受けて続けた。
「字面通りの存在だ。この『ゲーム』は、参加者たちにはそうと知られないように巧妙に環境操作してあったが、死者が出ないように作られたものだった。ところがそれを知らない参加者のうちの誰かが、小泉を実際に殺した。これが過失致死系の事故と目されるようなものではないことは、わざわざ凶器を運び込んで行われていることからも知れる」
「計画的犯行だったと?」
憲次が尋ねると、小百合は頷いた。
「ただし、それがどのような動機に基づいたものなのかは、判らない。そもそも我々は、住んでいるところも違えば職種も違う。ここに集められるまではまるで接点が無い――と目されるはずの集団だ。本人たちの間で暗黙裡に、他に対して黙っていようと取り決めていたのなら、話は別だが。そう云う事情であった場合には、我々には、動機の方面から犯人を突きつめることはできそうにないな」
「小泉さんの私物に手掛かりはないかな?」
軽い気持ちで憲次が提案すると、小百合は少し考え込んだ。
「可能性はあまりないとは思うが……そうだな、念のために見てみるか」
云うなり扉へ向かいかけた小百合に、多江が悲鳴を上げた。
「私は、死体なんか見に行かないわよ!」
小百合は、きょとんと多江を見返した。
「見たくないなら、特に来なくて構わないが――」
「もう厭!」
小百合の声を遮って、多江は泣きわめいた。「もう厭厭厭!死んだとか本当な死んでいなかったとか、本当に殺されたとか、もう十分!もう帰して!私を家へ帰して!!!」
「多江さん、落ち着いて……」
麻緒佳が宥めにかかる。が、多江は激しくこれを拒絶した。
「こんな異常なところで、落ち着けって方が無理なのよ!皆おかしいわよ!なんでこんな風に平気でいられるのよ!?もう厭!あんたたちと一緒になんかいたくない!」
「いたくないって云われても……ここからは、『ゲーム』が終了するまで出られないんだし」
「でも、人狼に『殺され』たら外に出れるんでしょう!?あなた、さっき云ったわよね!?」
多江に指差して問われた小百合は、戸惑いながら頷いた。
「そう私は推測しているが、これが事実だという証拠はない。脱落者が一体どのような処置をされるのか、実際のところは確認が取れていないというのが現状だ」
が、多江は小百合のそうした解説は聞かず、周囲に向かって喚き散らした。
「だったら人狼!私を今夜『殺して』よ!人狼に『殺され』れば外に出れるんでしょう!私、喜んで殺されるわよ!もうお金なんかいらない!いらないから、すぐ『殺して』!!!『殺して』くれないなら、今、私があんたたちを殺してやるから!」
云うなり身をひるがえして厨房に掛け込む気色を見せた多江を、憲次は慌てて止めた。
「ちょ……っ!ちょっと待って!落ち着いて!」
「うるさいうるさいうるさい!!放せ、……放せぇええ!!!」
女の力とは思えないような怪力で、多江は憲次の拘束を振りほどいて厨房へ向う。
その背に。
「解った」
小百合が云った。
「……え?」
「解った、と云ったんだ。お前を今夜の生贄に選んでやる。だからもう落ちつけ」
「……本当?」
今までの暴れようがウソのように、多江はすがるような目で小百合を眺めながら、慄えたかすれ声でささやいて訊ねる。
小百合は力強く頷いた。
「ああ、本当だ。何故なら、私が人狼だから」
彼女がそう云った瞬間。
多江以外の全員が凍りついた。
「じゃあ、……じゃあ、私は助かるんだ……助かった……っ!」
自分以外の周囲の状況に全く頓着せず、すすり泣きを漏らしながら小百合は、誰へともなく呟くと、ふらふらと、頼りない足取りで広間を出ていった。
多江が広間を去って行った後。
「……本当か?」
憲次はかすれ声で訊ねた。
「何が?」
「小百合、お前が人狼だったのか?」
が、小百合はあっさりと首を振った。
「否。あの時はああ云った方が収まると思ったから、そう云っただけだ」
「でも……」
本当だろうか。信じても良いのだろうか。考えてみれば、小百合は最初から徹頭徹尾冷静だった。それは、このゲームが死者が出ないよう操作されたものだと気づいたおかげと云えるのかもしれないが、もしかしたら自分が『殺す』側で、『殺される』心配が無かったから、とも云えるのではないだろうか。
戸惑いを払えない憲次に、小百合は冷たく云った。
「どうせ明日になれば判る。明日多江が人狼に襲われて『死んで』いないか、もしくは私が人狼に襲われて『死んで』いたら、私は人狼ではなかったと、それだけの話だ」
「いや、死んだら終わり……って、それはもう本当じゃないからいいのか。いや、でも……」
混乱する憲次を措いて、小百合はさっさと歩き始めた。
「どこへ行くんだ?」
戸惑いながらあとを追う憲次に、小百合は振り返らないまま、
「小泉の部屋」
とだけ云って、廊下をすたすた歩いて行く。何となく引き返すタイミングを失った憲次もこれに続いた。
「……何だか、難しいことになりましたね」
と話しかけてくる声が背後から聞こえた。振り返ってみると、陽一郎が憲次たちの後について来ていた。他の人間が出てくる気配はない。どうやら小泉殺害の現場検証をする気力があるのは、この三人のみらしい。
前回同様、小百合は全くためらうことなく小泉の部屋のドアを開いて、中に入ってゆく。
憲次は少し躊躇った後、死体から意識して目をそらしながら、部屋に入った。
気のせいか、部屋に充満する臭気は先刻よりも酷くなっているような気がした。憲次は息をひそめて室内をあさった。
小泉の私物は、チェストの上に乗っていたセカンドバックしかないようだった。バスに乗り合わせた時の記憶をさらってみても、憲次は小泉に対する印象が薄くて、思い出せなかったが、幸いにもバスで近くに座ったという陽一郎がよく憶えており、彼はこれしか持っていなかったと断言してくれた。どうやら小泉は、招待状にあった、「着替え、洗面用具、日常薬など、必要品はこちらで用意いたします。どうぞ身一つでお越しください」という文面を真に受けて、本当に身一つできたクチらしい。
合皮ビニル製のそれを開けてみると、やはりビニル製の二つ折り財布と、おそらく自宅のものなのだろう鍵、それにどこか店舗の景品らしいボールペンとメモ帳、パスケース、それと問題の招待状の葉書が入っていた。
財布の中身は千円札が数枚と小銭、クレジットカードと都市銀行のキャッシュカードが一枚ずつ。それに数枚のキャバクラ嬢とおぼしきキラキラしい女性名の名刺が入っている他は、何もなかった。携帯の類ら見当たらないのは、憲次と同じく主催者側に没収されたからだろうと、調べながら憲次は推測した。
使うごとに用紙を切り離していたらしいメモ帳は、ほぼ白紙だった。明りにすかして見ると、前の紙に書いたらしい内容が筆圧のおかげでうっすらと写っているのが見えたけれど、それは、
『ラーメン●■屋。**市▲■●町、……』
という覚え書きでしかなかった。
パスケースには、チャージ式の電子マネー。
写真も、何かうす暗い過去を想起するような新聞の切り抜きやメモ用紙も、何もない。
「……無駄足でしたね」
調べるためにとりだした品々を元通りに戻しながら、憲次はそう陽一郎に話しかけた。
「そうですね」
小百合は、片付けにいそしむ男二人を尻目に、また小泉の遺骸を調べていた。
「そんなに何度も見て、何か見つかるのか?」
そろそろ部屋を出よう、と云う意味を込めて憲次が話しかけると、小泉の頭部を調べていた小百合は、とことこと憲次の前にやって来て、憲次の着ているシャツの前身頃で手をぬぐった。
「なっ――!」
あまりのことに、憲次は一瞬絶句した。「何するんだ、お前!あーあ、こんな食べカスつけてくれて……」
良く良く見れば、つけられた汚れはさほどでもない。コーンのカスが数個繊維に引っかかってついているくらいだったけれど、こんなことをされたらやはり気分が悪い。
「お前これ、夕飯の時のハンバーグの付け合わせのやつか?今までどこに着けてたんだよ……」
ぶつぶつ呟きながら払っている間に、小百合は素知らぬ顔でさっさと部屋を出ていった。
「ハンカチとか、持っていなかったんですね、きっと」
陽一郎が隣で、わけのわからないフォローをした。
憲次の怒りなど素知らぬ顔で、廊下で小百合は、憲次たちが出てくるのを待っていた。
「訊いて良いですか?」
憲次は、さり気なく小百合と陽一郎の間に立って、平富に訊ねた。
「はい。何でしょう?」
「俺たちは、このゲームで実際に人が死んでいるとミスリードされた。……ってことは、この平富さんがイカレ帽子屋とつながっていた、運営側の人間だったってことですか?」
陽一郎は、穏やかな笑みを浮かべた顔で憲次を見つめ返して静かに訊ねた。
「どうしてそう思いました?」
「太仁さんが『死んだ』時のことを思い出したんです。たしか、平富さんが確認して多仁さんが死んでいる、って云ったのですよね。でも、小百合が後ほど確かめたように、その時の太仁は生きていたはず。生きているのに死んでいるって皆にふれて回るメリットは、通常の参加者には無いはずです。あるとすればそれは、あのイカレ帽子屋とつながっている、運営側の人間以外にないんじゃないかと考えたんです。……合ってますか?」
陽一郎は、すぐには答えなかった。ゆっくりとした動きで眼鏡をはずしてレンズをぬぐい、掛け直し、そして憲次をまっすぐ見つめて苦笑した。
「合ってます。ただし、私が命じられたことは、最初に『死ぬ』ひとりを私一人で確認して、『死んで』いると皆さんに告げ、ペナルティを受けたら本当に『死ぬ』んだと誤認させることと、私が脱落しない限り、発生した『死体』を、あまり人目につかないところにしまうこと。以上です。
それ以上のことは、何も知らされていませんし、他にしろと云われている命令もありません。あなた方と同じですよ。自分で判断して、自分で動けと云われています。ただ、勝ってももらえる賞金は、1億円と、皆さんに比べて少なくなっていますけれどもね」
あはは、と空々しく笑った陽一郎は、ついで憲次の肩越しに小百合に目をやった。
「私はてっきり、先ほどの広間でそのことを指摘されると思っていたのですが……?」
小百合は肩をすくめた。
「イカレ帽子屋が説明役に私を指名して、陽一郎のことは云わなかったのは、きっとまだ隠しておきたかったのだろうなと推測した」
「なるほど」
「それに……」
云いかけて口をつぐんだ小百合を、二人は少しの間待った。が、彼女は何でも無いと首を振ってその話を止めた。
「もう寝る」
と呟いて、自分の部屋へ入る小百合を見送った後、憲次は陽一郎に訊ねた。
「教えてください。イカレ帽子屋って、誰なんですか?一体どういう人なんですか?」
が、陽一郎は首を振った。
「私も、よくは知らないんです。あのひと本人でさえ、いったい自分がどれだけの資産を持っているのか把握できないほどの財力を持った、大金持ち、としか知らされていません」
「そうですか。じゃあ、あとひとつ。平富さんの部屋には、外へ通じる出入り口はありますか?」
「ありません。私は、死亡が偽装されているということを知らされているだけで、あとは他の皆さんと同じ条件でこの『ゲーム』に参加していますから」
「そうですか」
「お役にたてなくて申し訳ない」
「いえ、ちょっと聞いてみただけですから」
「私たちも、自分の部屋に戻りますか。そろそろ、22時30分になりますし」
陽一郎が腕時計で時間を確認して云った。
「そうですね。……お休みなさい」
「はい。お休みなさい。また明日」
「また明日」
会えると良いですね、と咽喉まで出かけた台詞を飲みこんで、憲次は自分の部屋に戻った。
寝巻替わりのスェットに着替えて、一度ベッドに入った憲次は、しかしすぐに起きあがった。
(もし、寝ている間に殺人者が入ってきたら、抵抗できないし)
そう思うと、いてもたってもいられず、うろうろと室内をいたずらに動きまわった。
冷静に考えれば、22時30分から翌朝6時迄は誰も部屋から出ることができないのだから、就寝中に襲われる可能性はないはずだ。
が、もし明日寝坊したら――等と考えるとどうしても落ち着かない。
結局、備え付けのテーブルと椅子をドアの前に置くことで、どうにか気持ちに折り合いをつけた。
これで侵入を企む不審者を完全に防ぐことは難しいだろうが、内開きのドアを開けるために、多少は手間取るはずだ。侵入者が手間取っている間に、こちらは迎え撃つ準備ができる……だろう。たぶん。
枕元の床に、武器になりそうな、洗剤のボトルやトイレの洗浄棒を準備して、憲次は今度こそ眠りについた。




