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汝人間なりや否や  作者: killy
一日目 午後
10/31

04

 恐怖と混乱が支配した広間を、イカレ帽子屋は冷然と見下ろした。


『こんなことになっちゃって、ちょっと落ち着く時間が必要だよね。うん。ゲームの説明するのは、今から30分後にしよう。それまでにみんな、落ち着いていてね。ゲームのルールをきちんと聞いて覚えないと、ペナルティだからね』


 ペナルティ、という言葉にびくっと怯えた参加者たちに満足そうにほほ笑んだイカレ帽子屋は、


『じゃあね。また30分後』


 小さく手を振った。

 と同時にモニタがぷつんと暗転する。

 知らないうちに息を詰めていたらしい。憲次は全身を絞るようにして、大きく息を吐きだした。

 見回すと、誰もが呆然とした表情で宙を眺めている。きっとはたから見た自分もそうなんだろうなと、憲次は身体から半分乖離したような意識の片隅でそう考えた。

「何だよこれ……」

「嘘でしょう……」

 ぶつぶつ呟いて放心する十余名たちを呆然と眺めていた憲次は、中に例外的に平静を保っている人間がいることに気がついた。

 陽一郎と小百合だ。

 職業柄、人間の死に慣れているのだろう、陽一郎はポケットから取り出したハンカチを広げて光の顔に掛けてやると、手を合わせてぶつぶつと、般若心経を唱え始めた。

 小百合は、そんな彼と、光の身体を挟んで反対側に膝をつき、ハンカチで隠された光の顔を確かめようとした。が、それに気づいた陽一郎に、すかさず手を掴まれて止められる。

「止した方が良いですよ。若いお嬢さんが見て気持ちの良いものじゃないです」

「……そう」

 小百合は、何を考えているのか伺い知れない、感情の消えた眼でそんな陽一郎とハンカチをかけられた光の顔を少しの間見比べた後、肩をすくめた。「ならいい」

 陽一郎は、立ち去る小百合を心配そうな目で眺めやった後、室内をきょろきょろと見まわした。

 彼と目があった憲次は、一瞬ヤバい、と身構えた。案の定陽一郎は、

「佐々岡さん」

 そう憲次を手招きした。

 気が進まないながらも憲次が傍まで行くと、陽一郎は心もちひそめた声で相談した。

「彼をいつまでもここに置いておくのは、よくないと思うんです。見ていて気持ちの良いものではありませんし、実際問題時間が経過すれば死臭や腐敗なんていう衛生問題も発生してきますから」

「……そうですね」

 やっぱり、と落胆した。頷く自分がひきつった表情をしていることを、憲次は自覚した。続く言葉は、簡単に予測できた。

「移しましょう。手伝ってもらえますか?」

 そう云う陽一郎に、憲次は一応抵抗を試みた。

「移すっていっても……どこへ?」

「そうですね、……ここには、死体安置所なんて設備はついていないようですから、……彼の部屋にしましょう」

「でも、このした……じゃなくて、このひとの部屋ってどこですか?」

「私は先ほど呼びに行ってきましたから、知っています。廊下の突き当たり近く、12番でした」

 よりによってそんな遠くか、と憲次は落胆した。が、陽一郎の云うことがもっともだということも、理解していた。温度計が無いため詳しい数値は判らないけれど、室温は、薄手のウールセータとシャツにパンツと云う軽装の憲次が心地よいと思える範囲を保っている。この環境下で、いったい腐敗がどんな速度で進行するのか、医学生でも何でもない憲次には全く判断がつかなかったけれど、生物(なまもの)だって二日放置すれば異臭を放つ昨今だ。死体がそうならないとは云えないし、この広間に入るたびに死体が目に入るのは、精神衛生上よろしくない。

 憲次は覚悟を決めた。

「解りました。さっさとやりましょうか」

「ありがとうございます」

 陽一郎が腋の下に手を差し入れ、憲次が両足首を握って、光の身体を持ち上げる。光は大柄と云うわけではなかったが、力を失った肉体は意外に重くて、ふたりがかりでもゆっくりとしか歩けなかった。

(生温かい……)

 靴下越しに触れる光の足は、筋ばって硬かった。まだ残る体温が気持ち悪い。

 どうにか扉の前まで行くと、二人の意図を組んで先に来ていた小百合が、扉を開けてくれた。

「ありがとうございます」

 陽一郎が礼を云って通過する。憲次が続いて通り抜けると、小百合はその後に続いて廊下に出てきた。

「?」

 目の表情で憲次が問うと、小百合は素っ気なく、

「まだ部屋の扉がある」

 と、部屋のドアも開けてくれる意思があることを示してくれた。

 白々とした蛍光灯の明かりに照らされる長い廊下を、一行は鬱々と進んだ。

 肉体労働に慣れないせいか、はたまた持ち上げにくい形状のせいか、それとも単に緊張しているためか、とにかく憲次たちは途中何度か光を床におろして持ち直し、単に歩くより3倍ほどの長い時間をかけて彼を運んだ。

 部屋に運んだ光をどうするか、一瞬迷ったが、結局、ベッドカヴァの上に寝かせることにした。苦労してベッドに持ち上げて安置すると、陽一郎はこめかみに浮いた汗を自分の手の甲で拭って「やれやれ」と息を吐いた。

「やっぱり、患者さんとは違いますね」

 何が、とは憲次はあえて聞かなかった。

 陽一郎は、ベッドに持ち上げたはずみで外れたハンカチを再度、光の顔に掛け直してやった。一瞬垣間見えた顔面に、憲次は反射的に目をそらした。苦悶の表情を浮かべたまま凝固した光の顔面は、そばかすに似た赤黒い斑点が一面に浮き出ていて、不気味だった。

 ふと見ると、小百合は何か考え込む表情で光を凝視していた。掛けられたハンカチを透かしてさらにその奥を見通そうとするような鋭い眼の表情に、憲次は臆した。

「力永さんって、死体平気なの?」

 訊ねると、小百合は驚いたようにぱちぱちと目をしばたたいて憲次を振り仰いだ。

「死体……?そう。そうね……」

 そのまままた何事か考え込み始めた小百合に、陽一郎は同情的な眼をくれた。

「どうやら、一連の出来事で一過性のショック状態にあるみたいですね。思考と感情が一時停止しているようです。あんまりひどい出来事に遭遇したひとに、よくあることなんですよ。……とりあえず、行きましょうか。いつまでもここにいるのは、力永さんはもちろん、私たちの精神状態にとってもあまりよくありませんから」

「そうですね」

 行こう、と小百合を促すと、彼女は案外素直に憲次たちの後について部屋を出てきた。


 戻った広間は、憲次たちが先刻出てきたときとほとんど変わらない状態に見えた。

 年の若い多江や枝亜はしくしくすすり泣いているし、麻緒佳や空我のように頭を抱えて放心している者もいる。と思えば、

「ちょっと、どう云うことよ!?」

 光代のように、何故か憲次たちに突っ掛かって来る輩もいた。「あたしはただ、ここに10億円もらいに来ただけなのよ!?だのに殺されるとか、聞いてないんだけど!」

「そうだそうだ」

 シミが目立つチノパンに毛玉が一面についたセータ、襟元がくたびれたポロシャツという格好をした中年男が笠に着て云いつのる。「こんなの、聞いてないぞ。しかもなんだ、無理やりこんなところに連れて来て閉じ込めて。人権無視だろ。警察呼べよ、警察を!」

 誰かをつるしあげることによって、自分の精神を安定させたいのだろう。いつの間にか陽一郎は、そんな思いつめた輩に取り囲まれていた。

「落ち着いてください、皆さん」

「こんな異常な状況で、落ち付いていられるあんたたちの方が変なのよ!」

 どうやら光代たちの中では、自分も陽一郎と同じくくりであるらしい。指差されて絶叫された憲次は、むっとした。

「わけが判らないのは、こっちも同じだっつーの」

「ああ!?何!?」

「黙れババァ!さっきからうるさいっつーの!」

「ば、ババァ……!」

「確かにババアだな」

 中年男が納得したように頷いて云った。どうやら彼は、その場その場で強い方に簡単になびく性根(たち)らしい。

「誰がババアですって!?」

 と光代に強く詰め寄られると、とたんにおどおどして、

「だって、本当にババアだし、あいつもそう云ってたし……」

 と気弱に呟きながら、憲次の方へ救いを求める目をよこした。

 勿論憲次はそんなものは無視した。

「と、とにかく落ち着きましょう。落ち着いて、話し合いましょう」

 陽一郎が必死な様子で声を張り上げる。

「話すって、何を?」

 小百合が尋ねた。

 陽一郎は、ほっとした様子で答えた。

「そうですね。とりあえず皆さん、改めて自己紹介しませんか?今後どうなるにせよ、互いの呼び名を知っていて損はないと思います」

「確かに」

 そのときそのときで、「おいバアさん」とか「そこのオヤジ」なんて呼び方をしていたら、会話する前に終わってしまう。

 憲次と同じ考えに達したのだろう、他の面々もそれぞれ同意する意を表した。

 一同は、誰が云いだしたともなく、円を描いて立った。

「それではまず、云いだした私から」

 陽一郎が片手を胸の高さに持ち上げてそう宣言した。「平富陽一郎と云います。●●市内の総合病院で内科の看護師をしています。仕事柄、人の死に触れることがありますし、動揺を隠す術も知っていますから、他の皆さんに比べて落ち着いているように見えるかもしれませんが、もちろん私も殺人を目の当たりにするだなんてこれが初めてのことでして、だからええと……何と云いますか……」

 混乱しています、と締めくくった陽一郎は、ふぅっと息を吐くと、眼鏡をはずして手のひらで顔をごしごしこすった。

「お次は……」

「じゃあ、俺が」

 陽一郎の右隣に立っていた都合上、憲次はそう云って言葉を続けた。

「佐々岡憲次。**大学の法学部の2年生です。ここへは、何と云うか、その場の勢いと云うか……軽い気持ちで参加したらこんな深刻なことになって、正直、本当にビビってます」

 憲次の後は、何となく反時計回りで続くことになった。


「対木多江と云います。×●市で小さな会社に勤めています」

 見た目は二十代半ば。うつむきがちにひっそり立った多江は、顔にかかる栗色の髪をしょっちゅう耳元に掻きあげながら、おどおどと言葉を紡いだ。「10億円が簡単にもらえるって文章に惹かれてきました。今は本当に後悔しています」


 次は枝亜だ。彼女は十代だろうか。背中の中ほどまである黒髪をまっすぐにたらし、レース編みのようなざっくりとしたカーディガン、ふわふわとした素材のワンピースにチュニックを重ね着した枝亜は、泣いて真っ赤になった目で自分の足元をじっと見詰めて立っていた。

「毛里枝亜です。☆☆専門学校生です。こんなとこ……来なきゃよかった……」

 枝亜は涙声でそれだけ云うと、またしくしく泣き始めた。


 枝亜の自己紹介が済んだと見切った次の女性が口を開いた。

「万田鈴。▲▲市で事務員してる」

 三十代半ばから後半、という見た目。きついパーマをあてた髪に胸元が深くくくれた派手な柄のワンピースを身にまとった彼女は、低くかすれた声でぶっきらぼうにそう云うと、隣りに顎をしゃくって促した。


 そのぶっきらぼうな態度に、一瞬眉毛を動かしたものの、彼女は何もなかったように、ピンクのグロスがきれいに塗られた唇を開いた。

「桂美沙。●▲市で同じく会社員をしています」

 胸元までの長さの栗色の髪をゆるく巻き、仕立ての良いカットシャツにタイトスカートを身に付けた、見た目二十代半ばという彼女は、癒し系お姉さんという言葉がぴったりくる、あまい声をしていた。が、その甘い声も今はどこか固くこわばっている。「私も、金額に惹かれてあまり考えずに参加しました。こんなことならもっと事前によく考えておくべきだったって、今は後悔しています」


 次は、生活に疲れた主婦だ。

「山口麻緒佳。主婦です。☆×市に住んでます。ここへは、生活の足しになればと思って来たのに……」

 年齢は、三十代後半から四十代半ばあたりだろうか。はぁ、と疲れた様子でため息を吐いた彼女はそれきり、黙り込んだ。


 麻緒佳に「あんた、それで終わりなの?」とぶっきらぼうに確認した光代は、麻緒佳が無言で頷くのを見ると、ちっと舌打ちしてから、低く野太い声を張り上げた。

「伊東光代。●▽市の会社員!」

 六〇代か、それ以上か。白髪の目立つ髪をショートボブにしている彼女は、イライラと自分の顔にかかる髪を掻きあげながら、隣りの男に「ほら、次あんたよ。ぐずぐずしないで、さっさと云いなよ」と促した。


 ガタイの良い40年配のその男は、けんか腰な光代の態度に顔をしかめたものの、しいて文句を云うことはしなかった。

「桐谷伸夫。××市で自営業をしている。最近は不況で、藁にもすがる思いで来たんだけれど……まさかこんなことになるとはなぁ……」

 身体をちぢこませるようにして、首の後ろをかく。「お次のキミ、どうぞ」


 促された少年は、十代後半か。子供っぽい呆然とした表情で、

「白井空我(くうが)。今は何もしていない、充電中。これって……テレビか何かの企画とかお遊びじゃあ……ないんだよね……?」

 まだ現実感が無いらしい、力のない声で呟いた。


「次は俺ね?」

 チノパンに毛玉だらけのセータを合わせた、見た目年齢四〇代。場違いなほど明るい口調で、中年男は云った。「小泉護。☆●市の会社員。なんか凄いことになっちゃったけど、なんとかなるでしょ。大丈夫大丈夫」

 ははははは、とわざとらしく笑った彼の声は、誰にも同調されずにむなしく途切れた。


 最後は、小百合だった。

「力永小百合。大学生」

 素っ気なくそれだけ云った小百合は、以後どれだけ待っても言葉を継ごうとしなかった。


「えっと、……これでだいたいみんな、憶えたかな?人数多いし、一度には無理だと思うけれど、まあ、しばらくは意識して自分の名前を話し相手に教えて行くってことで、互いに融通していこうか」

 陽一郎がそんな風に締めくくった、その時。


『みんな、仲良くなれたかなぁ~?』


 スピーカーから声が流れ出し、壁面のモニタにイカレ帽子屋が現れた。

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