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汝人間なりや否や  作者: killy
案内状
1/31

01

最初の数話は、登場人物が …… です。

御気分が悪くなるかも知れませんが、ごめんなさい。

*伊東光代


 クリスマスシーズンは嫌いだ。

 自分以外の誰もが、自分よりも金を持っていて、幸せそうに見える。

(なんだい。みんな、幸せそうに呆けたツラしやがって)

 伊東光代は、ちっと舌打ちして、足元に唾を吐いた。

 白く泡立った唾の塊は、信号待ちで光代のすぐ隣りに立っていたカップルの女が履いているブーツの脇に落ちた。それに気づいた女が、汚らしい物を見る目を光代にくれる。女はまだ若い。二十になるかならないか、と云ったところか。今年五十の大台に乗る光代からみれば娘にも等しい年齢の小娘だ。そんな小娘に、どうしてこんな蔑まれるような目で見られなければいけないのか。

 見たところ小娘は、光代よりも新しくて温かそうな毛皮のコートを身にまとい、手にはルイヴィトンが今年の秋発売した新型のバックを持っていた。細い手首にはピアジェのジュエリーウォッチがきらめいており、指にはカルティエの指輪が、耳にはブルガリのダイヤ入りのピアスが燦然ときらめいている。彼女の髪も化粧も爪も、いかにも金をかけました、と云うようにつやつやキラキラ光を放っていた。

(生意気)

 光代がぎっと睨みつけると、小娘は怯えたように身体を震わせて、男の方に身を寄せた。

「どうかしたの?」

 スマホを操作するのに夢中で、光代たちの無言のやり取りに気づいていなかった男があまい声で女に訊ねる。

 と同時に信号が青に変わった。

 光代はわざと、手に持っていたバックを女の身体に当てると、小太りの身体を丸めるようにしてせかせかと速足で歩き始めた。

 背後に聞こえた小娘の悲鳴が痛快だった。


 夜二十二時を過ぎても、このシーズンの駅前繁華街からは、人出はいっこうに減る気配を見せない。通りに並ぶ店舗は、彼らを呼び込むために食虫植物よろしく赤や緑や金銀色のオーナメントや、LEDの鎖で自身をまばゆく飾りつけてぎらぎらと光を放つ。光代はそんなまばゆい世界を拒絶するように、顔をうつむけてせかせかと小走りに通りを走り抜けた。


 繁華街を抜けて住宅街へ入ると、辺りは急に静かになった。広く歩道がとられた道路を歩く人影はなく、等間隔に並ぶ電柱に設置された街灯が白い光でアスファルトを照らしている。

 が、光代はほっとするどころか、更に不機嫌そうに顔をゆがませた。

 通りに並ぶ住宅街は、一様に敷地が広く、凝った造りの家屋を見せている。外から見える位置に車を止めている家もあるが、それらは、車に詳しくない光代でも判るくらいの高級車ばかりだ。BMW、アウディ、レクサス、……。

 広い芝生に大型犬を飼っている家もあれば、蔓バラを絡ませたアーチなんてふざけたものを設置したガーデニングをしている家もある。

 どの家家も、温かく裕福で幸せそうな明かりを窓にともして光代に見せつけ、自慢している。

 自分以外のだれもが裕福で幸福そうに思われて仕方が無い。

(厭な町だよ、まったく)

 できればあの窓ひとつひとつに石を投げつけて、中にいる奴らの思い上がりを砕いてやりたかった。

 が、一度それを本当にしたところ、住人が警察に通報したらしい、その後数カ月にわたって警官のパトロールが強化されたことがあったため、今はそれをすることができない。

(窓ガラスの一枚二枚、割れたところでどうってことないだろうに。金持ちってのは厭な奴だらよ、本当に)

 石を投げる代わりにまた舌打ちして唾を吐いて、光代はせかせかと道路を通り抜ける。


 自動販売機がうそ寒い、白々とした光を投げかける角を曲がって、高いブロック塀に左右を挟まれた細い路地にを歩くこと十五分。

 築四十五年、1DK二階建てアパートの二階奥が、光代の部屋だ。鉄の外階段をガンガン踏みならして二階通路にあがる。アパートの住民は金のない学生か、年金生活の年寄りが数名いるばかりで、深夜にこうした大きな音をたてても誰も何も云ってこない。

 一度、一階階段近くの部屋に住んでいるという老女が、

「あまり夜遅くに階段で大きな音を立てないでほしいのですけれど」

 と光代に文句を云って来たことがあったが、光代がぎろっと睨みつけて、

「じゃあ私に帰ってくるな、と云いたいんですか!?私は仕事の都合で、どうしても、帰りが遅くなるんですが!!」

 と云い返したら、口の中でもごもごと何か云いながら、怯えたように去って行った。

 その後も光代が気にせず階段を使っていたら、いつの間にか彼女は引っ越していったらしい。玄関脇にかかっていた表札も、通路スペースを侵食していた花の鉢植えやプランターも(こちらの方が、光代が帰宅する際にたてる音よりよほど迷惑だと光代は思った)、なくなっていた。もっとも鉢植えの方は、文句をつけられて以来、光代が、気が付いたら蹴り倒すようにしていたため、引っ越す以前から数は減っていたのだが。


 爾来アパートの住民で光代に文句をつけてくる人間はいなくなった。


 切れかけた蛍光灯が不安定なまたたきを見せる通路をせかせかと歩いて自分の部屋の玄関前に立つ。

 女の一人暮らしは色々と危険なので、表札は出していないが、玄関扉脇に掛けてある部屋番号を記した郵便ポストに十通近い通知が届いていた。

 光代はちっと舌打ちして、それらを取り出す。

 ほとんどすべてが、クレジットや金融機関からの返済を促す通知書だった。

「きちんと返してるのに、本当にうるさい奴ら!」

 暗く冷えた部屋に入った光代は、灯りをつけ、エアコンを操作して部屋が暖まるのを待つ間、腹立ち紛れに通知書を一枚一枚手でちぎっていった。

「だいたい、女はある程度の年齢いったらみっともない格好はできないんだし、バックだって靴だって、相応のものを身につけていないと貧相になるっての!毎日同じものを着続けるわけにもいかないじゃない!」

 八畳の和室には、所狭しとブランド物の箱や袋が積み重なってあった。グッチ、ルイヴィトン、シャネル、コーチ、……。開けっ放しの一間幅の押し入れの上段は、ハンガを掛けるための棒が渡してあって、そこにもやはりブランドの服やコートがぎゅうぎゅうにかかってある。下の段には引き出し式のラスティック製衣装ケースが入っているが、その引き出しが閉まらないくらいボトムスやパンツが詰め込まれてある。

「人並みの恰好するために、ちょっと足りない分を余ってる所から貸してもらっただけなのに、どうしてこんな風に責められなくちゃいけないわけ!?おかげでこっちは、仕事が終わった後で何時間も、コンビニなんかでバイトしなくちゃいけなくなるし!まったく、ふざけるな、だよ!」

 三〇代の半ばまで、光代は週に三度ほどの割合で、水商売のバイトをしていた。それだけで、好きなものを好きなだけ買え、しかも通勤に便利なハブ駅近くにある築浅のこぎれいなマンションの家賃を払うことができていた。

 収支が狂ったのは、水商売のバイトを、店舗の売り上げ不振を理由に切られてからだった。

「うちも最近経営が苦しいの」

 と、ママにクビを宣告されたときは、さほど深刻に考えていなかった。陽気な酒を飲む光代は客受けが良くて、彼女目当てに店に通う客が一晩に平均三名はいたのだ。彼らは一様に陽気でノリがよく、高いボトルも来店の度に空けてくれたし、利幅の大きいフルーツを光代が何皿注文しても厭な顔一つせず、鷹揚に許してくれた。毎月の指名や同伴のノルマは、さほど達成したことなかったけれど、店の売り上げには貢献できているはずだった。だからすぐに新しい店に移ることができると思っていたのだ。

 が、光代のそうした思惑とは裏腹に、新しいバイト先はまったく決まらなかった。

 大抵の店は、履歴書に記した光代の年齢(サバを読んで二十九としていたのだが)を見て、断ってきた。中には光代の顔や全身をしげしげと見て、

「うちは、一定水準以上のスタイルと容姿の女の子を揃えているのが売りだから」

 と鼻先で嗤って失礼なことを云ってきたマネージャもいた。

 新しいバイト先が決まらないまま、カードの引き落としだけが毎月無情に繰り返されてゆく。もともと余裕があるわけではなかった光代の口座は、すぐにマイナスになってしまった。その時点で、毎月のクレジットカードの返済は、光代の昼の勤めの月給の八割に相当する額になっていたのだ。

 まずクレジットカードの使用が停止された。ついで銀行振り込みにしていた家賃の引き落としが不可能となって、契約していたマンションの管理会社から催促の電話が頻繁に入るようになった。公共料金の支払いも滞って、電気やガスが止められた。生命維持に関わるため、めったなことでは停止しないとまことしやかに噂されていた水道も、半年支払いしなかったら、ある日いきなり止められた。


 それら急場をしのぐため、消費者金融でローンを組んだのが、転落の始まりだった。


 ろくな審査もせずに、光代の月給三カ月分の金をポンと吐き出してくれた無人借り入れ機に気が大きくなった光代は、バイトをクビになって以来我慢していた買い物に、久方ぶりに出かけたのだ。

 数か月ぶりに訪れたブランドショップの店員たちは、皆、上客だった光代の再来を喜んで迎えてくれ、そのシーズンの新作を次々と見せてくれた。

 きらびやかな店内で次々と見せられる高価な品々は、抗いがたい魅惑のオーラをまとっていた。

 気がつけば、光代の両手には複数個の袋が下がっていて、その日借りたはずの金はきれいに消え去っていた。

 借金返済という本来の目的を遂行するために、光代は、前とは別の消費者金融とまた契約を結ばざるを得なかった。

 が、その時の光代はまだ楽観的だった。借りた金は返さなければいけない、それも利子をつけて、という言葉は知っていたものの、理解していなかった。最初のときに簡単に融資を受けられたことで、思考が停止していたのかもしれない。今度は月給五カ月分の金を借り入れる。口座の赤字を消して尚、二十万以上の余分が出る金額が無人支払い機から出てきたので、今度は必要分を銀行口座に振り込んだ後、余った分を握り締めて買い物に出かけた。

 我に返ったのは翌月。二つの金融会社から返済の催促が届いた時だった。二十回の分割払いにしたはずなのに、月々の返済額は二社を合わせると光代の予測をはるかに超える高額になっていた。

(こんなに返さなくちゃいけないの!?)

 文字通り、顔から血の気が引いた。

 クレジットカードの返済はまだまだ続いているのに、こんな大きな金額を皿に返す余裕など、あるはずが無い。

 やむを得ず、光代はさらに新しい消費者金融と契約を結んで、その月の返済額を借り入れることにした。

 それからは、消費者金融の返済期日が近づく度に、別の金融会社から金を借りてその金を振り込むことを繰り返した。いわゆる自転車操業だ。余分に借りることができたら、憂さを忘れるために、買い物で消費する。毎月毎週綱渡りのような返済を行っていたけれど、光代自身はうまくやっていると思っていた。


 が、当然のことながらそんな行為は破たんする。

 一度返済を滞らせたとたん、彼らは、貸す時の愛想のよさが嘘のように、鬼のように厳しい取り立てを始めた。


 職場に電話をかけてきて消費者金融会社の名を名乗り、光代を呼びだすのは序の口。自宅に取り立ての男たちを派遣し、光代がすぐにチャイムに応じないと、隣近所の部屋のチャイムを鳴らし、会社名を名乗って光代の所在を知らないかと聞いて回ったり、職場や自宅周辺に強面の男たちを張りつかせて威圧したり。光代の体面を傷つけて汚すことを目的とした行いを、嬉々として行った。

 当然光代は抗議するが、

「だったら借りた金返せよ。きっちりと耳揃えてな」

 と凄まれては、黙らざるを得なかった。


 陰湿な取り立てに辛抱できず、役所が主催する無料の弁護士相談会に一度相談しに出かけたこともある。光代を担当してくれた、大学を出たばかりとおぼしき年若い弁護士は、最初こそ、同情的に話を聞いてくれていたものの、借金の使い道が主として買い物にあると光代が云ったとたん、顔をしかめて首を振った。

「個人の浪費や遊興が原因の借金は、自己破産の免責不許可事由になりやすいものなんです。話を聞いたところでは、金融会社の取り立ても、法を犯してはいないようですし、こちらでできることはありませんね」

 こちらの苦境を意に介さない、たんたんとした口調が癇に障った。

「何よ!こっちは心底困ってるっていうのに、あんたは助けてくれないわけ!?困ってる人を助けるのがあんたたちの仕事でしょう!?」

 長机を手のひらでばんっと叩いて怒鳴る。役所の会議室では、そのとき光代の他にも一〇人ほどが相談していており、ざわざわとそれなりにざわついていたのだけれど、その広い室内が一瞬でしんと水を打ったように静まり返った。が、光代のような反応には慣れているらしい、若造弁護士は顔色一つ変えず、光代が最初に提出した定型書類に何事か記入しながら、冷静に返した。

「法律に無知なせいで苦境に陥っている方に助けの手を差し伸べるのはなるほど、私たち弁護士の仕事ですが、個人的な物欲にはしってこしらえた借金の取り立てを何とかしてくれ、と云うのはそうし救済の対象外です。今申した通り、取り立ての方々も、特に法を犯した行為はされていないようですし。今後取り立てが激化して、実際に法に触れるような被害が感じられるようになりましたら、もう一度いらしてください」

「もう二度と来ないわよ、こんなところ!役立たず!」

 光代は椅子を蹴って乱暴に立ち上がると、足をふみならして退室した。

「次の方、どうぞ」

 扉をたたき閉める寸前、若造の声が聞こえた。


 取り立てが厳しくなるにつれ、会社での光代の居心地は格段に悪くなっていった。上司から直接、「困るんだよね」と云われたこともある。が、ここで辞めて仕事を失うわけにはいかない。光代は歯を食いしばって職場にしがみついた。バイトの職種も選んでいられず、仕方なしに平日夜はコンビニ、休日は一日ファミレスで働くことになった。水商売の時とは比べ物にならないくらい疲れとストレスがたまる職場でくたくたになるまで働いても、手に入るのは水商売の三分の一以下の額。

「馬鹿にするな!」

 と怒りたくなるものだ。

 しかもこの職種は、厭な客に頻繁に遭遇する。

 やれレジを打つスピードが遅いだとか、自分が欲しかった商品が品切れになっているだとか、注文した品が来るのが遅いだとか、期待していた味じゃないだとか、隣の席の幼児がうるさいだとか、光代の責任ではないことまで文句を云って来る。

「そんなこと私のせいじゃないので、私に云われても困ります」

 とでも言おうものなら、

「店員の癖に生意気だ!責任者を呼べ!」

 とクレームが入る。

 実際こうした厭なクレーマのおかげで、光代はこれまで何度かバイトをクビになった。


 どうして自分だけがこんな厭な目に遭って苦労しなければいけないのか。

 世の中は不公平だ。

 世間には、光代の一〇分の一も苦労せず、今夜信号待ちで行き当たった小娘のように、ぬくぬくと大金を使って遊び呆けている奴らもいるというのに。

 思い出したらまたムカムカと腹が立ってきた。

「まったく……、」

 ちっと舌打ちして、最後の一枚を破りかける。

「……ん?」

 その手が、ふと止まった。

 それは、借金の督促状ではなかった。

 官製はがきに、パソコンプリンタか何かで印刷したのだろう、統一フォントが整然と並んでいる。

 宛先住所はたしかに、今現在光代が住んでいるこのアパートのもので、宛名は伊東光代様、とあった。

「誰だろう?」

 不思議に思ったのは、この借金まみれの生活が始まって以来、親兄弟を含めて、借りられる人間からは粗方、限度いっぱいまで借金をしたために縁を切られており、今現在向こうの方から光代と私的な交流を持とうとする知人親戚が存在しないためだ。

 が、表書きの方には、差出人の住所氏名は記されていなかった。

 不思議に思いながら裏に返した途端。


 十億円、稼ぎませんか?


 そんな文字が光代の目に飛び込んできた。

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