08
「案なら、ある」
その場にいた全員が、小百合に注目した。
「案って……今夜の投票に関してのこと?」
憲次が思わず訊ねると、小百合は、ほかに何がある、と平坦な口吻で返した。
「えっ、でも……それって、だれが人狼なのか判るってこと?」
「違う」
「じゃあどうやって投票する相手を選ぶんだ?」
「巫子が人狼を選別するまで、投票で決めなければいい。それだけのこと」
「それだけって……投票は絶対することって、ゲームルールにあるけど」
憲次がタブレットを確認して云うと、小百合は頷いた。
「投票はする。けれど、決めない」
「どう云うことだ?」
「タブレットのルール説明には、毎晩の投票では、最大票数を獲得した人間ひとりが処分されるとある。最大票数を獲得した人間が複数人いた場合は、彼らの間で決選投票を行って一人を決めるとも。ならば意図的に最大票数を複数人が獲得する状況を作り出せばいい。投票時間は10分間。10分間をそうして乗り切ればいい」
「そんなこと、できるのか?」
「理論上は可能なはず」
「なるほど、……確かに」
一理ある、と思った。周囲をうかがうと皆同様に納得の表情を浮かべていた。
「じゃあ、それを試してみるか?誰と誰に票を集める?」
「投票は、各人が自分に入れる方が良いと思う。誰も、自分の所に多くの票が集まるのを見るのは不快だろうし、万が一、事故でも生じて一票でも偏りが出たら、この計画は破たんする。ならば最初から各人が自分の所へ票を入れることにすればいい」
「そうか。……皆さん、それで良いですか?」
憲次が尋ねる。誰からも反論は戻ってこなかった。
「じゃあ、そう云うことで。皆さん投票では自分に投票するということにしましょう」
ほどなく、指定の時刻となった。
憲次が見つめる中、タブレットが自動的に動き始め、『投票』、という見出しのついた画面が現れた。
中央部に上下2段に区切られた長方形があり、上段は7分割、下段は6分割されてあった。区切りの内部は、どうやら各人の部屋割と同じ配置になっているらしい、部屋番号と同じ数字が振られ、それぞれの顔写真を使ったアイコンの下に名前が記されてある。
12番太仁光の欄は、暗くなって『選択不可』と云う文字が判子風に捺してあった。
『人狼だと思う方のお部屋をタッチして、選択してください』
という但し書きの下にカウントダウンタイマーがあって、1分からコンマ秒刻みで減り続けていた。
「つまり1分以内に投票しろってことか」
投票しないでいるとどうなるのだろう、ふと思ったが、とりあえず危険なことはしたくないので、大人しく自分の欄に触れて、投票する。
『佐々木憲次 ⇒ 佐々木憲次 確定しますか? YES NO 』
と云う表示が出たので、YESを選択する。
次の瞬間、07佐々岡憲次という部屋の下の方に、小さく07佐々岡憲次と云う文字と彼の顔写真アイコンが現れた。
どうやらこれは、誰が誰に投票したのかも一目で判るシステムらしい。
(これはまた……露骨だな)
場合によっては、その後の人間関係に齟齬が起こりかねない。どうやら運営側は、とことん参加者たちがもめるのを見たいらしい。そんなことを思いながら画面を眺めていた憲次は、目を見張った。
自分に投票した者がいる。
光代だった。
弾かれたように顔を持ち上げてみれば、光代は、にやにやと勝ち誇った表情で憲次を見ていた。
「何しやがる、このババア!」
「だって、あんたが人狼でしょ」
「……ンだと!」
憲次に睨みつけられた光代は、おおげさに震えて見せた。
「ああ、怖い怖い。あたしは殺されたくないからね。だから自分が人狼だと信じた奴に投票しただけだよ。……ほら、さっさと死になさいよ、人狼!」
「……このっ!」
思わず立ち上がって殴りかかろうとした憲次の脇から、小百合が手を伸ばしてタブレットを取り上げた。
細い指で画面を素早く操作する。瞬く間に、憲次の欄にあった憲次の名前が消え、光代の欄に移った。
「時間内なら、何度でもキャンセルおよび再投票が可能。きちんと注意書きを読む」
そのとき、規定時間が終了したという信号音が鳴り響いた。
憲次は怒りに全身を震わせながら、小百合が差し出すタブレットを受け取った。画面には、
『最大票数を獲得したものが複数人でたため、最投票を行います』
と大きく見出しがあった。
企てが失敗した光代は、ちっとおもしろくなさそうに顔をしかめて舌打ちする。そんな彼女を、憲次は慄える指で差して云った。
「伊東光代の排除を提案する。彼女は、私情に駆られて一同の合意を破った。彼女を野放しにしておけば、今後も自己の身勝手な感情を優先させて、集団行動を乱すことは必至である。その被害を被りかけたのは、今回は私だが、今後、この場にいる誰もが彼女の身勝手な行動によって多大な被害を受ける可能性が高い。我々が今後生き延びるために、彼女は不要であるばかりか、害悪である。よって、私は彼女の排除を提案する」
「何――!」
激昂する光代に構わず、憲次はさっさと彼女に投票した。
「何すんのよ、このガキが!」
すかさず憲次に投票した光代は、ついで左右の隣に座る鈴や麻緒佳に命令した。「ほら、あんたたちもぐずぐずしないで、さっさとこのガキに投票しなさいよ!このガキが人狼に決まってるんだから!」
「そうですね、……」
麻緒佳は静かにため息をつくとタブレットに指を走らせ、
光代に投票した。
「な――!」
絶句する光代を麻緒佳は静かに見つめ返し、
「あなた、食べ方がすごく汚いんです。私、食事の作法がなってない人は本当に嫌いなんです」
しみじみと云った。
麻緒佳の投票が呼び水になったように、光代の欄には次々と票が集まる。鈴、美沙、護、枝亜、空我、多江、伸夫。
気がつけば、それぞれ自分に投票した陽一郎と小百合の他は全員が、光代に票を入れていた。
『決定。伊東光代:処刑』
ポーン、と軽やかな電子音が響いて、票決したことを知らせる。
と同時に、光代の表情が変わった。
首輪が閉まり始めたのだ。
「あ、やだ……やだやだやだ!死にたくない!あたしはまだ死にたくない!」
光代は泣きわめいて首輪と首の間に手を入れようとする。が、最初から隙間なく着けられていた器具相手に、そんなことをしても無駄だった。
「死にたくないよう!」
涙と洟で顔面をぐちゃぐちゃにしながらもがいていた光代はやがて、「ぐぇぇぇぇぇ……」とカエルが潰れるような声しか漏らさなくなり、……そしてそれさえ出せなくなった頃、身動きを止めた。
もがき苦しむ光代を見下ろしているうちに、憲次の頭から激昂が去っていった。
代わりに彼を支配したのは、激しい後悔と動揺だ。
(俺は……何て事をしてしまったんだ)
深く考えずにその場の勢いや流れで投票するなとあれほど云っておきながら、結局そうしてしまった。しかも自分が主導して。意図的に、ひとひとり殺してしまったのだ。
(俺は、殺人者だ)
人殺しに、なってしまった。
今までの自分とは決定的に違うものになってしまった。そんな恐れが全身を震わせる。
(どうしよう……)
ポンと肩をたたかれた。
振り返ってみると、陽一郎が、心配そうな表情で立っていた。
「あと5分で22時です。部屋に帰らないと、ペナルティを受けますよ」
見れば、もう他の物は各自部屋に戻ったらしい。部屋にいるのは憲次たちと、小百合だけだった。
22時には自分の部屋にいなければいけないことをすっかり忘れていた憲次は、素直に頭を下げた。
「あ、……ありがとうございます」
「帰る前に、伊東さんを移しましょうか」
「そうですね」
光のときと同じく、陽一郎が光代の腋に腕を差し込み、憲次が両足を持って持ち上げ、二人のタブレットも預かり持った小百合がドアを開閉し、光代の身体を彼女の部屋まで運んだ。
彼女が履いているストッキング越しに感じられる光代の体温の名残が、憲次の気持ちをさらに冷え冷えと冷えつかせた。