07
部屋に戻った憲次は、シャワーを浴びることにした。割り当てられた部屋に付属している浴室は、憲次のアパートのそれより格段に広くて設備も良かった。とはいえ、
(ここも、あいつに見られてるんだろうか)
そう思うと何をするにも嫌気がさしたけれど、身体を洗わないわけにもいかない。見たけれりゃ見れ、このヘンタイが!と半ばヤケの気持ちで髪と身体を洗い、脱いだ服と使ったバスタオルを洗濯乾燥機に突っ込んでスイッチを入れた。
チェストに用意されてあった洋服類は、下着に至るまで全て新品で、サイズもぴったりだった。
(どこまで俺のことを調べてるんだよ)
その手間ヒマと、そこにかかったであろう膨大な経費を思った憲次はめまいを覚えた。
適当な服を身につけて、タブレットに表示された時刻を確認すると、21時過ぎだった。しばらくベッドでごろごろしたり、バックパックの底に入れてあった文庫本をめくったりして時間を潰していたものの、どうしても落ち着かなかった憲次は、タブレットを持って部屋を出た。
広間に行くと、同じく落ち着かなかったのだろう数名が、手持無沙汰な様子でそこかしこに散らばっていた。
人数がいても、誰も会話しようとしていないのは、やはり互いに警戒しているからだろうか。
小百合は、本棚の前にクッションを持ち出して座り、我知らぬ顔で厚いハードカバーを読んでいる。
陽一郎は、娯楽スペースのほぼ中央に置いてある安楽椅子に腰かけて、心配顔で物思いに沈んでいる。
鈴は、憲次がシャワーを浴びている間に作ったのだろう、食堂スペースの片隅でパスタを食べていた。
空我は、何かを振り切るようにビデオゲームに没頭しており、無表情で手だけ激しく動かして、時折「やった!」「くそっ!」などと呟いている。
護は、そこいらをうろうろと歩きまわりながら、誰へともなく、「やっぱさぁ、俺思うんだけれど、このゲームって、……」などと得々と語っていたが、誰も耳を貸さない。
伸夫は、やはり食堂スペースの片隅でカップ焼そばをすすっていた。
憲次は、食堂と娯楽スペースの境、古時計の前に立つと、
「皆さん、」
声を張り上げた。
その場にいる全員の目が集まっていることを意識しながら、憲次はゆっくりと、大きな声で語った。
「皆さん、全員で話し合いませんか?」
「全員で?」
陽一郎がいぶかしげに聞き返す。憲次は大きくうなずいた。
「あと30分もしたら、最初の投票時間になります。それまでに、誰が人狼役なのか、みんなで話し合いませんか?」
「どうして?」
そう訊ねたのは、鈴だ。オリーブオイルでつやつや濡れた唇をちろっと舐めて、彼女は質問を続けた。「全員で、ってことは中に人狼が混ざったまま話すってことでしょう?人狼は絶対、自分がそうだってことを知られたくないはずよ。だって、知られるのは自分が死ぬってことなんだもの。絶対話し合いの邪魔をするわ」
「けれど、話し合わなければ、何も判りません。判らないまま、投票しますか?人狼でない人をそれで殺してしまっても、あなたは後悔しませんか?」
「それは……」
鈴の顔が曇った。
「それに、誰が人狼であるか深く考えないまま、その場の流れや勢いで投票するということは、自分に票が集まってしまう可能性もある、と云うことなんですよ」
鈴はもちろんのこと、この会話を耳にしていた全員が、顔をこわばらせた。元々そのことを考えていたにしろ、今指摘されてその可能性に気づいたにしろ、それは確かに看過できない可能性だった。
「他の人たちを呼んできます」
陽一郎があたふたと立ちあがった。
「できたらタブレットを持ってくるよう、云ってください。話合いにどれくらいかかるか判りませんが、もしかしたら投票時間にかかるかもしれません」
云ってから、その場にいる全員にも告げる。「皆さんも、タブレットを持ってきてください」
皆、深刻な表情で頷いてそれぞれ部屋に戻っていった。
数分で、全員がそれぞれ手にタブレットを持って広間に集まった。
どこで話し合うか、少し迷ったものの、食堂スペースは、光代や鈴、伸夫達が食べ散らかしたまま、汚れた食器類が残っていて汚かったので、娯楽スペースの方で、車座になって座ることにした。
「それで、誰が人狼か、と云う話ですが――」
呼びかけた都合上、憲次が口火を切って云いかけると、光代が鋭く遮った。
「アンタでしょ!決まってるじゃない!」
指差された憲次はムッとしたものの、しいてその感情を押し殺して、穏やかな口調で訊ね返した。
「どうしてそう思うのですか?」
「生意気だからよ!」
「生意気、と云うのはこの場合、あなたに迎合しない、あなたの意に沿った言動をしない、という意味に捉えてよろしいですか?あなたは、あなたを持ち上げてチヤホヤお世辞を云わない人間は全て人狼だと決めつけるのですか?」
「はああ!?勝手に決め付けないでよ!そう云う云い方が生意気だって云ってるの!」
光代はドスンドスンと足を踏み鳴らして暴れた。「とにかく、アンタは人狼なの!人狼って決まってんのよ!」
「だから、そう思う根拠を挙げてください」
「そんなの、あたしの勘よ!」
「論拠を他者に説明できない主観的な認識は、この場合証拠になりません」
「うるさい!そう云う云い方が生意気なのよ!ガキの癖して!」
光代が野太い声を張り上げる。その直後、一瞬降りた静寂を突いて、憲次ではない、別の声が呟いた。
「人のことガキガキ云うくせに、自分がババアって云われると怒るんだ」
小百合だ。
その脇では、護が「ぶはっ」と、いかにもおかしいことを聞いたというように噴き出して、手を叩いて喜んでいる。
「なんだって!?」
光代に睨まれても、小百合は悪びれず、怯えもしなかった。
「だってそうだったから」
光代は絶句した後、怒りで真っ赤になった顔でわめき散らした。
「どいつもこいつも、人のこと馬鹿にしやがって!判った、あんたも人狼だね!」
「語るに落ちた」
「はぁあ!?」
「今、私はあなたをわざと怒らせた。とたん、あなたは私のことも人狼だと決めつけた。つまりあなたは、自分が気に食わない人に対して、悪口と同じ感じで『人狼』ってレッテルを貼っているだけ。あなたが人狼だって主張することに、根拠はない」
「何云ってるんだよ、人狼の癖に!」
「あなたはもう黙ってて。うるさいだけで、話が全く進まない」
「ひとに黙れって、あんた何様のつもり!?」
「まあまあまあ、」
陽一郎が光代の前に立ってなだめた。「伊東さんも、皆さんも、ちょっと興奮してしまいましたね。まだ投票の開始時刻まで20分ほど時間がありますし、ちょっとお茶でも入れて、小休憩しませんか?」
「そうですね」
憲次は頷いた。話し合いがここまで感情的になってしまったら、そのまま続けるのは難しい。
(しかし、……話し合いは難しいかもしれないとは思っていたけれど、これは予測以上だな)
問題は、光代だけではない。話し合いをする意思があるのかないのか、俯いたまま、外部に対して反応全く見せない枝亜、おどおどとした表情で成り行きを見守るだけの空我、美沙、鈴、伸夫。発言者の意図を考えようとせず、その場その場のノリではやし立てることしかしない護。彼らは、この状況を打破するためには、自分たちが考えて判断し、動かなければいけないのだと、理解していないように思われる。
辛うじてそのことが判っているらしい陽一郎や麻緒佳は心配そうな表情をこちらに向けてくれていたけれど、だからといってそれ以上の手助けを期待するのは無理というものだろう。なにぶん彼らには、憲次が人朗ではないとはっきり断定できるだけの根拠はないのだ。
憲次はこっそりため息をついた。
床に座って飲み物を飲むのもなんだから、と陽一郎が云いだして、一同は食事スペースに映ることにした。汚れた食器や食べカスは、憲次と陽一郎、麻緒佳が取り急ぎ厨房へ運び込んだ。この短い間に、何となく動く人間が決まってしまったようだ。憲次たちがてきぱきと飲み物の支度をしている姿を尻目に、他の面々は思い思いの席についてぼーっと待っている。
護は、小百合の座る席の隣に座り、にやつく顔を近づけてなれなれしく話しかけていた。
「いやあ、さっきはすごかったね。キミって、若いのに凄いねぇ。そう云えば俺、さっき何か食べるものないかって厨房を探したとき、酒見っけたんだ。すごいんだぜ。高い酒ばかりがずら―って並んでるの。君、ナポレオンって銘柄飲んだことある?俺いつも呑んでんだけど、あれ旨いよねー」
さり気なく小百合の肩を抱こうとしていた護は、彼女の冷たい眼に射すくめられて、硬直した。
「違う」
「は?」
何を云われたのか判らないと、細い垂れ目をしばたたく護に、小百合は淡々と続けた。
「ナポレオンは、銘柄ではない。ブランデーの熟成年数を指す記号。1811年に、当時のフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトに初の男子が生まれたことと、ブドウの豊作を記念して、その年にできたブランデーをナポレオンと名付けたのが始まり。以来、優良なブランデーにナポレオンの名前を使うようになった。だから、メーカーによって何種類ものナポレオンがある」
「へ、へぇ……そうなんだ」
「こんなの、ちょっと洋酒のことを調べたら誰でも知っていること」
淡々と話す小百合に、憲次は心の中で「Good Job」を送った。が、云われた当の護は、気分を害した表情で、乱暴に椅子を蹴って立った。
「そうかいそうかい。そりゃ、知らないで失礼しましたね!」
……たく、やっぱ二十歳超えた女は生意気な奴らばっかだなぁ、と聞えよがしに呟いた彼は、次は枝亜の隣に席を移した。
「ねえねえ、君って専門学校生だってさっき云ってたけど、何歳?専門学校で、何を勉強してるの?料理?」
話しながら、枝亜の背中を流れる長い髪を触りまくる護に、枝亜は強く拒絶もできず、ただ弱弱しく
「止めてください……」
と涙声で呟くことしかできないでいる。
(仕方ないなぁ……)
憲次がそちらへ向かうより一瞬早く、陽一郎が二人の間に割り込んだ。
「お待たせしました。お茶です。どうぞあがってください」
にこにこ、邪気のなさそうな顔で護の前に紅茶を置いた陽一郎は、そのまま枝亜の椅子を奪い取り、自分が座って辺りを見回した。「これで皆さんにお茶が行き渡りましたね?それじゃあ、飲みながら話し合いを再開しましょうか。……あ、毛里さんもどこか空いた席を見つけて座ってくださいね。はいこれ、あなたの分の紅茶です」
「……ありがとうございます」
枝亜は、心の底からほっとした表情で礼を云うと、そそくさと、彼らから一番離れた席に移って行った。
「それで、誰が人狼か、と云う話ですが……」
その場の流れで陽一郎がまずそう云うと、彼の隣でおもしろくなさそうに顔をしかめていた護が云った。
「明日になれば、解るんじゃね?」
「それは何故ですか?」
「だって、あのイカレ帽子屋が云ってたじゃん。俺たちの中には、誰が人狼なのか見抜く能力を持った巫子がいるって。そいつが見抜けばいいってだけの話だろ?」
なるほど、そうだった――とその場に安堵の雰囲気が流れる。が。
「だめだ」
憲次は敢えて云った。
「何がダメなんだよ?」
護がムッとした表情で訊ねる。憲次はかぶりを振った。
「巫子のことは、俺も考えました。でも、巫子が確認できるのは、一晩につき一人だけと、先ほどイカレ帽子屋は云っていました」
「それがどうかしたのか」
「一晩につき一人です。任意に選んだ一人が人狼である可能性は――今現在の人数で計算すれば、12分の2。16%強です。明日確実に誰が人狼なのか判っているとは云い難い状況で、それを頼みにするのはあんまり無謀です」
「じゃあどうするんだよ?アンタ何か考えがあんのかよ?」
「いいえ。残念ながら」
「じゃあ文句云うなよ」
「しかし、小泉さんのおっしゃっているのは明日の話です。今日の投票はどうするのですか?」
「ひとに聞いてばかりでなくて、あんたも考え聞かせろよ。あんたは何か良い考えがあるのかよ」
「それは……」
憲次が言葉に詰まると、護は勝ち誇った表情でせせら笑った。
「何の代案も出せねぇ癖に、偉そうに人様の云ったことに文句つけんじゃねーよ、ボクちゃん。……ったく、ちょっとイイ大学行ってるからって、思い上がんじゃねーっつーの!」
憲次がムッとした、その時。
「案なら、ある」
小百合が静かに云った。




