01
自分では余裕があると思っていたのだが、笑い転げる憲次を見た陽一郎と小百合は、彼の精神が限界に来ていると思ったらしい。二人がかりで、少し横になって休めと、強硬に勧められた。
「横になって身体を休めるだけで、ずいぶん楽になるから」
陽一郎が、患者に接するように発した温かい声色に、憲次はくすくす笑いながら抗弁した。
「でも俺、平気ですよ?」
陽一郎は、憲次のその言葉を否定せず、柔らかくうなずいて応えた。
「うんうん、そうだね。ただ、昨日今日で立て続けに色々と起きたし、環境も普段と変わっているだろう。だから無理しないで、少し昼寝とかしてみるのはどうかな。ほら、普段の生活でも、昼ごはんを食べた後は少し横になって休むと、その後の午後の仕事がはかどったりするだろう。食べた後は身体を休めるのが、生物学的にも正解なんだよ」
「大丈夫です」
強硬に云い張る憲次を見ていた小百合が、静かに口を開いた。
「君は疲れているようだ。このまま夜まで持ち越せば、判断力が鈍る可能性が高い」
「いや、――」
「休め」
「でも、……」
「休め」
「……はい」
憲次は渋々立ちあがった。「じゃあ、ちょっと行ってきます」
どうせ寝られやしないのだから、30分くらいしたら起きあがってそう云おう、そんなことを思いながら廊下に出た。
長い廊下は、相も変わらず白々とした明かりで影も無いように照らされていた。窓が無いため、空間はたっぷりあるのに、閉所恐怖症のような圧迫感を覚えてしまう。
(実際閉じ込められてるんだしな)
外が直に確かめられないので、昼も夜も判らない。今憲次が後にしてきた広間に置かれた大時計と、各人に支給されたタブレットに出るクロック表示だけが頼りだ。
(そう云えば、こういう閉鎖空間で、閉じ込められた人たちの時間感覚を狂わせるトリックを使ったミステリがあったな)
読んだときは、そんなにうまくいくかなぁと懐疑的だったが、今の自分たちならなるほど、簡単にだまされるかもしれないとそう思う。
(あ、でも腕時計してる人もいたな、そう云えば)
陽一郎や伸夫のことを思いだした。彼らの持っている時計まで細かく設定するのは、無理ではないだろうが難しいのではないだろうか。それに、そうして自分たちの時間感覚を狂わせたところで主宰者たちが得られるメリットが、憲次には思いつけなかった。
(メリットが無ければ、特にする理由もないよなぁ?)
つらつら考えながら、自分の部屋に入る。
室内は、朝飛び出したときと変わっていなかった。跳ねあげたまま、半分ずれ落ちかけた掛け布団の位置を直して、ベッドに潜り込む。
(今夜の投票か……)
今夜は、誰が死ぬことになるのだろう。
昨日はろくに話しあわないまま投票に入ってしまったため、あんなことになってしまったが、できれば今日はじっくり話し合いたい。できることならばもう、人に死んでもらいたくない。死人は3人も出れば十分だ。
(昨日小百合が云っていた、各自が自分に投票して時間切れを狙うあれ、今夜こそ試せないかな……?)
そんなことを考えているうちに、気がつけば寝ていたらしい。
「起きろ」
身体を大きく揺さぶられて、目が覚めた。
「……あれ?小百合?」
ベッドの脇に立っていた小百合は、寝ぼけ眼の憲次に名前を呼ばれて、高い鼻筋にしわを寄せた。
「だから名前で呼ぶな」
「あ?……ああ、ごめん」
「もういい。それより、夕食ができた」
「夕飯?もうそんな時間?」
さっさと部屋を出て行く小百合の後を慌てて追いながら、憲次は彼女に訊ねた。
「今は19時過ぎだ」
「そんな時間!?」
小百合たちと別れたのが確か、14時になるくらいだったから、5時間も眠ったことになる。どうやら陽一郎たちが云っていた通り、自分は思っていた以上に疲れていたらしい。
「良く寝たな」
小百合が云った。
「おかげ様で。……ところでさっき、夕飯が出来たって聞こえたんだけど。俺の聞き間違い?これから作るんじゃないの?」
「平富と一緒に作った」
「平富さんと?俺の分も?」
「二人分を作るのも、三人分を作るのも、手間は同じ」
「ありがとう。ごちそうになります」
「うん」
と頷いた小百合は、そしてふと思い出したように憲次を振り返った。「そう云えば、佐々岡は包丁を知らないか?」
「包丁って、料理に使うあれ?」
「厨房の包丁スタンドのスペースが、一本分開いているんだ。朝はそんなことはなかった気がするんだが……」
「俺は知らないけど、大方、誰かが使った後でどこかへひょいと置いたんじゃないの?複数人が使うところでよくあることだよな。うちも、姉貴が趣味で料理作ってた時は、キッチンバサミとか缶切とか、しょっちゅうどこかへ行ってたし。それがまた、ヘンなところで見つかるんだ。一度なんて、ゴムべらが玄関脇に置いていた花瓶の中から見つかったことあったし。後で聞くと、ちょうど使っていたときに宅配便の配達業者が来て、荷物の受け取りをするときに無意識に差し込んだらしい。誰もそんなところにゴムべらがあるなんて思ってなかったから、視界に入っても認識してなかったんだよな。翌朝母さんが水切りしようって、活けてあった花を取りだしたときにびっくりしてた」
あはは、と憲次は笑ったけれど、小百合は乗ってこなかった。
小百合たちが作ってくれたのは、たっぷりの茸をバタで炒めて醤油の風味をつけたソース添えのハンバーグ、ミモザサラダ、生姜の風味をきかせた蟹のあんをかけた温やっこ、かぼちゃと長ねぎの味噌汁だった。
「味噌汁とご飯は、山口がわけてくれた」
旨い旨いと感激して食べる憲次に、小百合が説明した。「温奴は平富が作った」
そして自分も冷奴を一口食べて、陽一郎に云う。
「美味しい」
「お口に合って良かったです。僕はのんべえなせいか、こう云った酒の肴風の物しか作れないんですよ」
「酒の肴って、ご飯のおかずにしても美味しいものが多いですよね」
「そうですね」
陽一郎もハンバーグを食べて小百合ににっこり云った。「ハンバーグも美味しいですね。茸のソースをからめて付け合わせのコーンや青菜のバター炒めをいただくと、更に美味しいです」
食後は、使った皿や鍋を憲次が洗い、昼食の時のように小百合はそれを手伝った。
陽一郎は、二人が洗い物をしている間に部屋でシャワーを浴びてきたらしい、憲次たちが厨房で見つけたほうじ茶と苺を持って食堂へ戻ると、小ざっぱりした様子の陽一郎が、手にタブレットを持って現れた。どうやら投票時刻まで、ここにとどまるつもりらしい。それを見た小百合は、自分もタブレットを取ってくると云って、部屋へ戻って行った。
憲次は、せっかく淹れた茶が冷めるのが嫌だったので、先に茶を飲むことにした。
陽一郎と二人、食堂で向かい合って茶をすすっていると、伸夫が広間にやってきた。
「今晩は」
「……今晩は」
にこにこと、一目で営業スマイルと判る作り笑いを浮かべて挨拶する伸夫に、憲次はやや戸惑いながら挨拶を返した。
「今晩は」
陽一郎は普段と変わりない様子で伸夫に話しかける。「桐谷さんは、もう食事はすんだのですか?」
「私は、夜はあまり食べないんです。酒を飲みながらつまみをつまむくらいで。今夜の分は、もう部屋に運んであります。……ってそれより、」
今夜のことですが、と伸夫は周囲を見回して声をひそめた。
そんなことをしなくても、この広間には現在、相も変わらずゲームを続けている空我しかいない
(よく体力と気力がもつな)
と、憲次はこっそり感嘆した。
胡坐をかいて床にじかに座る彼の周囲には、空になったジュースのペットボトルや市販のカロリーブロック、ポテトチップスなどのジャンクフードが入っていた包装が散らばってあるから、憲次が見ていないときに物を飲食してはいたらしい。
が、朝からこれまで12時間以上、ずっとゲームをやりこんでいるとは、凄まじい。
(実はあいつ、ロボットなんじゃないのか?)
ゲームに没頭している彼は、すぐ隣で会話していても気づかないだろうが、伸夫は誰か余人に聞かれては一大事と云うように思いつめた表情を憲次たちに寄せてくる。
「今夜、サークルを組みませんか?」
「サークル?」
「ほら、3人で協力すれば人狼の襲撃を避けられるってあれですよ」
「そう云えば、そんなものがありましたね」
「あったんですよ。あれを組めば、夜も安心してぐっすり眠れるでしょう?ね、組みましょう!組まなくちゃ損ですよ!」
ぐいぐい押してくる伸夫に、憲次は心もちのけぞった。
「でも、……たしかサークルって、組む全員が村人でなければいけないんですよね?」
憲次を見る伸夫の目がきらめいた。
「え、何ですか?もしかして佐々岡さんは、巫子か猟師だったりするんですか?」
憲次はあわててかぶりを振った。
「いいえ、単なる村人その一です。ただ、あれって、中に一人でも人狼が混ざっていたら、即死亡でしょう?あなたはどうして俺たちを誘おうと決めたんですか?今まで俺たち、あんまり交流してなかったですよね。だのに誘ってくれた、その論拠は何ですか?それと、あなたが人狼ではないって証拠はどこにあるんですか?」
「それは……ほら、男は男同士で団結しましょう、ってことで」
「男だから人狼ではないというのは、暴論ですね。なにぶんここには二つの性別しかないんですから」
「俺はあんたたちを信頼しようと決めたんですよ」
「信頼してくれたことは素直にありがたいです。が、失敗してもやり直しがきかない以上、慎重にならざるを得ません。そうして、今のところ俺には、あなたを信頼するためのよすががありません」
「……平岡さんはどうしますか?」
陽一郎は、自分の方を向いて訊ねた伸夫に苦笑して見せた。
「私の苗字は、平富です」
「あっ!……これはすみません」
「構いません、良いんですよ。それで、サークルを組むことですが、私も少し、考えさせて下さい」
「そ、そうですか……。じゃ、じゃあ俺はこれで」
自分の失言を、一応悔いてはいるらしい。気が変わったらいつでもいってください、と云い終えると、伸夫はそそくさと広間を去って行く。その後ろ姿を見送りながら、憲次は首をかしげた。
「どうして急に、サークルだとか云って来たんでしょう?」
「さあ?」
陽一郎も肩をすくめる。「皆さん、自分が生き残るために必死になってきたってことでしょうか。ところで、佐々岡さん、どうしますか?」
「どうって、何がですか?」
「サークルです。今夜誰かと組みますか?」
「うーん、……」
憲次は腕を組んで考えた。「結局のところ、サークルを組むって、『この人に殺されるなら仕方ない』って思えるくらい深く信頼できる人間を選ぶってことだと俺は思うんです。正直に云いますと、そんなくらい信じられる人間を二人も見つけるのは、今の時点では難しいです」
陽一郎はまた苦笑した。
「そうですね。一晩安心して眠れるっていうのはありがたいですが、そのためにはそもそも、仲間二人が信用できないといけませんよね」
どちらとも、自分から口に出して云うことはなかったけれど、お互いにお互いを、サークルが組めるほど信頼していない、と思っていることは、憲次にも感じられた。
(まあ、お互い様だよな)
玄米茶を飲みきった憲次は、それを機に席を立った。
「俺も、タブレットとってきます」
「いってらっしゃい」
廊下に出ると、ちょうど広間に戻る小百合とすれ違った。
短い間にシャワーを浴びてきたらしい。髪の端から水滴がぽたぽた落ちて、肩に掛けたバスタオルに水玉模様を作っている。
「もうちょっと髪の水気切った方が良いんじゃないの?」
見かねた憲次が思わず云うと、小百合はきょとんと目をしばたたいた。
「別に邪魔にならないし、放っておけば乾く」
「風邪ひくぞ」
「ここは温かい」
「まあ、そうだが……」
それでも気になった憲次は、小百合のバスタオルを持ち上げて、髪をぬぐってやった。「あんまり濡れたままでいると、髪にもよくないぞ。せっかくきれいな髪してるんだから、もうちょっと気を遣え」
「うー……」
小百合は不満そうに声を漏らしたものの、特に抵抗せず、憲次の手に髪をゆだねてきた。
憲次の両手ですっぽりつかめてしまいそうなくらい小さな頭を丁寧に拭ってやりながら、憲次はこそばゆいような、妙なうずきを感じていた。
(たぶん、……)
彼女となら、サークルを組んでも、それがどんな結果になっても後悔しないだろうなと、そう思った。