空気を感じて
文才無くても小説を書くスレで、お題を貰って書きました。 お題:古本屋の匂い
そうだ。確かにこの情報化社会において販売のプロという言葉はほぼ形骸化して久しい。ことによれば接待のプロと混同したかのような意見もある始末だ。まあ、接客という語彙はそういった面こそを重視する昨今の世の中を風刺していると言っても過言ではないだろうね。
だが、販売に携わる者としてのプロ意識とは本当に接待のことだけなのだろうか。それができなければプロ足り得ないと思う?
いいや、確かに私はほぼ形骸化したとは言ったが完全に失われたとは言ってない。
まだ居るものなんだ。販売のプロという存在は……。
あれは……そう、二年ほど前のことだったか。よくある系列店タイプの大規模店舗とかじゃあなくてな。テナントという感じでもなく、そうだなあ……家。平屋建てのただの家という風情だった。
もちろん、最近よく見かけるプレハブ工法のしっかりと四方を壁で囲ってしまう様なタイプの家でもなくてな、なんと言うかガラガラと引き戸を開けるタイプの、そう、古き良き家屋と言った風情の家だった。瓦でもなかったんだが、何故かそういう風情の木の家だった。
おや? と、そう思ったね。一目で古いと見て分かるほどの本が、ガラス窓やガラス戸から見える範囲全てに詰め込まれているくらい沢山あったからだ。それに何より、そこは自宅から二駅隣の商店街の片隅のところにあってね。それまでの人生で何度もそこは通り過ぎていた筈なのに、記憶にもその家がそこにあったことは疑いようもないのに、それまでそこが古本屋だとは気付いていなかったんだ。
値札もあるし、お奨めというタグがついた本もある。外から見えるようにも置いていたが、いかんせん……その、くすんでいてね。ガラスが。気付かなかったことに驚いた後は、その店のみすぼらしさに驚いたよ。
でもね、その店は素晴らしかった。これから言う販売のプロという意味合いもそうだが、古本屋の佇まいとしてね。だって、古本屋と言うのは斯くあるべきだろう? 煤けた本を埃っぽい書棚いっぱいに詰めて、いかにもな豆電球のオレンジ色の明かりで薄暗く照らし出して、その奥には眼鏡が似合う店長が独り。あれはもう、古書好きにとっての夢の国、アミューズメントパークでもありえない幻想そのものの体現だったよ。あのみすぼらしさこそが、まさに古本屋と言った風情だったね。もう一目で気に入ったよ。
ああ、話は少し逸れてしまったが、そう私はその本屋に入ったわけだ。そして入ってから悩んだ。
そもそも何を探そうかなってね。
先ほど延べたとおり、私はその店の佇まいに惹かれて入ってしまったわけだ。本を買おうかなとは思っていたんだが、それはあくまで漠然とした思いでね。例えるなら……そう、改めて思うと少し気恥ずかしい思いもあるがね、つまりはその時の私はその古本屋で本を買って帰る自分というものに酔いたくなっていたわけだ。
だからこそ困った。
その芸術的なまでに完成された昔ながらの古本屋という風情の中で、何を買うのがそのイメージに一番相応しいのだろうとね。いや、当時はそうしっかりと目標立てて本を選んでいたわけではなかったんだが、今思うと要するにその時の私にはそういった考えが心の奥の方に根付いてしまっていたんだろう。よさそうな古本屋なんだ。よさそうな本はないのか。その時の、言葉に成っていた思いはそういったものだったと思う。
そういう事情があったから、適当にその辺の本を掴んで良いも悪いも読んだ後に任せてしまおうだなんていう、普段通りの決断ができなかったわけだ。
特になにが困るかと言うと、そういった店では店員にお奨めを聞くものではないとった空気があることだね。いや、あれは店主か。どちらにせよ、昔ながらの古本屋というのは店と客の競い合いみたいな面があってね。いい本を仕入れるのが店の義務なら、いい本を引き当てるのが客の責任なわけだ。本の価値の目利きも利かないやつはお呼びでないといった、ね。
そう、そういったところではお客様じゃなくて客なんだ。選ぶ愉しみも買う愉しみも読んで楽しむのも全て自分でやっていいんだ。店はその邪魔をしない。じゃあ、何のために店番がいるかって? それはもう、いい本を安くは売らないためさ。
販売のプロを語るにしては我ながら酷い話だね。けれどそれこそが古書を扱う店側のいい対応というものでね。本の価値を分かってない者から本を買っても、これはあまり楽しくないもんなんだよ。
とても昔々、私がまだ若かった頃の話だが。とある系列の古本屋でね、『レ・ミゼラブル』……『嗚呼、無常』の方が聞き覚えがあるかな? それを買ったんだが、とても悲しい思いをしたんだよ。
誰もが知っている名著が百円。まあ消費税がついていたりしたから実際の単価は少し違うが。それが四冊で四百円。安かったのは嬉しかった。でも、たかだかその程度の買い物で安さを堪能できるよりは、しっかりとその本の価値を信じて敢えて高値で出しておいて欲しかったね。
だから、そう。いい本を高く売る店主がいる古本屋ってのは、そういう意味で嬉しいもんなんだよ。
本の価値を分かっている者から本を譲り受ける。だからこそその本に愛着が湧くし、その本をしっかり読もうという気にもなる。
適当な値段の本を適当に買って適当に部屋に置いていたって、積ん読するばかりってことになりかねないしね。あれ、みんな知らない、積ん読? ああ、君は知ってる? ツンさんととドク君……いやいや、そういうのじゃなくて、積むと読むだよ。合わせて積ん読。知らない? いや、世代の差なのかなあ。ショックだなあ。
まあ、その積ん読。要するに積んだままって事ね。読んでない? うん、まったくその通り。適当に手に入ったものなんて、読みもしないで放置するのが関の山って事さ。
で、それはさておいて、だ。では、どんな店主だったからこそ、そういう意味のいい店主だったと思ったかといったらね。
「風姿花伝ありますか」と聞いた時の対応だったんだよ。なんで風姿花伝かって? あれはとてもいい本だからね。だからよく人に貸すんだが、よく無くなるんだ。まあ、そう聞いたらだね……。
「ああ、岩波ならその辺りだよ」
そう即答されたんだ。岩波っていうのはつまり出版社の事でね。風姿花伝と一言聞いて、その店主はどの出版社が出したものか理解して返事をしていたんだよ。
でも驚くのはここからだ。
「なるべく古い文がいいんですが」
「ああ、何度か改定されているからね。古い方もあるとしたらその辺りだよ」
「いえ古文で」
「ああそっち。それも確か岩波で出てたよ」
とまあ、こんな感じでね。まあ検索すれば角川とかも出しているけど、問題はそこでは開きっぱなしのレジが一つで、他に電化製品なんて特にない。ペンとメモ帳が昔ながらの機能を果たしている本棚の隅っこというところでね。
その店主は凄まじいことに、自分が取り扱ったことのある本を大体覚えているんだ。本棚は人の身長よりも高く、一軒家の一階を埋め尽くすほどの広さの店でね。
その本だけたまたま覚えていたって? そんなことはないよ。そう、なかったんだ。
「どうも、無いみたいです」と私は言ったんだ。ほら、そういうところだから買うそぶりを見せたまま何も言わずには帰れないだろ。だからそれは、もう帰りますの挨拶みたいなもんだったんだが……。
「残念だねえ。何の本?」と聞かれたんだ。
意味が分かるかい? 私はその一瞬では意味は分からなかったよ。
「響きからして華道の本かな?」
次に彼がそう言ったと聞いた今なら、もう意味が分かっただろう? そう。その通りだ。
その店主にしてみれば、それは今まで取り扱った数え切れない冊数の本の内の単なる一冊としての存在感しかない本だったんだ。思い入れも何もない。ただの一冊。それでも彼は知っていたんだよ。
「いえ、花伝書……能の……」と私が言いよどむが早いか「ああ世阿弥の」と返ってきた。
「それはないなあ」の最後の一言で私はすっかり打ちのめされたよ。
彼の視線は他の本棚を指していてね。要件が揃ったら、覚えている範囲だがあるかないかの検索が終了するらしい。
ハッタリかも知れないって? 知らないことをあけすけに伝えてきたその店主がかい? 読む気もない一冊の本のタイトルからすら出版社を特定するようなその店主がかい?
信じられない気持ちは分かるよ。私もそうだった。いや、疑っていたわけじゃなくてね。目の前でやられたことなのに、どうしてそんなことができるのかが全く分からなかったというべきだね。現実のことなのに夢でもみたかのような心持ちだったよ。
ただで出て行けなくなった。
その人は何も薦めなかったけどね、その人が集めた本の中から何一つ宝物を掘り返すこともできずに立ち去っていいものか。そういう風にプライドが刺激されてしまったんだよ。
古本屋の臭いにやられたのかもね。
本だけじゃない。すべてが臭いを発していた。店構えからも、埃っぽさからも、電球の熱からも、そしてなにより店主の知性からも。
結局、その時は一冊の浄土宗関連の本を選び出して買ったんだが。私が言いたいのはそこじゃないということが分かるよね?
長い不況が続いた。今少々上向きになったからといって、そうそう販売実績が伸びるものでもない。
むしろ実績が落ちて辛い思いをしている者も多いだろう。
そもそも客商売が苦手な人だっているし、そういう人は ホスピタリティとかお辞儀の仕方とか形だけ教えられてもうまくいかないことが多いだろう。ああいうのは、実感として分かるなら言うまでもないことばかりだし、実感として理解できないやつはきっと言われても理解できないことばかりだろうからね。
でも、では私の話に出てきたその店主はどうだった?
彼は客が本を探している間中、何も言わずに自分もじっと本を読んでいるだけだったよ。それでも、いやそうだからこそ、その読書で絶え間なく磨かれ続けた彼の知性はすさまじいものがあった。
風姿花伝にある言葉で、老い木の花というのがあってね。若い頃には誰でも花は咲く。それぞれの人に魅力の出るべき時がある。けれどその花は、つまり逆に言えば時の流れによって散る定めにあるわけだ。けれど、人の力押しの魅力では決して届かない、技で咲かした老木の花はもう二度と決して枯れることはない。ということなんだ。
個人の魅力やセンスに頼ったものよりも、長年のたゆまぬ努力こそが実を結ぶと言う話だよ。
そしてそういう理想論……いや、理想論だったものには、実例がある。
歴史書や古典の中だけじゃない。今この日本で同じ空の下で同じ空気を吸っている。同じ人だ。
だからもう少し頑張ってやってみよう。その頑張りが店の空気を作るんだ。
それにね。私が感動したいい言葉はもう一つあるんだよ。
「できないと言うのは嘘なんで……
ワ○ミっぽく解釈すると、どんな体験も、どんな名文句も台無しというお話。
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183 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/07/29(月) 11:39:17.20 ID:ZRWh3hi+0
お題ください
184 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/07/29(月) 15:07:57.53 ID:某BNSKスレ民
>>183
古本屋の匂い
185 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/07/29(月) 18:07:24.50 ID:ZRWh3hi+0
把握しました