02
部屋で手早くシャワーを浴びた憲次が昨晩同様タブレットを手にして広間に戻った時、そこには小百合と陽一郎しかいなかった。
「みんなは?」
憲次が尋ねると、小百合は「さあ?」と肩をすくめた。
「皆さんそれぞれ、別の所に集まるかご自分の部屋で投票されるみたいですね」
「そうか……」
夕食時間からこれまで、ほとんどの人間がここに姿を現さなかったことを鑑みるに、陽一郎の推測は当たっているのだろう。
憲次は大時計を見た。21時少し前。まだ話すための時間はある。
「俺、みんなに声をかけてきます。やっぱり話し合わないまま投票に入るのはよくないと思うんで」
「なら、私も行きましょう」
よっこいしょ、という掛け声とともに、陽一郎が立ちあがった。
憲次が小百合を見ると、彼女は持ってきた本を開きながら小さく手を振って、
「いってらっしゃい」
と、自分はこの場にとどまることを示した。
廊下に出た憲次は、端の方から順々に訪問してゆくことにした。
広間の扉に地位番近い部屋は、陽一郎の記憶によれば、鈴のものだった。覗き窓は当然のことながらカーテンで遮られており、内部は伺えない。憲次がドアをノックすると、少し置いてカーテンが動き、覗き窓からこちらを伺う鈴の顔が見えた。
「今晩は」
出来る限り愛想よく頭を下げると、鈴は、ややためらった後、小さく扉を開けた。
「何ですか?」
「今夜の投票に関して、話し合いませんか?」
「話し合う?」
「このまま、何もしないで投票するのは、良くないと思うんです。誰が人狼だと推測するのか、その理由など、徹底的に討論すべきだと思うんです」
「結構です」
鈴はきっぱりかぶりを振った。
「え?」
「討論なんか必要ないって、そう云ったんです。今夜投票する相手は、もう話し合って決めましたから」
「えっ?誰と話し合ったんですか?」
「それを云う必要ありますか?とにかく、今あなたたちと話す必要はありません」
云うだけ云うと、鈴はドアを閉めてしまった。
「……」
憲次は陽一郎を振り返った。
陽一郎も、驚いたような、深刻な表情を浮かべていた。
「どうやら、私たちのいないところで、複数の方々の相談がまとまっていたようですね」
「誰に決まったんでしょう?」
憲次は焦った。
(誰に決まったんだ?)
まさか自分ではない……と思いたい。思いたい……が、確証が無い。
うろたえる憲次をなだめるように、陽一郎は提案した。
「とりあえず、他の方にも声をかけてみましょう」
云うと憲次の返事を待たず、鈴の向かいの部屋をノックする。
ほどなくドアを開けた麻緒佳は、深刻な表情をした陽一郎と憲次を見て、眉をひそめた。
「何かあったのですか?」
「今夜の投票に際して、皆で話し合おうと声をかけていたんです。そうしたら、万田さんから、もう投票する相手は決まったといわれまして……」
「ああ、そのことですね」
麻緒佳は廊下に出てくると、壁に体重を預けて立った。「確かに、投票する相手は決めました。ただ、本当に投票するかは……鈴さんはその気のようですけれど、私はどうしようかと、まだ迷っています」
「誰に決まったんですか?」
勢い込んで訊ねた憲次に、麻緒佳は宥めるような目を向けた。
「あなた方ではないです。今後のことを考えますと、これ以上のことは云えません」
「いや、でも――」
「どうせ投票時刻になれば判るんですから」
「じゃあせめて、誰と話しあったか教えてもらえませんか?」
「それも、すぐに判ることですから」
それだけ云うと、麻緒佳は自分の部屋に戻って行った。
「何と云うか……思っていたよりも、私たちは分裂していたみたいですね」
陽一郎がため息をついた。
続けて訪問した枝亜は、警戒しているのか、ドアを開けてもくれなかった。多江も同様。
伸夫は、憲次たちがサークルのことで考えを改めたと勘違いしたらしく、最初は愛想よく応対してくれたけれど、そうでないと判った瞬間、急に憲次たちに対する興味をなくした様子で、部屋に戻って行った。
空我は、血走って疲れた目でどんよりと憲次を眺めながら話を聞いていたものの、どれほど理解しているのか、
「自分、疲れたんで。投票したらもう寝ますから」
とあくび交じりに云って、部屋に閉じこもった。
護は、枝亜や多江と同じく、いくらドアをノックして呼びかけても、返事もなかった。
行った時と同じ二人で戻ってきた憲次たちを、小百合は静かな表情で迎えた。
「皆は?」
訊かれた憲次は首を振った。
「もう投票する人は決まっているから話し合う必要はないって云ってる人と、そもそも返事もしてくれなかった人と、だいたいそんな反応しかなかった」
「そう」
小百合は、特に驚いたり動揺したりしたそぶりも見せず、それまで読んでいたぱたんと本を閉じた。「それで?佐々岡と平富はどうするの?」
「どうするって……?」
「誰か投票する人は決めたの?」
憲次は少し考えた後、かぶりを振った。
「否。全然……」
振り返ってみれば、全員で話す場を作ることにばかり気持ちがいっていて、誰が人狼なのか、誰が怪しく思われるのかということをまるで考えていなかった。本末転倒だ。
「私も、今現在知っていることだけでは、判断がつきかねます。そもそもさほど皆さんと接触できていませんし」
陽一郎も、困ったように眉を下げた。「困りましたね。結果のことを考えると、生半可な気持ちで投票なんてできませんから」
「さゆ――力永さんは、決めたの?」
憲次が小百合と呼びかけた途端、ぎろっと眼光鋭く憲次を睨みつけた小百合は、呼び方を云い直されると、すっとまた静かな表情に戻って頷いた。
「ああ」
「誰にきめたの?」
勢い込んで訊ねる憲次に、小百合は冷めた目を向けた。
「聞いてどうする?私の真似をするのか?判断を私に委ねるというのか?」
「それは……」
それは、責任の放棄と云うものだろう。自分の判断をゆだねて、それに伴う責任や罪悪感を他人に丸投げするのは、あんまり図々しすぎる。もし他者が自分に対してそんなことをしようとしたら、憲次は本気で怒っただろう。
口ごもって俯いた憲次に、小百合は小さく肩をすくめた。
「どうせすぐに判る」
背後を振り仰いだ彼女の視線をたどると、大時計は21時40分過ぎを示していた。
「あと、おおよそ10分」
そう静かに告げる小百合の声が、重々しく憲次の胸に響いた。
残る10分を、憲次はそわそわと、落ち着きなく広間を歩き回ることで過ごした。
考えることは一つ。
(誰に入れるべきなのか)
一日中ゲームをやりこんで、他人とかかわろうとしなかった空我か?
こちらを拒絶する態度をことあるごとに示していた枝亜か?
妙に愛想よく、馴れ馴れしく絡んできた伸夫か?
鈴の面倒をよく見ていた――ひるがえって云えば、こんな状況だのに他人を見る余裕があった麻緒佳か?
先刻妙に自信ありげな態度だった鈴か?
泣きわめくしかしない多江か?
妙に自信ありげな言動をしていた護か?
(それとも……)
どことなく飄々とした態度を保っている陽一郎なのだろうか。
この異常な状況にあってなお冷静沈着な態度を崩さない小百合なのだろうか。
考えれば考えるほど、皆が怪しく思えてくる。かといってこうという決め手もない。
全ては感覚――憲次の主観であって、なんら証拠は無いのだ。
長いような10分は、気がつけばあっという間に過ぎていた。
投票開始を知らせる電子音がタブレットから響き、憲次はびくっと全身をこわばらせた。
見れば、小百合はさっさと自分のタブレットを操作して投票していた。
昨晩と同じく、小百合は自分に投票していた。
(そうか……)
決められないのなら、決めなければよかったのだ。
急に気分が軽くなった憲次は、タブレットを持ち上げて自分に投票した。
「真似した」
小百合が憲次をちらっと見て云う。憲次はにっこり笑って返した。
「うん。真似させてもらった」
陽一郎も、結局誰かに投票できるほどの確証が持てなかったのだろう、自分に投票していた。
「やっぱり、確信が持てるまではこうするのが一番ですね」
が、他の参加者たちは、憲次たちのように判断を先送りはしなかった。
まず、護が鈴に投票した。
それに反撃するように、鈴は護に投票する。続けて枝亜が彼に投票した。それで勢いがついたのか、伸夫、空我、多江と続けて票が護に集まる。
「ふたりとも、私に票を集めて――」
小百合が鋭く云うが、憲次たちがそれに反応するより早く、第一回目の投票時間が終了した。
『決定。小泉護:処刑』
ポーン、と軽やかな電子音が響いて、票決したことを知らせた。
小百合が顔をしかめた。
少しの間、広間は無言に包まれた。大時計が時を刻む、硬質で規則正しい音が妙に大きく憲次の耳に響いた。
「し、仕方ないよ」
憲次は、青ざめた顔で決定を知らせるタブレット画面を凝視する小百合を慰めた。「あれだけ票が集まったら、俺たちの3票が集まったところで、小泉さんに対する決定は覆しようが無かった。麻緒佳さんの票がこっちに来てもダメだったし……」
先刻、憲次たちにどうするか決めかねていると云った麻緒佳は、結局自分に投票していた。が、彼女の票がこちらに来たところで、4票。5票集めた護に対抗することはできなかったはずだ。
「それに、もし真に合ったとしても、次は最多票を集めたひとたちだけでの決選投票だろう?小百合は自分と小泉さんとの間で決選投票になっても良かったのか?」
「構わない。10億もらえないのは残念だが、それだけだ」
「俺は構うよ!」
憲次は反射的に怒鳴り、そしてそんな自分に戸惑った。「あ、あれ?俺……その、怒鳴ってごめん。でも……目の前で小百合に死なれるのは嫌だ」
小百合は肩をすくめた。
「ならば、明日は各人の部屋で投票するか」
「そう云う問題じゃなくて!」
どうしたらこの気持ちが伝わるのかと、頭を抱えた憲次に構わず、小百合は廊下に続く扉に向かった。
「部屋に戻りますか?」
陽一郎が小百合に訊ね、小百合は頷いた。
「22時になる前に自分の部屋に戻っていないと、『ペナルティ』だからな。ただ、その前に小泉がきちんと自分の部屋にいるか、確かめておきたい。廊下で倒れられていたりすると、明日以降の扱いに困る」
「そうですね」
陽一郎が、頷きながら憲次に気遣いの目を投げかける。彼としては、小百合が今しがたの憲次の台詞を無かったものとしてスルーする意向を全身で示している以上、無理に出しゃばって口を挟むつもりはないが、だからと云ってこのまま憲次を放っておくのも気がかりなのだろう。
憲次は、そんな気遣いをしてくれる陽一郎に弱弱しい笑みを返して大丈夫だと伝えた後、小百合の後を歩く彼の後ろに続いた。
小泉の部屋は、広間に一番遠い、廊下の突き当たりだった。
ノックも無しに、いきなり扉を開けた小百合は、次の瞬間硬直した。
「大丈夫?」
立ち尽くす小百合の肩越しに室内を覗き込んだ憲次も、思わず目をそむけた。
それほど、今夜の護の死に方は悲惨だった。
部屋に備え付けの椅子に座っている時に、背後から刺されたのだろう。刃の細い和包丁が左の肩甲骨の斜め下あたりに深深と、柄の近くまで差し込まれている。恐らくは心臓を一突きにされたのだろう。灰色のスェット生地に赤黒いシミができているが、大きさはさほどでもない。他に外傷の気配が見当たらないことから見ても、背中の包丁傷が死因とみてよいだろう。
護は、テーブルに上半身をあつけるような恰好で、顔をドアの方へ向けた形で絶命していた。その手の側には、ブラックアウトした画面を上に向けた状態のタブレットがおいてある。
死によって完全に筋肉の力が失せた人間の顔が、これほど醜悪なものになるとは、憲次は知らなかった。最も近いのは、完全に自我を亡くした老人だろうか。この変化のあり方を一度でも目にしていたら、映画やドラマでは単に役者が演じているだけなのだと、すぐに判る。それほど、ひとの死に顔と云うものは強烈だった。
室内には血のにおいの他に、異臭が漂っていた。死んだ肉体から立ち上る、何とも云えない臭いと、漏れ出した排泄物の臭気だ。
わざわざ近寄らないでも、もはや護が絶命しているのは瞭然だった。
だから憲次は、硬直する小百合の方に柔らかく手を置いて、そっと声をかけたのだ。
「力永さん、もう、この部屋を閉めよう」
が、小百合はそんな憲次の手を振りほどいて、つかつかと護に近寄って行った。
「えっ?力永さん、何を――」
驚いて慌てふためく憲次の脇をすり抜けて、陽一郎も室内に足を踏み入れる。
二人は、護の首筋や手首に手をあてたり、顎に両手を添えてみたり、見開かれたまま虚空を凝視する両目を覗き込んだりした後、互いに互いの青ざめて血の気の失せた顔を覗き込んで、頷き合った。
「異常事態」
小百合が硬い声で呟いた。
「そうですね」
やはりこわばった顔で応じた陽一郎は、小百合に云った。「私は、他の皆さんを広間に集めます。力永さんは、イカレ帽子屋をさん呼びだしておいてください」
「判った」
頷いた小百合は、廊下に駆けだした。反射的に、憲次は彼女の後を追って走った。
一散に廊下を駆け抜けた小百合は、広間に駆けこむなり、壁面のモニタに向かって怒鳴りつけた。
「イカレ帽子屋!見ていたんだろう!どうして小泉が死んでいる!?」