02
「えっと、……」
気まずくなった空気を気遣ったように、陽一郎が話題を戻した。
「誰が人狼かそうでないのか、知ることができるのはただ一人、巫子だけだって話でしたね」
憲次はほっとして、その話題に乗った。
「一日につき一人だそうですね。問題は、人狼と同じく巫子も誰なのか、全く判らないことなんですが」
「巫子は、名乗りを上げれば即人狼の攻撃対象となり得る。それが判っていて名乗れというのは酷だろう」
小百合が云った。彼女が会話に再び加わってくれたことにホッとしつつ、憲次は続けた。
「人狼の攻撃を退けることができる猟師がいるだろ?猟師が守ってくれるって保証があれば大丈夫じゃないのか?」
「猟師が襲撃から守れるのも、一晩につき一人だけ。巫子を守っている間に自分が襲撃を受けたら、どうしようもない」
「巫子はともかく、猟師は自分だと公言する必要はないんじゃないか?守るべき対象である巫子が誰だかわかっていれば、それでいいはずだ」
「誰だか知らない猟師が、必らず自分を守ってくれると信じて、巫子は自分の命を危険にさらせるか?そうできるだけの信頼が、私たちの間には欠けている」
「……確かに」
憲次は唸った。他人事だから簡単に名乗り出ろなどと云えるが、実際に自分がその立場だったらと思うと、名乗り出ない彼らを責めることはできない。また、猟師は巫子を守るべきだ、と云うのは簡単だが、猟師本人にとってこれはかなり度胸のいる、難しい行為だろう。巫子を守ったがために、自分が殺されてしまっては、猟師にしてみれば本末転倒だ。猟師の気持ちとしては、せっかく自分が生き延びる力が手元にあるのなら、それを自分のために使いたいというのが正直な気持ちだろう。
ただ、そうして一人で縮こまっていても、人狼が毎晩着々と人を襲い続ければ、いずれどん詰まりの袋小路に追い立てられてしまうことになるのだが。
「そう云えば、あのイカレ帽子屋に、死んだのがどんな役割だったのか、聞くことはできないかな?」
憲次が思いついて云うと、陽一郎と小百合はなるほど、と感心した。
「確かめてみる価値はある。イカレ帽子屋は、自分が進行役であり審判者だと云っていた。ならばゲームの進行を助けることをしてくれる可能性は、ある」
小百合がふむ、と頷いた。
「ただ、確認は全員が揃っているときにした方が良いでしょうね」
陽一郎が云った。「イカレ帽子屋さんが、私たちの求めに応じて何度も同じことを云ってくれるとは限りませんし、伝聞なんて不確かなものでいらぬ疑念を作るのはよろしくありません」
「確かに、平富さんの云う通りですね。そうしましょう」
話題が少し途切れた。
と、小百合が空になったカップを持って立ちあがった。
「コーヒーのお代わりか?」
憲次が尋ねると、小百合は「違う」と小さく首をふった。
「お腹が空いたから、ご飯を作る」
「そうか」
「そう云えば……もうこんな時間ですか。結構話してましたね」
陽一郎が、自分の腕時計を確認しながら云った。
その後、陽一郎と二人で巫子に安心して名乗り出てもらう方法や、名乗り出てきた者が嘘をついていないか判別する方法はあるか、などと話し合ったけれど、さして有意義と思われる答え見つけられないまま終わった。
「部屋に戻って少し休息をとります。昨晩は、あまり寝付けなかったので」
という陽一郎を見送った憲次は、彼の分も洗うといって受け取った空のカップを持って、厨房に入った。
驚いたことに、憲次が陽一郎と話していたわずかな間に、小百合は複数の料理を作りあげていた。
「へえ、力永さんって、料理できるんだ」
憲次が思わず呟くと、皿に盛ったコーンスープに刻みパセリをちらしていた小百合は、小さく肩をすくめた。
「できないと思っていたのか?」
「あ、いやこれは、昨日からこれまで、力永さんが厨房に入っているところ見てなかったから思わず口に出ちゃっただけで、……だからええと、他意はないんだ。他意は」
「海老はあるがな」
シーザーサラダを目で示して、小百合が云った。
「は?」
「否、何でも無い。それより、一緒に食べるか?」
「良いのか?」
「多く作ったから。余裕はある」
そろそろ小腹がすいてきた自覚があった憲次は、素直に言葉に甘えることにした。
「じゃあ……ごちそうになります」
小百合が作った朝食メニューは、メープルシロップをかけたフレンチトースト、シーザーサラダ、それにコーンスープの3品で、どれも皆、素晴らしく美味だった。
「旨っ!」
「口に合って何より」
「すごい旨いよ!しかもこれ、全部一から作ったんでしょ?厨房にはスープの素とか出来合いのドレッシングとかなかったし。すごいなぁ!シーザーサラダって俺、店でしか食べられない物だと思ってた――」
フォークにさしたサラダの具材の一つ、海老をまじまじ見た憲次は、ふと先刻の小百合の言葉を思い出した。
「もしかして力永さん、さっきは、他意と鯛をかけて、それで海老とか云ったわけ?海老で鯛を釣る、の鯛?」
とたん、小百合の顔がぱっと紅潮した。
「え?マジ?力永さんって、もしかして結構ダジャレ好き?」
「ダジャレって云うな!」
真っ赤な顔で怒鳴った小百合は、照れ隠しのつもりなのか、憲次の前からサラダボウルを取り上げて抱え込んだ。「もういい!サラダは私一人が食べる!」
真っ赤なふくれっ面でサラダをかっ込む小百合は、子供のようで、かわいらしかった。なので、
「力永さんって、可愛い」
素直にそう云うと、小百合はさらに顔を赤くして、絶句した。
「か、……からかうな!」
「否、からかってなんかいないけど、……」
小百合ほどの容姿なら、これまで数えきれないくらい同じことを云われてきたのではないか、と云いかけた憲次は、熟れたトマトのように真っ赤な顔で、今にも倒れそうなくらい動揺している彼女を見て、口をつぐんだ。
既にいっぱいいっぱいの彼女をこれ以上動揺させるのもかわいそうな気がした憲次は、にっこり笑ってその話題を終えた。
「とりあえず、冷めないうちに食べちゃおうか。せっかく美味しいんだから、美味しいうちに食べよう」
小百合は見るからにほっとした様子で、頷いた。
作ってもらったお礼に、洗いものは自分がすると憲次が提案すると、小百合は特に異論を挟まず、
「じゃあ、頼んだ」
と頷いた。
てっきり小百合は自分の部屋に戻るのだろうと思っていた憲次は、空になった皿を運ぶ自分について厨房にやってきた彼女に、不思議な表情を向けた
「どうかした?」
「食後の飲み物を作る」
コーヒーメーカーを示して小百合が答えた。
「そうしたら、俺の分もセットしてもらえる?俺も飲みたい」
「わかった」
ほどなく、コーヒー豆が焙煎される香ばしい香りが憲次のところにまで漂って来た。
「俺の分は、そのままメーカーに入れておいて。こっちがすんだら自分でカップに注ぐから」
「わかった」
「そう云えば、コーンスープが鍋に余っているけれど、どうする?」
「どうするって……どうするの?」
「いや、とっておいて昼めしか夕飯の時また食べても良いし、そうでなければご自由にどうぞ、とか書いたメモを鍋に貼っておけば、誰かが食べると思う」
「じゃあ、そうする」
キッチン雑貨をしまってある棚からポストイットをとりだした小百合は、きれいな文字で憲次が云った注意書きを書いて鍋の蓋の目立つところに貼った。その後、てっきりそのまま出て行くかと思ったら、小百合は憲次の隣に来て、洗い終えた食器類を拭き始めた。
「俺がやるからいいよ」
「手伝う」
「そうか?」
ちらりと横目で様子をうかがったが、小百合は特に何か二心があるような様子ではなかったので、素直に言葉に甘えることにした。「じゃあ、頼む。ありがとう」
「どういたしまして」
しばらくは黙々と皿洗いの作業が続いた。と。
「初めてだった」
小百合が、ぽつりとつぶやいた。
「何が?」
「作った料理を美味しいと云ってもらえたの。嬉しかった」
「そうなの?」
憲次は思わず小百合の方を振りむいた。サラダボウルを抱え込んで拭いていた彼女は、うつむきがちになっていた。流れる紙を透かして見えた耳朶は、赤く染まっていた。
「意外だな。あんな旨かったのに。誰か……ええと、家族とかに作ったことはなかったの?」
憲次は3人兄弟の末っ子で、上には兄と姉がいるのだが、この姉が料理やお菓子作りにはまって、小学校の高学年の頃から彼女が大学に入学して家を出るまでしょっちゅう腕をふるってくれていたのだ。そのイメージで訊ねたのだが、小百合は小さくかぶりを振った。
「なかった。母は……早くに死んだから」
「そっか。それは……悪いこと云ったな」
小百合は肩をすくめた。
「昔のことだから」
「お父さんには?」
父親のことを出した途端、それまで小百合がまとっていた柔らかな空気が消え、元のように凍りついた冷たいそれに変わった。
「父はいつも忙しい」
「そっか」
それ以上聞きがたかい雰囲気を感じた憲次は、口をつぐんだ。
気まずい沈黙がしばらく続いた。
小百合はもはや憲次に話しかけようとしなかったし、憲次はそんな彼女にかける言葉を探しあぐねていた。
やがて最後の一皿を拭き終えた小百合は、自分の分のコーヒーをカップに注ぐと、無言で厨房を出て云った。
少し遅れて、憲次は自分の分のコーヒーを持って厨房を出た。自分も陽一郎のように、部屋で少し休もうか、などと考えながら歩いていた彼は、ビデオゲームに没頭している空我とは別のテレビで、ブルーレイ映画を観ている小百合に気がついた。液晶画面に映し出される風景に見覚えがあった憲次は、テレビに近づいて感嘆した。
「へぇ。『ショーシャンクの空に』か」
「知っているの?」
小百合は先刻の気まずいやり取りを忘れたように訊いてきた。憲次は頷いた。
「ああ。好きな映画のうちの一本だ」
「私も好き。時々、観たくなる」
「良いよな。何度観ても、新しい観方っていうか、感じ方が見つかって、その度に感動が見つかる」
「うん」
自然な流れで、憲次は小百合の隣に腰かけて一緒に映画を観はじめた。
鑑賞中、特に会話は起こらなかった。が、時折横目で様子をうかがってみると、小百合の感じ方は、憲次のそれにかなり近いようだった。
2時間半近い映画を観終えた後、憲次たちは色いろなこと話した。
好きな映画、本、最近観たドラマ、……小百合の好みはかなりの割合で憲次と合致しており、話していて飽きなかった。
昼時に差し掛かったせいか、入れ替わり立ち替わり、厨房へ入って食事の支度をする者が憲次たちの脇を通ってゆく。
「俺たちも、何か食べる?」
憲次に聞かれた小百合は、首を振った。
「私は、特にお腹は空いていない」
「実は俺もそう。……コーヒー、淹れ直してくるよ」
「うん」
憲次が空のカップを持って厨房へ向かうと、麻緒佳と鈴が出入り口から出てきた。どうやら今朝以来、すっかり仲良くなったらしい。
「ちょうど良かった」
見るからに柔らかそうなオムレツを上に乗せたチキンライスの皿を右手に、左手にはミネストローネをなみなみ注いだマグカップを持った麻緒佳は、憲次たちを見てそう云った。「ミネストローネ、作りすぎちゃったから、よかったらどうぞ」
「ごちそうさまです。ただ、俺たちもう食事はすませちゃいましたので、今は遠慮しておきます」
「あらそうだったの」
麻緒佳は時に気を悪くした様子もなく、鈴と一緒に去って行った。
厨房では、枝亜が、解凍した分厚いステーキを焼いている最中だった。
「すごい。豪華ですね。まあ、食事くらいは遠慮なくいただかないと、こんなところやって行けないですよね」
憲次は愛想良く話しかけたけれど、枝亜はとげとげしい目を彼に向けたきり、無視をした。どうやら虫の居所が悪いらしい。もしくは警戒しているのか。そう推測した憲次は、できるだけ彼女を刺激しないよう、距離をとってコーヒーを淹れることに専念した。
コーヒーが入るまでの時間が気まずく、妙に長く感じられた。
どうしよう、一度厨房を出て、コーヒーが入るだろう時刻を見計らって又着直そうか、などと考えているときに、小百合がすたすたと現れた。
「どうかしたの?」
ややほっとしながら憲次が訊ねると、小百合は淡々と答えた。
「確か、菓子もあったなと思いだした。思い出したら食べたくなった」
元々自分の方から他人に構うことをしない小百合は、枝亜のイライラした様子にも頓着せず、厨房のそこかしこを開けて回って、チョコレートやクッキーなどの菓子類を見つけてきた。
憲次たちがお茶の支度をしている間に、枝亜は焼き上がったステーキを用意してあった皿に盛り、ロールパンを3つとバタを添え、温めなおしたコーンスープをスープカップに盛ると、それぞれを長盆に乗せ、厨房を出ていった。
憲次たちが厨房を出たとき、食堂は無人だった。どうやら麻緒佳や鈴たちも、枝亜も、それぞれ自分の部屋で食べることにしたらしい。
テーブル席に座った憲次たちは、クッキーをつまみながらまたおしゃべりを再開した。
しばらくすると、やはり腹が空いたらしい伸夫が現れた。どうやら彼は料理ができないらしい。
「腹減ったなぁ……。誰か、飯作ってくれないかなぁ……」
食事スペースにやって来て、聞えよがしにそんなことを云ったけれど、誰も相手しなかったため、しおしおと厨房に入って行き、しばらく置いてカップラーメンとコーンスープ、そしてミネストローネを持って戻って来て、自分の時計で時刻を計りながら、もそもそと食べていた。
カップラーメンを食べ終えた伸夫が空屑を片付けないでその場に置いたまま食堂を出て行ってからしばらくして、疲れた顔の陽一郎が現れた。
「君たち、ずっとここにいたの?」
あまりよく休めなかったらしい、目の下に隈の浮いた顔をした彼は、憲次たちを見つけると不思議そうにそう云った。
「ええ。映画観たり、色々していたら時間が過ぎちゃって……」
「そっか。何観たの?」
しばらく立ったまま二人と雑談した陽一郎は、自分の空腹を思い出すと、食事の支度をしに厨房へ入って行った。せっかくなので憲次は彼にも、小百合のコーンスープを勧めたのだが、少しの後、戻ってきた彼の盆には、あいにくとコーンスープは見当たらなかった。卵サンドとグリーンサラダ、ミネストローネをのせた盆を持って憲次の隣に座った陽一郎は、憲次の視線に気がつくと、小さく苦笑した。
「さっき佐々岡さんが進めてくれた、力永さんのコーンスープ、全部なくなっていたよ。残念だね」
「また作る」
小百合が云った。
「その時には、ぜひお相伴にあづからせてください」
陽一郎が真面目に頭を下げる。それをまた小百合が真面目に受け取って応じる様子が面白くて、憲次はつい、噴き出した。
何故笑うのかと、きょとんと不思議そうに自分を観る二人がおかしくて、憲次はまた笑った。
こんなときでも笑えんだなと、笑いながら少し驚いた。