06
モニタ画面が切れても、しばらくは誰も動かなかった。
今しがた云われたことを頭の中で咀嚼して理解しようと、恐怖で凍りついた思考を必死に回そうとしている様子が、傍からも見て取れた。時折おどおどと、探るような視線を周囲に巡らせるが、それだけ。けして自分から口を開こうとはしない。稀に誰かと目があっても、弾かれたようにパッとそらす。自分以外のだれもが、自分を殺す人狼に思えて仕方ないと、その怯えた表情は語っていた。
それは憲次も同じだった。誰に、何を云ったらいいのか判らない。冷たく冴えた表情で何事か考え込んでいる小百合も、険しい表情でモニタ画面を睨んでいる陽一郎も、考えれば考えるほど疑わしく思えてくる。
(ヤバい)
どうしたらいいのか判らない。何をすればいいのか分からない。
息苦しさを覚えて襟元に手をやると、指先に硬い感触が当たった。首輪だ。体温でぬくもっているため、ともすれば存在を忘れがちになるが、今のように、何らかのはずみで触れるととたんに存在を主張する。鬱陶しいことこのうえない。
(どうしよう……)
そんなことをぐるぐると考えていると。
不意に、
ボーン、ボーン、ボーン、……
と大きな音が響き渡った。古時計の鐘の音だ。
見ると、広間の一角に据えられた大時計が7時を示していた。クラシカルな文字盤の一角に開いたサン&ムーンの窓から月の面が出ていることから見て、今は夜なのだろう。
時刻が解った途端、急に空腹を覚えた。
憲次はふらりと立ち上がり、厨房に向った。引きとめたり、どこへ行くのかと尋ねる声はかからなかった。
厨房は、プロ仕様の設備が整っていた。
ステンレスの調理台のほか、作業台の一角は大理石になっているところまである。
IHの過熱台は6口あり、対応する鍋類は各種大きさが揃っている。種類は寸胴や片手鍋の他、圧力なべもあった。包丁も、菜切、肉切、刺身等、和、洋両種が専用の包丁スタンドに整然と入れられて揃っている。
調理機としては、オヴンはもちろん、電子レンジ、ミキサ、果てはコーヒーショップにあるようなコーヒーマシンまであった。スイッチを入れると、生豆をその場で焙煎して挽き、ドリップしてくれるあれだ。コーヒー党を自任している憲次としては、ちょっと嬉しくなった。
壁の一角を占める大型業務用冷蔵庫を開けると、生鮮食品がぎっしり詰まっていた。
白菜、茸、蓮根、春菊、カリフラワーなどといった旬の青物のほか、洋ナシ、イチゴ、りんご、みかんといった果物もあったし、卵や牛乳、生クリーム、バタといった酪農製品、豚や牛、鶏肉の塊もあった。また、トリュフやキャビアなんて、これまで本で見たことしかないような高級食材まで大量に揃っていたのには仰天した。
冷凍庫を開けてみれば、霜の刺しがすごい牛の塊肉や、大トロだろう刺身の柵、伊勢海老、フォアグラ等が、ぎゅうぎゅうに詰まっている。
戸棚には、各種調味料の他、カロリブロックやカップラーメン、インスタントラーメンの袋まで各種大量に揃えてあって、冷蔵庫の高級食材との落差に、憲次は少し笑った。
当然のことながら、外へと通じるような出入り口はどこにも見当たらなかった。これは、ここに入るために通り抜けてきた広間も同様だ。窓ひとつない空間に閉じ込められていると思うと、そこがたとえかなり広い場所であろうと、圧迫感を覚える。
冷蔵庫付近の床に一か所、80センチ四方の四角い、引上げ式の扉があったので、もの凄く期待して開けたのだが、残念なことに、ジャガイモやサツマイモ、山芋や大根といった根菜類が整然と置いてあるだけの、狭い地下貯蔵庫だった。当然床にも壁にも仕掛けは見当たらない。
(脱出できるような出入り口は、無いのかな?)
もしかしたら、使っていない個室の方にあるのかもしれない。いずれ機会を見て探索してみよう、と憲次は心に決めた。
とりあえずの捜索が済んだ憲次は、当初の予定通り、夕食を作ることにした。
自分が作れる料理を考え考え、それに使う素材を取り出していると、
「何を作るの?」
と訊かれた。
振り返ってみれば、入口付近に麻緒佳が立っており、憲次の手元を見ていた。憲次は、キャベツの外葉をむしりながら、静かに答えた。
「手っ取り早く、肉野菜炒めを作ろうと思いまして」
「そう。一緒に作って良い?」
「構いませんよ。……ついでに味の監修とかしてもらえると助かります。俺、いつも『何とかの素』って出来合いの調味料しか使ってないので、一から味決めるの苦手なんです」
何でも揃っているようでいて、この台所にはそういった各種味付けの素は用意されていなかった。現代日本の台所には大抵置いてあるだろうカレールーもない。カレー粉はあったが、カレールーを使う以外のカレーのレシピを知らない憲次は、だから最初に思いついたカレーの作成は諦めたのだ。
「今は便利な製品がたくさんあるものね」
ふふっと、ため息のような短い笑いをこぼした麻緒佳は、流しで手を洗うと、最初に憲次がしたように冷蔵庫を開けて中を確認し、いくつか食材をとりだした。
「そちらの肉野菜炒めを少し分けていただける?そうしたら、私がこれから作るおかずも分けるけれど」
麻緒佳の提案に、憲次は一も二もなく頷いた。
「そうしてもらえると、うれしいです」
「じゃあ、私はお味噌汁とおほうれん草のおひたしと、それに大根と烏賊の煮つけを作ろうかしら。ご飯は、時間重視でお鍋でたくことにしましょう」
「鍋で炊けるんですか?」
「ええ。ここには圧力鍋もあるし。水加減さえ注意すれば、簡単よ」
麻緒佳は慣れた手つきで手早くかつ段取り良く調理を進めて行き、憲次があたふたと、なんとか豚バラ肉と野菜の炒め物を作ったときには、先に云った一汁二菜を作り終え、まっ白いご飯も炊きあげていた。
出来上がった料理を皿に盛って、食堂に運ぶ。
憲次が調理場に引っ込んでいた間に、自分の部屋に帰ったのだろう、広間はずいぶん人が減っていた。残っていた人たちも、憲次と麻緒佳が食事の乗ったトレーを運んで現れた時にちろりと、興味の薄い眼をよこしたきり、積極的にかかわってこようとしない。
否、ひとりだけ例外がいた。
「ふーん。食事、できたんだ。まさか毒とか入れてないでしょうね」
低い鼻をひくひくひくつかせながら、光代は当然のように、憲次が皿を並べた席に着こうとした。その態度が癇に障った憲次は、さっと皿を取り上げた。
「何すんのよ!?」
ぎっと睨みあげる光代を、憲次は冷たく見返した。
「俺は、あんたのおさんどんではありません。料理はたくさん作ってありますから、その気になったら自分でよそって持ってきてください」
「生意気云わないでよ、ガキの癖に!」
「年齢だけ重ねて、他人を尊重することも知らない老人よりましだと思いますよ。そもそも俺とあんたは、同じ『ゲーム』の参加者でしょう。立場は同じはずです」
「老人――!」
わざと憲次が云ったその言葉に、光代は激昂した。「解った、あんたでしょう!あんたが人狼なんでしょう!人殺し!今夜の投票を覚えておきなさいよ!」
大声で怒鳴り散らして立ちあがった彼女は、そのまま広間を出て行くかと思いきや、厨房へ駈け込んでゆき、当てつけのように残った料理全部をさらって戻って来た。その時には既に食べ始めていた憲次と麻緒佳が座る席からよく見える場所に座ると、がつがつと汚らしく食べ始める。
盛大に食べこぼしながらくちゃくちゃと食べ散らかす光代の食事の様子をちらっと見た麻緒佳は、嫌悪もあらわに眉をひそめた。
「あのひと、私の姑に似ているわ」
「そうなんですか?」
麻緒間の左薬指にはまる指輪を確認しながら憲次が訊ねると、麻緒かはええ、と頷いた。
「ええ。姑も食い意地が張っていて、意地汚くて、食べる作法がものすごく醜い人なの」
食べる作法が汚いって嫌よね、その人が生きてきた人生そのものが貧しくて汚らしく感じられるわ、とこぼした麻緒佳は、憲次をみて目元を和らげた。「あなたはきれいに食べるのね。お箸の使い方もきれいだし。良いことだわ」
「両親が、作法にうるさいんです」
「良いご両親ね」
「ありがとうございます」
麻緒佳が作ったジャガイモと玉ねぎの味噌汁を食べながら、憲次はふと、家族のことを思い出した。
(俺が死んだら……みんな泣くよな)
両親や兄姉を思い出して、少ししんみりした。
「あなたは、怖がらないのね」
不意に麻緒佳が云った。
「怖がらないって、ゲームのことですか?怖いか怖くないかで云ったら、怖いですよ、もちろん。これからどうなるんだろうかって本当にびくびくしています」
「そう?その割に、先ほども伊東さんに対してきっぱり云っていたじゃない?彼女、すごい怒っていたわ。ああいう人って、自分はずけずけ云うくせに、人から同じように云われると激怒するのよね。自分は飾り気のない性格で、悪気なく云っているからいいんだって、本気でそう思いこんでいるの。彼女、きっと今夜の投票であなたに入れるわよ」
「あー、……」
こっそり様子をうかがってみると、光代は相変わらず、憲次たちの方を凄まじい表情で睨みつけていた。
「正直云うと、あの時はそんなこと、頭になかったです」
「そうなの」
麻緒佳は驚いたように目を見張った。「やっぱりあなた、落ち着いているんだわ。もしくは変わってる。私を含めた皆は――実際にそう話しあったわけではないからこれは推測だけれど――誰かほかの参加者の怒りや恨みを買わないようにって、まずそのことを考えてしまう。誰かの恨みを買うってことは、その日の夜、自分に投票が集まるかもしれないってことなんだもの」
「そんな!誰かが気に入らないから投票するなんてことをしていたら、いつまで過ぎても人狼は見つからないし、ゲームもクリアできないですよ」
「そうね。冷静に考えればそうだわ。けれど、感情的に動く人はそうじゃない。誰かが気に入らない。気に入らないのはその人が人狼だからだ。じゃあ、その人に投票しよう。そんな風に考えるの。ややこしいことに、その人にしてみればその思考法は順当なものなの。だからこそ、みんな積極的に他の人と交わろうとしない。そうよね。みんな今日初めて会った人たちなんだもの。一体何が相手の逆鱗に触れるか、まるで見当がつかないわ。怖くて言葉を交わそうだなんて思えない」
「そのわりに、あなたは僕に話しかけてくれましたね。話してくれたばかりか、こうしてご飯も一緒に食べて、今は忠告までしてくれる」
何故ですか、と目で訊ねると、麻緒佳は少し困ったようにほほ笑んだ。
「なんか、疲れちゃって。元々疲れていたんだけれど、ここに来てこんな大事件に巻き込まれて、もうわけが判らなくなっちゃったの。それで、落ち込んだり、気持ちが混乱したとき、私は料理するの。料理していると、何となく落ち着くし、美味しいものを食べると気分が晴れるでしょう。だからさっきもそうしようって、調理場に行ったらあなたがいたの。あなたも料理で気分転換するひとなのかなぁ……って、勝手に親近感を覚えたのよ」
「なるほど。そうだったんですか」
「ええ。そうだったの」
食事を終えた麻緒佳は、「お先に、」と憲次に断って、汚れた皿を持って調理場へ入っていった。五分ほど遅れて憲次が行くと、麻緒佳は洗い物を終えており、入れ違いに出て行った。
流しで一人、自分の分の皿を洗いながら、憲次は麻緒佳から云われたことを思い返した。
好き嫌いで、投票する人がいる。
(つまり、俺たちが持ってる投票権は、実質自分の好悪や都合で他人を殺すことができる力なんだ)
そうするためには最大得票数を集めなければいけない、という縛りはあるが、突き詰めればそう云うことだ。
もともと、投票によって「人狼だ」と決め付けられた人間は、その正否に問わず処分されるという冷酷なルールではあったが、そう考えると、この「ゲーム」が更に冷酷で恐ろしいものに思えてきて、憲次はぞっと、背筋を慄わせた。




